マリンデート



 彼女はただ一人、そこに立って、何をするでもなく、海を眺めていた。
 彼女はただ一人、そこに立って、何をするでもなく、虚ろな眼差しで、海を眺めていた。

 崖下の潮騒がやけに耳につく。
 彼女はうっとおしい前髪を払って、自分の体を抱き締めた。
「……さむい」
 息を吐くと、白い。
 彼女は首を振って、やがて微笑んだ。
「……来ないなぁ」
 今にも泣き出しそうな顔で彼女は笑うと、一歩、また一歩、切り立った崖に近づいて行った。
「どうして来ないんだろ」
 ずっと待ってるのに。
 彼女はそうやって、海に身を投げ出そうと――

「君は死ぬの?」
 彼女は自暴自棄な気持ちで、振り向いた。誰かが立っている。
「分かってる? それが逃げでしかないってこと」
 虚ろな笑みを、彼女は浮かべた。
「……捨てられたのよ」
「だからって君までが、君を捨てることの理由にはならないよ」
 こんな状況だと言うのに、彼はおかしそうに笑った。そして前に進み出る。

 中性的な容貌の少年だった。
 黒い髪が風に吹かれている。
「……ああ、あなた、英雄志願者? 私を止めに来たんだ。そうなんでしょ」
 ほとんど自虐的な、嘲笑的な笑みを口に乗せた彼女は、強く自分の体を抱きしめて、髪が乱れて目に掛かるのにも構わず叫んだ。
「放っておいてよ! あんたに何が分かるって言うの? 私はこれから死ぬの。死んでやるんだから!」
「ふぅん。じゃ、そうすれば?」
 少年は全く普通の調子でそう言った。
 目を軽く見開く彼女。
「別にいいよ。それとも、僕がその背を押してあげようか?」
「できもしない事を言わないで! どうせあんただって――
 少年は事も無げに近づいてくる。
「……っ、こ、来ないでよ。飛び込むわよ!」
「やれば? 見ててあげるよ」
 少年はそう言って、年に似合わない、大人びた顔をした。
「結局君は、そうやって逃げているだけなんだ。君の願いを叶えてあげようか?」
 彼女はそれを聞くと、ぎょっとした。
「願いですって……」
 だがその驚愕に見開かれた眼が、ぽかんと開いた口元が、次第に吊りあがって行く。彼女は大声を張り上げて、両手を広げた。
「やってごらんなさいよ、私を殺して! お願い!」
 トン、と肩を押される。
 彼女は愉悦に口元を歪めながら、勢いに逆らわず、真っ逆さまに、
「ミチル!」
 名を、呼ばれる。腕を、掴まれる。
 彼女は信じられないとばかりに口を開けて、その姿を見た。
 ずっと待っていたあの人が、そこにはいた。
 信じられない。絶対に来てくれないと思っていたのに。
 彼女は引き寄せられて、抱きしめられながら、涙を流した。
「……願いは、叶った?」
 あの少年が微笑んだ。
 ミチルは戸惑うように目を瞬いて、
「ミチル、どうしたんだ?」
「うん、今、あそこにね――
 彼女が視線を戻した時、もうそこに彼の姿はなかった。

 潮騒が満ちていた。

バッド・エンド



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