ブルーブラッド・ロマンス



 シャリはじっと頭を垂れたまま、一度も自分の主と視線を交わそうとはしなかった。
 その姿に何を思ったのか、暗い玉座に座るこの城の主は暗い微笑みをたたえる。
 まるで心の底から憎い人物が死んだ時にでも浮かべるような会心の笑み。

「お前の姫は」

 と主は切り出した。
 微動だにしないシャリ。

「直にここまでやってくる。恐らくはお前を求めて。私に会いにではない」

 主は残酷で優しい微笑みを浮かべたまま、手の中の薔薇に火をつけた。

「お前はどうするのだ? 虚無の子よ」

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 やがて廊下の終わりが見えた。扉がある。
 彼女は気づいた。
 少し顔色の悪いシャリが、扉にもたれて立っている。

 ローズは喜色を満面に浮かべて駆け寄った。

「どこに行ってたの?」

 彼は憂いのある瞳を彼女に向けた。

「心配したんだから」
「……私は記憶を奪われています。あなたも同様に」
「……? そうね」
「あなたはどうするおつもりですか?」

 ローズはそう問われて、わずかに戸惑った。

「何が……」
 シャリは苦しそうに言い募る。
「この先に我が主がいます。会って、一体何を話そうというのです? 記憶を返して欲しいとお頼みになりますか」
「何の話をしてるの? 行かないと、死んでしまうのでしょう? だから行こうとしているのに、……記憶なんてどうでもいい」

 シャリは思い悩むように何度も眉をしかめた後、ため息をついて苦しそうに言った。
 一言。
「では、……私はあなたを止めなければなりません」

 彼女は一瞬、何を言われたのかわからなかった。
 不思議そうに眉を寄せる。
「何で……? どうしてそんな事言うの?」
「あなたを殺せば、私は記憶を取り戻すことができます。そういう約束です」

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 かつて自動人形として働くよう申し渡されたのは、シャリだけではなかった。
 他の姫にもそれぞれ一体ずつ担当の自動人形がついている。
 彼等はことごとく主に記憶を奪われ、担当の姫が花嫁となった時のみ、記憶を返してもらえることになっていた。

 シャリ以外は。

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「どういうこと? どうしてシャリだけは違うの?」
「あなたがここに囚われて来たのは、実は三十年前なのです。あの時、あなたは私を知っている口ぶりでした。そして私に襲いかかり、――

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 何とか暴れる姫を再び眠らせることに成功したものの、シャリは大怪我を負った。
 彼は主に、その傷を癒すよう頼んだ。

 主の答えはこうだった。

『傷を癒す代わりに、一つ任務を申し渡そう』

『三十年後、再び花嫁を迎える時、お前の姫をお前の手で殺すのだ。その時に初めて、お前に記憶を返そう』

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「私は約束が違うと何度も言いました。しかし主は聞く耳を持たず、そしてあなたさまはここまでたどり着いておしまいになった。途中で死ぬとばかり思っていたのに」

 ローズは驚きよりも、むしろ哀れみを顔一杯に浮かべて後じさった。

「私を殺す……? そんな、全然意味がない」
「主はそういう事がお好きなのです。あなたさまが私に寄せる好意を知って面白がっておられる」
「私は別に好意なんて……」
「ローズ様」

 シャリは顔を上げた。冷たい光が瞳に光る。

「大変申し訳ありませんが、私のために死んでいただけますか」

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 シャリは凍りついた眼差しで、崩れ落ちる彼女を見下ろした。
 薔薇のように真っ赤なしみが床に広がる。
 彼は無表情に彼女を抱き上げると、扉を開けた。

 主は美貌の人だった。男性であるはずなのに、どこか性別を超越した空気を身にまとっている。
 彼は大儀そうにシャリを見て、笑った。

「残酷な。自分の姫を殺した自動人形は、お前が始めてだ」
「それはそうでしょう。あのような事を命じられた自動人形は始めてでしょうからね」
 シャリはとげとげしくつぶやいて、ローズの亡骸を転がした。

「ひどい有様だ」

 血まみれの彼女を見て、主がおかしそうに首を傾ける。
「美貌も清純も命もない。そのどれが欠けても、薔薇の姫にはなれぬというのに」
「全て奪われるように仕向けたのはあなたさまでしょうに」
「言うようになったな。シャリ……まぁいい、約束は守ろう。欲しいか? 記憶が」

 シャリは淡々と首を縦に振った。

 主はどこからか真っ赤な薔薇を取り出して、シャリに向かって投げる。
 それは真っ直ぐシャリの胸にぶつかると、まるでガラスが砕けるようにはじけた。

 膝をつくシャリ。

「くっ……これは……私は、いや……僕は……」
 頭痛をこらえるように、シャリは自分の額に手をあてた。
 痛みが波のように迫る。波が古いものを押し流し、新たなものが彼の内に宿る。

 彼はゆっくりと顔を上げた。

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 彼女の遺体が転がっている。死んだように動かない彼女。
 そして暗闇の中で微笑む美貌の男。
 
 シャリはゆっくりと笑い、一瞬にして彼女の体を抱え上げると、空中に転移した。
「まさか、こんな事になるとは思ってもみなかったよ。どうして記憶を戻したんだい?」
「決まっている……」
 美貌の人は優しそうに微笑んだ。
「そちらの方が楽しい」

「楽しい、の一言で殺されちゃった僕の相棒はたまったもんじゃないと思うんだけどね」
 シャリはぐったりとしたまま動かない、彼女に視線を向けた。
「記憶が戻った以上、こんな所に用はないんだけど、もう行っていいかな?」
「その娘が死んだままでいいのか?」

「なんだって?」
 シャリは楽しそうな、それでいていらついたような声で彼を見た。
「死んだ人間は生き返らないよ。それは君だって知ってるはず」
「お前は知らないのだ。この城で起きた事は、全てが私の思うままになる。その娘の死とて同じこと」
「へぇ! そりゃ、ずいぶん親切な申し出だねぇ。で、今度はどんな無茶を僕に要求するつもり?」

 シャリは剣呑さを隠そうともせずに男を睨んだ。
 男は物憂げに手を上げて口元を隠すと、暗い笑い声を上げた。

「分かっているではないか……虚無の子よ」
 彼は続けた。
「その娘を蘇らせる代わりに、忠誠を寄越せ」
「……ずっとこの城にいろって?」
「問題でも?」

 自暴自棄な声で男は言った。

 シャリもまた高い笑い声をもらし、人形めいた動作で首を傾げる。
「そんな取引に、僕が応じるとでも?」
「応じないのなら構わん、出て行けば良い。私は何も強制などしていない、シャリ」

 シャリは慎重な眼差しで三秒ほど男に視線をやった後、諦めたようなため息を吐いた。
「全く、君には敵わないよ」
 男の声が、喜色にまみれたものに変わる。
「それでいい。それでお前の強大な力は、私のものだ」
 シャリは目を伏せて、床に降りるとかしずいた。
 男の目が輝く。
「さぁ、もっと側に来るが良い。お前の力が手に入れば、私の美貌はさらに――

/*■*■*■*/

 その瞬間、彼女は腕を上げて、魔力を放った。
 闇を切り裂いて、明るい閃光がほとばしる。

 死んでいたはずの姫が生きていた?
 男は驚愕を顔に浮かべたまま崩れ落ちる。
「くっ……馬鹿な……確かに死んだはず」

「あいにくだわ」
 彼女は軽蔑を顔一杯に浮かべて、立ち上がると髪をかきあげた。
「シャリに殺される一瞬前、全て思い出したの。そもそもこんなに小憎らしくて馬鹿馬鹿しい奴、そう簡単に忘れられるはずないじゃない」
 そう言って、彼女は鋭い一瞥をシャリに投げる。
 彼は今や腹を抱えて笑い出しそうなほど相好を崩して男を見下ろしている。

「後は彼女に力の使い方をちょっと御教授いただいて、仮死になってもらったって訳さ。気持ちいいくらい、騙されてくれたねぇ」

「馬鹿な……馬鹿なぁ……」
「いずれにしても、記憶を返してもらった以上、君は用なしさ。とっとと死んでくれる?」

「待ちなさい」

 彼女は冷たくシャリを止めた。
「殺すよりももっといい手があるわ」

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 冒険者の装いに着替えた彼女は、城のあった場所を振り返った。
 今はもう何もない。荒野だけが広がっている。

「お待たせ」
 シャリの声に顔を上げると、彼はにっこりと笑顔を返した。
「できたよ? 君のお望みどおりね」
 そう言って、彼は紫色に輝くオーブを彼女に投げる。

 それを片手で受け取った彼女は、皮肉な微笑みを浮かべた。
「城の主様も、こうなっちゃうと形無しね」
「君が彼をマジックアイテムにして使おうと言い出した時にはぞっとしたよ」
 シャリは無邪気に笑った。

「あれほど美しさにこだわっていた彼が、力を使われるたびに醜くなって行くんだから」
「それが罰よ。彼のせいで何人もの人間が死んだんだから」
「ああ怖いね、悪いことはするもんじゃない」
「肝に銘じておくのね」

 彼女はそっけなく言って、歩き出した。
 ここを去って、次の町を目指す。
 復活した破壊神ウルグを倒すのが、彼女の役割だった。

「これでまた敵同士だね」
 だいぶ距離が離れた頃、彼女の後ろでシャリが言った。

 彼女は目を細める。
「それが?」
「アレはアレで、楽しかった気がするなぁ。ね、また味方ごっこしてみない?」


「……それにしても」

 彼女はシャリの言葉を無視して、振り向いた。
 風に髪が弄ばれる。

「どうして記憶がないのに、私の名前を言い当てることができたの? シャリ」

 シャリはいたずらっぽく微笑んで、首を傾げた。
「さぁ……どうしてだろうね、ローズ。愛じゃないかな」
「やめてよ、私たちは」
『敵同士なんだから』

 彼女は戦いに戻るため、その場を立ち去った。
 オーブが荷物袋の中で、紫色に光っていた。それがシャリと彼女の共闘を示す、ただ一つの名残だった。


 可能性的バッド・エンド/ハッピーエンド



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