山道を歩いていた少女は、ふと空に目をやった。優美な鷹が旋回している。思わず彼女が微笑むと、鷹は一声高く鳴いた後、いずこかへ飛び去って行った。
「……いい天気!」
そう言って、再び山道を歩き始めた。
彼女の名はアルテ。かつてバイアシオン大陸全土に名を轟かした、偉大な冒険者である。
/◇*◇*◇/
そんな彼女がどうして山道なんぞ登っているかと言えば、話は三時間ほど前に遡る。
「な、何よこれは……」
アルテは一枚の羊皮紙を目にしたとたん、唇をぷるぷると震わせた。
「ロイは預かった、返して欲しくば冒険者業を廃業しろ〜?」
ロストールの広場で突然呼び止められて、これである。アルテは自分の兄を拉致されたと知って気が気でなかった。
「ザギヴ……一体どういう事?」
羊皮紙をグシャグシャに丸めて投げ捨て、アルテはザギヴを睨んだ。
エンシャントの皇帝である彼女が、一体何を目的にこんな事をするのか――どう考えても不自然である。
その冒険者は、優しい海のような色の髪をしていた。冒険者と言うわりには小柄で、あどけない顔をしていたが、瞳だけは凛として涼しげだった。
「どういう事……ですって?」
ザギヴは何故か怒ったように眉を吊り上げ、顔を赤くした。
「何でなの? 兄さんを誘拐してどうしようって言うの――」
「あなた、毎日毎日冒険ばかりで、ろくに城に帰って来ないじゃない! 私だけの騎士になってくれるって言ったのに!」
「そ、そんな事言ったって、敵もいないし暇なんだもの、しょうがないじゃ――」
「言い訳なんて聞きたくないわ。とにかく、さっさとギルドに行って、冒険者登録を解除して来なさい」
ザギヴはびしっとギルドの方を指差し、絶対に逃がさないという決意を込めるようにアルテを睨んだ。
「そんな横暴な……」
「あら、そんな事言っていいの? あなたのお兄さんは私の手の中にあるのよ?」
「だって、冒険は私の全てなのに!」
アルテは、拳を握って力説した。
「きらきらした鍾乳洞、依頼人の喜んだ顔、強敵を倒した時の満足感――冒険がなくっちゃ、私生きていけない!」
アルテはザギヴにすがりついて、必死に訴えた。
「とにかく!」
ザギヴはぞんざいにアルテを振り払い、倒れこんだアルテを見下ろして言った。
「明日までに、冒険者を廃業しておいて。じゃないと、あなたのお兄さんは――」
「ろ、ロイ兄さんをどうするって言うの?」
ちょっと及び腰で、アルテが尋ねる。ザギヴは囚人を見下ろす看守のような表情でそれに答えた。
「……妻に恥ずかしい姿を見せる事になるわ」
「シェスター姉さまに!?」
アルテは繊細な義姉の事を思い出して蒼白になった。恥ずかしい姿、と言うのが具体的にどんな姿なのかはよく分からないが、放置しておくと大変な事になりそうだ。ことにシェスターの事となると性格がセラ化する兄の事である。恥ずかしい姿なんて見られたら、自分の喉を掻っ切りかねない。
「ふふふ、じゃあ、あなたが私のもとに帰って来るのを楽しみに待っているわ」
ザギヴは女悪役さながらな高笑いを残して去って行った。辺りを取り囲んでいた護衛も立ち去って行く。
後に残されたアルテは、がっくりと膝をついて嘆いた。
「ああ、どうすればいいの? 冒険者を廃業なんて絶対イヤだし! かと言って兄さんを裏切るなんて……」
「あれ? こんな所に座り込んでどうしたの? アルテらしくないなぁ」
懊悩していたアルテは、突然影が差したのを見て、涙目のまま顔を上げた。見下ろしていたのは、黒い髪も艶やかな少年――アルテに取っては宿敵のシャリだった。
「あうあうあう」
宿敵なのだが、あまりの事態にそんな事も忘れたアルテは、だばーっと目の幅涙を流しながら事情を訴えた。
「アハハッ。君って結局、ザギヴには頭上がらないよねぇ」
シャリに今までの経緯を話すと、彼はそう言ってのん気に笑った。
「どうしよう。あああ、結局冒険者を辞めるしかないのかなぁ」
アルテは悄然と肩を落とし、俯いた。膝の上においた拳に力を込める。
「せっかく最近、自由に冒険できるようになってたのに……」
流水のアルテと言えば、冒険者であれば誰もが耳にする一流の名前だった。特にエンシャントで闇と対決した事が伝説となっている。しかしそのせいでアルテには救出依頼だの何だの、難易度の高い依頼が次々舞い込み、自由に依頼を選ぶ暇もなかったのだ。それが最近になってようやく噂が落ち着き、暇も出来てさぁこれから、と言うところだった。しかし。
「兄さんは放っておけないのに、冒険者も続けようなんて、調子が良すぎるのかなぁ……」
肩を落として、ため息をつく。
あまりに哀れっぽい様子を見かねたのか、シャリはアルテの肩に手を置いた。
「じゃあさ、僕が助けてあげようか」
「ホント!? どうやって!?」
アルテはそれを聞くなり、飛び跳ねそうな勢いでシャリにすがりつき、目をきらきらさせた。
「君のお兄さんを助けて来ればいいんでしょ? そんなの簡単だよ」
飽くまでにこにこと、シャリ。
これを聞いてあまりにも喜んだアルテは、シャリを放り出すと空に向かって手の平を組んで、祈りを捧げ始めた。
「ありがとう……これも天空神のお導きね」
「やめてよ」
シャリは天空神と聞いて苦笑いした後、「条件があるけどね」と言って指を一つ立てた。
「条件って……そんなに難しい事はできな――」
「今日、僕の誕生日なんだ。人間はこう言う時、祝うものだろう? 僕のも祝って欲しいなぁ」
「え"」
/◇*◇*◇/
と言うわけで、アルテは山に来ていた。誕生日=ケーキ、ケーキ=山に材料、が彼女の考えである。
とは言っても、神官の家に生まれ、お嬢様として育ったアルテがケーキの作り方なんぞ知っている訳がない。そもそも何を探せばいいのかすら分かってはいなかったが、そこはそれ、何とかなるさで全てを乗り越えて行くのが冒険者である。
「美味しいケーキを焼いて――待っててね兄さん!」
もはやシャリの事は頭にないようだが、幸いにしてそれを気にする者は、ここにはいなかった。
そんな調子で歩いていたアルテは、木の根元に何か発見して目を輝かせた。
「あ、キノコじゃない。あれは美味しい奴だわ。あ、あそこにも!」
〜一時間経過〜
「……で?」
テーブルに座るシャリの対面に、アルテが座っている。彼女は恐ろしく暗い顔で、一枚の皿を差し出した。
「えーと、……これ……」
アルテが恐る恐る差し出した皿には、こんがり焼けて香ばしい匂いを放つキノコが乗っている。
シャリは無表情にそれを眺めた後、一つ摘まんで、隣を歩いていた猫に差し出した。
にゃーと鳴いて、匂いを嗅いだ後、ぱくっと食べる猫。次の瞬間、倒れる。
「きゃー!!」
アルテは慌てて猫に駆け寄ると、どうしていいのか分からずにおろおろした。
シャリが無表情のまま、状態異常回復魔法を唱えると、猫がぱちっと目を開ける。そのまま逃げるように去って行く猫。
沈黙が流れた。
だらだら脂汗を流して突っ立っていたアルテは、「あっ!」と何か思いついたような顔で手を上げた。
「そうだ、誕生日と言えば、パーティーよね。パーティーと言えば飾りつけ!!」
アルテはそう叫ぶなり、脱兎のごとく部屋を飛び出して行った。ため息をつくシャリ。
/◇*◇*◇/
という訳で、アルテは再び山に来ていた。枯葉を利用して飾りつけが出来ないかと考えたのである。
ちょうど良さそうな木を見つけたアルテは、ちょっと困った顔をした後、木を揺さぶって葉を落とそうとした。かさかさかさと、幾枚もの枯葉が落ちてくる。それに気を良くしたアルテは、全ての葉を落とそうと躍起になった。
「えーい、このこのこの!」
がさがさがさと、辺り一面が枯葉だらけになる。アルテは一瞬、嬉しそうな顔をしたが、はたと顔色を変えた。一枚だけ、てっぺんについている葉が落ちて来ない。
「ぬぬぬ。この私に勝とうなんて、百年早いんだから!」
アルテはそう言って何度も木を揺さぶったが、どうしても枯葉は落ちて来ない。やがてぜーぜーと息をついた彼女は、すでに憎しみすらこもった視線で枯葉を見上げた後、唱えた。
「ファイアーボール!!」
〜一時間経過〜
「……山火事騒ぎがあったって聞いたけど、アルテは関わってないよね?」
シャリは意味ありげな視線をアルテに送る。
アルテは脂汗をかきながら、ぶんぶんと首を振った。
「それにしても、こんなに待たされるんじゃ、どうしようかなーって考えちゃうよね」
シャリは意地悪くそう言うと、立ち去ろうとするような素振りを見せた。
「いやいやいや! あのね、面白くなるのはこれからだから大丈夫だよ」
「本当? 次駄目だったら、僕もう帰るからね?」
「えーっと、えーっと。じゃあ……そうだ、皆に手伝ってもらおう!」
アルテは名案を思いついたような顔になった。
「えぇ? 僕はアルテに――」
「そうと決まれば、すぐお願いしてくるね! じゃ!」
バタバタと出て行くアルテ。シャリは大きなため息をついて、自分の選択は正しかったのかどうかを真剣に考え出した。
/◇*◇*◇/
かくて、パーティーの準備は整った。アルテが呼んだのはナッジとセラとカルラとアイリーンという、かつて一緒に冒険していた仲間だ。彼等は、突然の呼び出しに文句を言いながらも、よく働いてくれた。
困った時に頼れるのは親友だなぁなどと考えて、ひそかに涙するアルテ。
会場内はきれいに飾り付けされ、即興の楽団までいるし、美味しそうなケーキや料理の数々が並んでいた。後は各出席者のために皿を配置するだけである。もう日は暮れていたが、どうにかちゃんとしたパーティーになりそうだった。
「皿は誰が持って行くー?」
カルラが厨房から顔を出して、面々に聞いた。そこかしこから、「俺が」だの「私が」だのと言う声が上がるが、友情に感動していたアルテはここぞとばかりに歩み出た。
「最後くらい、私がやるわ!」
『え……?』
何となく不安な一同である。招かれてさっきまで楽しそうにアルテと話していたシャリも、心なしか青ざめた。
「何よ、皆して。大丈夫、皿運びくらいできるわ」
そう言って山盛りの皿を受け取ったアルテは、一枚一枚、心を込めてテーブルに置いて行った。
どうやら大丈夫そうだと見て取って、それぞれ宴の準備に戻る一同。
カルラが料理の準備が終わった事を告げたその瞬間、アルテは最後の皿を配り終えて、満足そうに微笑んだ。
「これで兄さんが戻ってくるわ。皆、ありがと――あ、あぁあ!!!」
どこをどうやったのか、滑って転びそうになったアルテは、とっさにテーブルクロスの端を握った。そのまま滑るアルテ。
『ああ!!』
思わず皆が目を覆う中、アルテはスープと鶏肉にまみれてへたり込んでいた。皿が割れて、床がものすごい有様になっている。
「……アルテ? あの、大丈夫よ、ザギヴだってきっと――」
アイリーンがフォローしようとしたその時、呆然としていたアルテが震え始めた。
「う」
「う?」
「うわぁぁぁぁぁん!!」
アルテはその場で顔を覆うと、あまりの恥ずかしさに部屋を飛び出そうとした。
「アルテ」
その名を呼んだのは、主賓のシャリである。頭からスープをかぶっていた。
「う、……もういいよ。ごめんね、無理頼んで。私、冒険者やめるから、それで全部終わるから」
アルテが足を止めてそう言うと、シャリはどこからともなく取り出したハンカチで頭を拭きながら、微笑んだ。
「もういいよ。今日は面白いものを見せてもらったし、君の願いを叶えてあげる」
「え? でも、」
「今日は意外といい誕生日だったしね」
「じゃあ、兄さんは」
「助けて来てあげるよ。アルテが冒険者を辞めるって言うのも、考えてみればつまんないし」
「――シャリ!!」
アルテは目に涙を浮かべたまま、「この恩は忘れないわ」とつぶやいた。
/◇*◇*◇/
「兄さーーーん!!!」
「アルテっ」
二人は再会するなりひしと抱き合い、お互いの無事を喜んだ。
「心配してたわ。ザギヴって結構、えげつないから……」
「お前もよく無事で……」
他人の入る隙間もない感じである。
一方、シャリはロイと抱き合うアルテに歩み寄っていた。二人を見比べて、くすっと笑うと、アルテの名を呼んだ。
「え?」
振り返る少女。シャリは彼女の前髪を払うと、目を閉じて、そっと額にくちづけた。
「役得、役得。……フフ、今日は楽しかったよ。また会おうね、アルテ」
言葉も出ない一同に、笑い声だけを残して去ってしまうシャリ。
彼女はしばらくの間、顔を真っ赤にして額を押さえていた。
そして赤くしたまま、自分も今日は楽しかったなと考える。そこまで至れば、後は祝福するのに理由なんていらなかった。アルテはしょうがないなぁと、最高の微笑みを浮かべて言った。
「ハッピーバースデー! シャリ!」
end