彼の楽しみ

 人気のない山の奥だった。暗い木々の間をすり抜けて、一人の少年が歩いている。夜よりももっと暗い瞳と、流れるような黒髪。誰が見ても振り返るような、ちょっと見ないほど美しい顔。
 彼は、一振りの剣を持っている。今日はこの剣を知り合いに渡すことが彼の仕事だった。

 ◆◆◆

 正直言って、気の進まない仕事。彼女とは個人的に知り合いだったし、こういうことをすると彼女は怒る。怒らせるのは嫌いじゃないけど、自分で立てた計画に嵌めるわけじゃないのが微妙に気に入らない。なぜかは分からないけれど。

 それでも彼は、山の中で野営している彼女を見つけると、近づいて行った。ほんの少しからかってやろうと言う気が沸き上がる。
「やあ、シャロン」
 そこで彼は、わざと大きな声で挨拶した。案の定、背を向けて焚き火の番をしていた彼女は、剣を抜きながら目を丸くして振り向いた。その顔に警戒が走ったのは一瞬で、彼女はすぐに気の抜けたような、何とも失礼な顔になる。
「シャリじゃない。一体今日はどういう迷惑を掛けてくれるの?」
 辛辣な言葉に肩をすくめて、シャリは隣に腰を下ろした。彼女の(邪魔な)仲間達は、すやすやと眠っている。こんなに彼女の至近にいても、誰も起きないなんて、へっぽこなパーティー。

 シャリはわずかに目を細めると、笑った。

 ほら、今すぐ彼女を殺せる。

「喜んでよ。君にプレゼントがあるんだ!」
 シャリは胸中とは裏腹な事を言って、にっこりした。
 彼女はきょとんとした顔でシャリを見返す。
「あなたが、私に?」
「そう、僕から君に」
 なおもにこにことシャリは言って、シャロンの反応を観察した。てっきり渋面になるだろうと思っていたのに、彼女はあろうことか、顔を真っ赤にして身を引いた。
「ど、どうせ、変なものなんでしょう。いらないわ」
 どもりながら言っても、あんまり説得力はない。
 シャリは何だか、このまますんなり剣を渡すのが嫌になってきた。なので、口からでまかせを言ってやる事にする。
「ああ、この剣を持っていると、三日後にマヒし、さらに三日後に意識を失い、一週間後に死に至るんだ」
 手に持った剣を掲げて見せる。
 シャロンの顔にさっと怒りが走った。
「あなた、何考えてるの? ――私がそんなもの、受け取るわけないでしょう!?」
「そんなぁ。受け取ってよ」
 シャリはこの世の終わりのような顔でそう言った。これはかなりうまく行ったらしく、シャロンの表情が見る見る心配そうな物に変わった。
「……その剣を私が受け取らないと、不都合でもあるの?」
「失敗すると、悪い仲間に殺されちゃうかも知れないんだ」
「悪い仲間って」
 シャリはにやっとした。
「ジュサプブロスとゾフォルとエルファス」
「どっちかって言うと、あなたが彼らを殺す方でしょう」
 うんざりと、それでいてどこかほっとしたように、彼女は言った。
 シャリは愉快になって笑い声を上げた。全く、彼女はどうしてこんなに自分の事を気に掛けるのか。

 そこを指摘すると、シャロンは顔色を変えて腰を浮かせた。
「わ、私はただ、――
「もっと小さい声で言わないと、仲間が起きるよ?」
 シャリが言うと、シャロンは忌々しそうな顔になる。ああ、楽しい。
「その、私は、……敵でも死ぬって言ったら寝覚めが悪いから」
 今の状態でも、十分寝覚めが悪そうなシャロンだが、シャリはそこは指摘せず、微笑んだ。
「じゃあ、この剣、受け取ってくれるね?」
「それとこれとは話が別よ。そもそも、どこからどこまでが冗談なの?」
「うーん、半分くらいは冗談かな」
「馬鹿じゃないの!?」
 シャロンは頭を抱えて、唸り出した。
「いつも思うけど、人をからかうのもいい加減にして!」
「それは無理だよ。だって、」
 シャリは顔を近づけて、彼女の耳元に囁いた。
「シャロンをからかうのは唯一の楽しみなんだから」
「馬鹿!」
 シャリは顔を離して、くすくす笑うと、立ち上がって背を向けた。
 後ろから、少し怒ったような声が掛かる。
「……もう行くの?」
「まぁね。僕も忙しいからさ」
「そう」
 彼は、その拗ねたような声を聞いて、彼女に見えないように、ほんの少しだけ笑った。
 とりあえず、彼女をからかうと言う目的だけは果たせたので良しとしよう。

 ◆◆◆

 シャリは結局渡せなかった剣を見て、ちょっとため息をついた。渡さなくちゃいけなかったのだけれど、渡せなかった。
『三日後にマヒし、さらに三日後に意識を失い、一週間後に死に至る』
 と言うのは本当だったから。

 さて、これを頼んできたジュサプブロスには何て言い訳すればいいのかな。
 シャリはこの後の事を考えて憂鬱になったが、いずれにしても唯一の楽しみを奪われるよりはマシだったので。

END


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SSでした。 最後の方テンパってます。 (作者が)