白目を剥いて、痙攣し――やがて彼女の腕で動かなくなる、ゾフォル。
「ゾフォル……!」
彼女――ラシェルはこみ上げる涙を拭こうともせずに老人の遺骸を抱きしめた。
「そんな……そんなぁ! いったい誰が!」
それは、ゆけむりの中で起きた惨劇。憂愁の少女が巻き起こす、残酷な……
■*■*■*■
「ねねね、ラシェル様〜! 皆も聞いて! 今巷で話題の、バイアシオン大陸有数の名湯って、ご存知ですか? え、知らない? 実はぁ、それがなんと、賢者の森にあるらしいんですって。 行って見ませんか? 何ならこっそりお湯持って帰って売ればボロ儲け! きゃっ!」
赤髪の女冒険者、ラシェル・ルーは小さく息を呑みこんだ。本能という本能が、告げている。すなわち――
逆らうな、この女にだけは。
この女の名はユーリス。ラシェルのパーティーに欠かせない魔道師であるが、その本性はと言えば――
「さ、ここにたっくさん空瓶を用意しておきましたよ! 私ってば偉い!」
ユーリスはうきうきとバックパックをラシェルに差し出した。
ラシェルはそれを受け取りながらも、上目遣いに恐る恐る尋ねる。
「ね、ねぇ……私一人で?」
そのとたん、ユーリスの笑顔が凍りついた。まるで氷が溶けるように眉がつり上がり、唇は残酷そうにひん曲がる。
「何甘っちょろいこと言ってるんですか、無限のソウルさんよぉ。え? あなたが金の生る木を取りに行ってる間に他のメンバーは、依頼をこなした方が効率いいでしょう?」
「ひぃぃ」
隣で同じパーティーのナッジが悲鳴を上げる。
ラシェルはまたユーリスのわがまま大王が始まったと思った。だがたとえ内心百っぺんほどため息をついていようと、決して顔には出さない。というか、
出したら死ぬ。
ユーリスは、そんな皆の様子など全く気にした風もなくもとの顔に戻ると、にぱっと笑った。
「それに、お湯汲みなんてどんな無能でも出来ますし……あ、すみません、無限のソウルの間違いでした!」
無理があるわ!
ラシェルは内心激しくエルボーで突っ込みしたい衝動に駆られたが、いつもの事だと自分に言い聞かせる。
「あ、それからぁ」
ユーリスは思い出したように手の平を合わせて笑顔を浮かべると、首を傾げた。
「あの温泉にたどり着くのって結構大変みたいです。何でも噂では、すっごく恐ろしい……」
彼女はそこで黙り込んで、意味ありげにウフフと口元に笑みを乗せると、ヒラヒラと手を振ってくる。
「そういわれると気になるけど……ま、いいか。じゃあ行ってきます」
ラシェルはおとなしくバックパックを肩に負うと、部屋を出ようとした。
あ、そう言えば――
その前に一度だけ振り向く。
「……………………ね、私ってそんなに無能?」
皆コケた。
そんな訳で――、赤髪の冒険者、ラシェル・ルーは賢者の森をてくてくと歩いていた。
――これでもかと言うほど空瓶を持って。
優しい木漏れ日の降り注ぐ、穏やかな森だ。出てくるモンスターも弱いし……
「ま、散歩だって思えば気も楽かな」
そう言って、笑い――そしてラシェルは、はっと目を見開いた。
「人……人なの? 誰か倒れてる!」
ラシェルは大慌てで駆けだした。
そう言えば今朝、ギルドに寄ったら救出依頼を押し付けられそうになったが、まさかその……!?
果たして木立の間を駆け抜けると、誰か倒れていた。
「あ、あなたはエルファス!」
ラシェルは心底驚いて、膝をつくと抱き起こした。
白に近い長髪が草の上に広がり、いつも決して手放さない杖が脇に転がっている。
「いや! いやよエルファス! どうして死んじゃったの……!?」
「いや、僕はまだ死んでな……」
「うぅっ……かわいそうに。露出狂がたたって寝冷えしたのね」
「寝冷えで死んでたまるか!」
「だからあれほど腹巻きをつけろと忠告したのに」
「された覚えないよ……」
ラシェルは少し笑った。ため息をつく。
「で、何だってこんな所に倒れてるの? ていうか、大丈夫?」
エルファスは青白い顔をさらに青白くした。
「今さらだね……まぁいい、聞いてくれ」
エルファスはそう言うと、ラシェルの腕から身を起こして額をぬぐった。
「実は……」
「え、また回想? ちょっと待っ――
■*■*■*■
三日前……
「ぬおお! 持病の癪がぁ……!」
ゾフォルは何の前触れもなくうめくなり、のけぞってカッと目を見開いた。
「ど、どうしたんだゾフォル! 死ぬのか!」
一緒にいたジュサプブロスが林檎の皮を剥く手を止めて、びくっとなる。
システィーナの伝道師、エンシャント支部(まーつまりゾフォルの家)である。妖しげな魔法陣を描いて一人悦に入っていたゾフォルがいきなり叫び出して、わなわなと震えた。
「じゅーさぷー……」
ゾフォルはゾンビのような足取りでジュサプブロスに近づいてくる。
ジューサプーって! とうとう気でも狂ったのかゾフォル!!
思わず身を引いた勢いで、林檎の皮が切れた。
「……!! せっかく最後までつなげられると思ったのに……! つながれ、つながるんだ皮よ!」
ゾフォルはジュサプブロスの嘆きには全く無頓着で近づいてくる。
そして涙目でいると、肩をがしっと捕まれた。
「いたた! 痛いよ! どうして俺がこんな役回りなんだ!」
「温泉じゃ! この腰痛に効くのは温泉しかない! さぁわしをおぶえ! そして連れて行け……!!」
「いやだね、そんなの暇なシャリや救世主にいってくれ。あいつらは露出や回転が趣味の変態どもなんだから」
ジュサプブロスは鼻を鳴らしてのたまうが、林檎の皮剥きが趣味の男よりはマシである。
実際ゾフォルは全く気にせずに、さらに詰め寄ってきた。
うぉぉ口臭が! 何だこの息は!? カオスか、ここはカオスなのか……!?
「いいかよく聞くのじゃ……これが末期になるかも知れぬ」
な、何だこれは! 喉が苦しい! 誰か助けてくれぇ! つか、末期って何度目だよ、いい加減死ねジジィ!
「もうわしも長くはあるまい……しかしお前らが心配で、安心して地獄へ行けぬ」
この危機を乗り越えるには、やり過ごすしかない!
硬く決意したジュサプブロスは黄泉の世界に片足を突っ込みながら愛想笑いをした。
「あ、ああ……それで?」
「温泉に――」
「話つながってないし!!」
ジュサプブロスは思わずゾフォルを突き飛ばした。
そして新鮮な空気を吸うと、生きてるって素晴らしいと実感する。
ああ! 生きててよかった! ……って、ハッ! 思わず生への賛歌を口に……!?
おのれゾフォルめ……いつか林檎の皮で首を締めてやる!
ジュサプブロスはその様を想像してにやにやと笑った。
そこにシャリが入ってくる。
彼は辺りの惨状――目を潤ませるジュサプブロスと壁に頭を打って口からエクトプラズムを吐き出すゾフォル――を見ると、にっこりと笑う。
そして言った。
「温泉? いいよ。皆で行こうよ」
そんな訳で賢者の森までやって来たシスティーナの伝道師だが、それぞれものすごく不機嫌で苛々したオーラを辺りに発散していた。共通して思っていることと言えば、こうである。
このメンツと一緒に歩くんじゃなかった……!
何せこのパーティーは、すぐに倒れては遺言を残そうとするジジィ、ナゼかいつも余波をくらってボロボロ、口癖は「何で俺が」の柄悪い兄ちゃん、半裸の救世主、そして無意味に笑ったりシャウトしては騒動を引き起こすシャリ……!
それだけならまだ良かった。しかし辛いのはすれ違う人たちの噂話である。いわく――
家族じゃない?
えー、あんな家族いねぇよ。
じゃあサーカスかしら。見て、あの黒い子なんていかにも身軽そう。
もしそうだったら、どっかのサーカスから抜け出してきたのかもな。
練習が辛いとか……見てよあの子ども、すっごい光のない目をしてるわ……かわいそうに。
お前優しいな。でも、もしかしたら人買いの一団かも知れないぞ。
子ども連れで?
いや、あの子どもが奴隷なんだよきっと。隣を歩いてるあの兄ちゃんだって、見ろよあのみすぼらしい服。髪だってあんなに真っ白になって、よっぽど苦労したんだろうなぁ……
ねぇ、じゃあ、あのお爺さんはもしかして、人買いの親分かしら?
そうに違いないよ。んで、そのすぐ後ろ歩いてるメガネの兄ちゃんは孫かなんかだね。ホラ、顔色の悪いところがそっくり――
瞬・殺
一行はますます不機嫌に歩いていたが、そのうちシャリとゾフォルが何か言い争いを始めた。
「ちょっと許せないなぁ。僕の事をキョンシーだなんて……札、ないでしょ?」
※キョンシー、中国かどっかのばけもの。札貼らないと動かない。動きが面白い。
「いいや! お前さんはキョンシーじゃ……その邪悪さは違いあるまい!」
「さっきローブの裾踏んだ事、まだ怒ってるの? わざとじゃないっていってるじゃん」
「いいや、顔が変じゃった!」
シャリの眉がぴくりと動いた。エルファスが顔を青くして後ずさりする。
「……悪かったね変な顔で。もういいよ。ゾフォル爺さんなんて蛙になっちゃえ!」
ボンっ!
突然ゾフォルの体から煙が吹き上がり、かと思うと現れたのは――
一匹の不気味なトノサマガエルだった。
『ゾフォルー!!』
ジュサプブロスとエルファスはいかにも悲劇的に叫んだが、一瞬のうちに目配せしてエルファスが穴を掘り始め、ジュサプブロスが蛙を捕まえようとじりじり近づいた。
埋める。絶対埋める!
しかし、蛙はジュサプブロスが近づくや否や、危険でも感じたのか『ゲコー!』と叫びつつ森の奥へと入って行ってしまった……
■*■*■*■
「で、どうしてあなたはこんなところで倒れてるのよ話がつながらないじゃない、って前にも言った気がするわね、コレ」
ラシェルが頭痛を感じつつ聞くと、エルファスはふっと遠い目になった。
「そう、あれはその後の事で――」
「やめて! 回想禁止!」
ラシェルが慌てて止めると、エルファスは不満そうに口を尖らせた。
「ジュサプブロスに殴られたんだよ……」
「何で」
「逃げようとするから、止めようと思ったんだ。全く馬鹿だよあの男は。……姉さんにも殴られたことないのに!」
ラシェルは盛大にため息をついた。
「……で、ゾフォルは蛙になってどっかに行っちゃったって? それで、シャリは」
エルファスは小さく肩をすくめると、目を伏せた。
「さぁね。ゾフォルを蛙にした後、すぐに消えた……シャリめシャリめシャリめ……今度ワラと釘で呪ってやる……」
丑の刻参りかよ!
ラシェルは一瞬、このまま放置して先に進もうかと思ったが、あんまりだと思い直してがっくりと肩を落とした。
「温泉に行くついでに、ゾフォルとシャリを探してあげる。トノサマガエルだったっけ? シャリならきっと魔法も解けるよね……」
エルファスに元気の薬を飲ませて(※元気の薬は塗り薬です)さらに森の奥へと進んだラシェルは、戸惑って足を止めた。
「この道、先に行くともう猫屋敷だけど、温泉っていったいどこにあるのよ……」
「お困りですか?」
「わっ!」
突然声をかけられて、ラシェルは思わず飛び上がった。振り向くと、立っているのは――
「お、オルファウスさん……」
「お久しぶりですね。いやとってもお久しぶりですよ」
彼はそう言っておっとりした笑みを浮かべるが、目は全く笑っていない。
「最近は本当に猫屋敷にも来てくれなくて……そんなんじゃ、ついうっかりアーレーと手をすべらせて、転送装置で呼んじゃったりするかも知れませんよ」
「は、はぁ……すみません」
何か逆らわない方が良さそうなオーラをぷんぷん発散していたので、ラシェルは素直に謝った。
……釈然としないものは感じるが……
「ところで、あなたも温泉が目当てなんですね? そうでしょうそうですか」
賢者様は何もかもお見通しらしい。
ラシェルが頷くと、彼はくすっと笑った。
「いや、若いっていいですねぇ……ですが、無論タダで入れるなんて思ってはいないでしょうねぇ?」
「ええ! お金いるんですか……」
所持金:ユーリスにぶん取られてゼロ。
いわくラシェルに持たせるとどこで落とすか分からないそうだが、はっきり言って余計なお世話な上に、財布を落とすか財布の中身が消えるかの違いでしかない。ユーリスめ……仕方がない、借りようか……
と思って賢者を見ると、
「いいえ」
オルファウスは首を横に振って小さく笑った。
よ、よかったー、借金頼む前で……
「あのお湯は私の最高傑作なんですよ……誰にでも入らせるわけには行きません。まして枯れたジジ――もとい、ご老人なんて入れたら、湯もけがれ――いえ、ちょっと気分が悪いですしね」
その時、ラシェルは不意に気づいた。
この賢者、ユ ー リ ス と 同 属 性 だ……!!
そこでラシェルは何とか顔に笑みを乗せて、ちょっと腰を引き気味に尋ねた。
「じゃ、じゃあどうすればいいんでしょう……?」
「あれを見て下さい」
「?」
ラシェルが彼の指差す方向を見ると、――!!
ザバー……
何もない空中から、突然大量の水が滝のように流れ落ちた。鳥が慌てたように飛び去り、あっという間に地面がぬかるむ。
やがて水の量がおさまってくると、ずりずりずり……と水と一緒に黒っぽい何かが流れてきた。
ラシェルはおもむろに口を開く。
「ゴキ○リ……?」
「いや、鴉の死骸でしょう」
「鳥だ!」
「ヒーローです!」
『いや、あれは……!』
シャリだった。
なぜかシャリが流れてくる。
ラシェルは思わずザブザブと駆け寄って、なおも流れようとするシャリの腕を掴んだ。
「大丈夫……ってうわ!」
ぽろっと腕だけが取れてラシェルの手に残る。
ううう、腕がぁ!
「やっほー、驚いた? ラシェル」
「その声は、シャリ!?」
驚いて顔を上げると、空中にふよふよとシャリが浮いていた。腕ついてるし。じゃあこの腕は……と自分の手に残る腕を見ると、不意に消えてしまった。
なんと ラシェルは からかわれた!
「……シャリめ……」
「あの、せっかく怨嗟にまみれた個人復讐的な声をお邪魔して申し訳ありませんが、とりあえず話を聞いていただけますか?」
「あ、はい……すみません」
ラシェルは我に返って、聞いた。
「あの湯には、魔法を打ち消す力があります……恐らくそれを求めて、ゾフォルさんも湯を目指そうとしたのでしょうが、」
「ゾフォルが来たんですか!?」
「ええ、かわいい」
彼はクスクスと笑った。
「蛙の姿で」
「……」
「で、この先はちょっとしたテーマパークというか、アスレチックになってまして」
「は?」
「そこを突破すれば温泉までたどりつけますよ」
「……暇なんですね」
ラシェルがそう言うと、オルファウスはにっこり笑った。