〜〜十分後〜〜
ラシェルはぜーぜーと肩で息をしながら、剣を置いてへたりこんだ。
オルファウスは相変わらずニコニコと笑っているが、その笑みからどこか邪悪極まりないオーラが漂っている。
「わ、……分かりました、行きますよ……で、どこから入れるんですか、そのアスレチック――いや、作品へは」
この人にも、逆らうまい……
ラシェルは脳内要注意人物リスト(あいうえお順)にオルファウスの名前を書きこんでおいた。
「そうですか? もうちょっと遊んでも良かったんですけどね」
賢者が言うと、ラシェルの目の前に忽然と扉が現れた。
「わっ!?」
「その扉から先が私の作品になっているんですよ。素晴らしい出来と皆さんに絶賛されましたし、ご安心を」
「あの、……『皆さん』て……」
「ネモやネメア、ケリュネイアですが何か?」
………………逆らうまい。
「いえ、じゃあ行ってきます」
ラシェルが渋々扉に手をかけると、後ろから声が飛んだ。
「で、シャリ君はどうしますか? 三回目の挑戦と行ったらどうでしょう」
肩越しに振り返ると、のんきな顔をしたシャリと(三回目ということは、さっきの水はアトラクションか何かの……どう言うのを作ったのよオルファウスさんは)オルファウスが、何かぴりぴりしたものを漂わせて対峙していた。
「あのお湯が欲しかったのでしょう?」
「もういいや。だってラシェルが行ってくれるみたいだしね。僕は高みの見物と洒落こもうかな」
シャリがこちらを見てちらりと笑う。しかし少し複雑そうな顔だ。
ラシェルは思わずそっぽを向いた。
「もうどうでもいいけど、私は行くよ。あ、シャリ、お湯欲しいならお金払ってね」
「えー、いいじゃんタダで。ちょっと解きたい封印があるんだよ」
「……私は、その封印っていうのが気になるけど、別に構わない。だけどユーリスが頷いてくれないの。じゃあね」
もう振り返らず扉を開けた、その時――
「おや、それは困りましたね……さっきも言った通り、お湯を売られたりしたら困るんですよ」
ぎょっとして振り向くと、オルファウスが秘密めいて笑った。
「というわけで、シャリ君にも行ってもらいましょうか。君の力を封印します」
賢者が言うなり、シャリはバランスを崩したようになって、地面に落ちた。
「ん……あれ、困ったな。力が使えない」
「何ですって……」
いやな予感に、ラシェルは身震いする。
案の定、シャリはこちらを見て小さく微笑むと、手を差し出してきた。
「ねぇ、そういうわけだからさ、連れて行ってよ」
「はぁ? 何で……」
「だってお湯を使えば、封印解けると思うし。かと言って、ここで賢者様を相手にするのも、ねぇ」
「……じゃあ、ここで待ってて。取ってきてあげる」
「あ、それは」
オルファウスが口を挟んだ。
「駄目ですよ。おいたしちゃ」
……………………逆らうまい。
「それにねラシェル」
シャリが不意に口を開いた。
「あんな広いところで蛙一匹なんて見つからないよ。……フフ、僕が力を取り戻したら、一発で探してあげる」
何で知ってるのよ……
「……あのね。もとはといえば、あなたがやったことでしょ?」
「だから?」
シャリが心底不思議そうに首を傾ける。
その様はかわいいのだが、言ってることは邪悪極まりない。
「あ、今なら素敵なプレゼントもつけちゃう! 僕って親切だね!」
「別にいらな――」
「ホントすごいからさ、期待していいよ。くすっ……」
「……」
ラシェルは渋々シャリの手を取ると、扉の中へ飛び込んだ。
二人はじめじめした洞窟を歩いていた。足をすべらせないように気をつけ――、
カチッ
スイッチの入るような、縁起の悪すぎる音に振り返ってみると、シャリがテヘヘと笑った。
「あ、ごめん何か踏んじゃった」
「なにーーーー!? またかーーー!!」
ラシェルが叫ぶ暇もあらばこそ。
すぐに大量の水が前方の通路から押し寄せ、ラシェルの体は水に呑まれた。
……
「何回目よ、こうやって最初に戻されるのは……!」
「アハハ、確か三回目だね」
「わざとやってるでしょ、やる気がないなら置いて行くわよ」
ラシェルは憤然とびしょ濡れの服を絞って、立ち上がると歩き出し――
ポチッ
『あ』
足元の出っ張りをふんづけてしまった。ラシェルは青くなって前を見るが、もう水はこない。
不発? よかっ――
ガーン……
突然頭頂を殴られるような痛みが襲った。涙目になりつつ見ると、――黄金色のタライが落ちている。
「えーと……頭がタライに直撃かしら」
「それ逆だよ。大丈夫?」
シャリが笑いをこらえながら近づいてくる。
ぽちっ
『あ』
なぜかラシェルの真横にある壁から銀色の筒が延びだし、そしてそれは火を吹――
ゴォォォォォ
……
「けほっ……」
ラシェルは黒焦げになった自分の髪を触って涙目になった。
そして爆笑して笑い転げているシャリを振り返ると、きっとなった。
「絶対わざとでしょ! もういいわ!」
「だ、大丈夫……?」
シャリはなおも肩を震わせながらラシェルに尋ねてくるが、ラシェルは首を横に振った。
「もう知らない。私一人で行くから。あなたなんて野垂れ死にすればいいんだわ」
そしてクロースの袖で、煤だらけの顔を拭くと、一人歩き出した。
シャリと別れて小一時間ほど経っただろうか。
目の前に巨大な岩戸があった。どうあっても開きそうになく、他の道もない。
「どうすればいいのよ……」
思わず頭を抱えるラシェル。
「引き返す……? でもユーリスが」
きっと鬼のような顔で迫ってきて、『……で、金はぁ?』
……!!!
ラシェルはさっと青ざめて震えた。
「あ、あり得ない……それだけは!」
「手伝いが必要?」
足音と共に、後ろから黒い影が現れた。
ラシェルは考えるような素振りをいて、おもむろに口を開く。
「ごめん、誰?」
黒い影――シャリは沈黙した後、冗談と取ったのか微笑んだ。
「二人で協力したら、開くかもよ?」
「……この奥から、蛙の鳴き声がするのよ」
ラシェルは岩戸をコンコンと叩いた。そして首を横に振る。
「だけどいらないわ。絶対あなたの助けなんて」
「つれないね」
「……私、怒ってるの。だから話しかけないで」
シャリは意を得たように笑った。
「でも、協力がないとその扉、開かないよ? 最終的には僕が欲しくなるんじゃない?」
言い方の微妙さに、ラシェルは少し狼狽したがすぐに正気づいて、岩戸に向き直った。
「何よ、見くびらないでよね。これくらい……!!」
ラシェルは岩戸に両手をついて、「ふぬぬぬ」と力を込めた。
「くっ……はぁ……」
しかし開かない。どうしても開かない。
「そろそろ諦めて、僕に頼んだら? そしたらすぐに開けてあげるのに」
「うるさいわね!」
ラシェルは振り返って、怒鳴った。
自慢の髪だったのに……!!
「大体、力もないシャリなんて……ただの嫌味なガキじゃない。そんなのに力を借りようとするほど、私弱くないわ」
「でも、開かないんでしょ? 困ってる時は助け合おうよ、ね」
「うるさいっていってるでしょ!」
ラシェルは苛立って岩戸を蹴りつけた。
ギギ……ギィ……
「え?」
ばったーん……ぷちっ
い、岩が倒れた……!? あんなしょぼい蹴り一つで?
もうもうと土煙が上がり、思わずラシェルは咳き込んだ。
「でもなんか、今変なぷちっていう音が……」
「ラシェルって、」
何かとシャリを見ると、彼は少し引いていた。
「怪力さん?」
「どこの誰だそれは! 女の子に怪力いうな!」
とりあえず突っ込みを入れて、ラシェルは内部を調べるために進んだ。
中は暗かったが、とりあえず目が慣れてくると浮かび上がったのは――
「か、カエル……!」
何と蛙が岩の下敷きになっているではないか。細く痙攣していた蛙は、すぐにボンッと音をたてて、なんとゾフォルの姿になった。無論下半身は岩の下敷きになっている。
「まさかとは思ってたけど……」
ラシェルはおそるおそる彼を抱き起こした。
白目を剥いて、痙攣し――やがて彼女の腕で動かなくなる、ゾフォル。
「ゾフォル……!」
彼女――ラシェルはこみ上げる涙を拭こうともせずに老人の遺骸を抱きしめた。
「そんな……そんなぁ! いったい誰が! こんなひどいことを!」
「君だって」
律儀に突っ込みを入れてくるシャリを振り返って、ラシェルは我に返ると言った。
「って狼狽のあまり現実逃避しちゃった」
「現実逃避だったんだ」
「うっ……と、とにかくどっかに運んで手当しないと……まずは岩をどけて、ほら何してるの? シャリも手伝ってよ」
シャリは意地悪そうに笑う。
「僕はいらないんでしょ?」
ラシェルは渋面を作って、じっとシャリの黒瞳を見つめた。
「……ごめんなさい」
「え? 聞こえないな」
「ご・め・ん・な・さ・い!」
強く言うと、シャリはクスクス笑った。
「とにかく、あなたは岩のそっち側を持って、私はこっちを持ち上げるか……ら――!?」
シャリが事もなげに手をかざすと、即座に岩が消えてゾフォルの体を淡い光が包んだ。産毛の震えるような精霊の感じからして、シャリが使ったのは回復魔法だと分かる。
え、何。じゃ、最初っから力なんて封印されてなくって、つまり今までずっと騙され――
「シャリーーーー!!!!」
オルファウスは屋敷でお茶をすすりながら、小さく微笑んだ。膝の上にいたネモが、不穏なものを感じ取ったのか逃げて行くけれど気にしない。
「おやおや、いけませんねぇ。女性を怒らせては……」
そうしてもう一度カップに口をつけ、言葉をつぐ。
「ま、ここは若い人に花を持たせてあげようと思いまして、ちょっと一芝居ね……ふふふっ」
ラシェルはゆけむりの中、岩場に腰掛けて呆然としていた。下の温泉から、ゾフォルが「ヒャッホー!」と叫ぶ声が聞こえてくる。
「へぇ〜、そんな事が。ラシェル様、大変でしたね」
帰りが遅いのを心配してやってきてくれたユーリスが言った。
ラシェルは頷いて、お湯入りの瓶をたっぷり詰めたバックパックを渡す。
「ありがとうございます。これで旅費が浮きますね!」
依頼、完了。
「怪我とかしなかった?」
同じく心配して来てくれたナッジが尋ねてくるが、ラシェルは生返事を返すのみにとどめた。
怪我なんてない……体には。
と、その時シャリが、ゆけむりの中から姿を現す。
「……何か用?」
疲れた声で尋ねると、シャリはすぐ目の前まで近づいてきて、可憐な微笑みを浮かべた。
……最も可憐なのは笑顔だけだが。
「そういえば、プレゼント、まだだったよね?」
「別に、いいよ」
答えると、彼は口の中で笑って、顔を近づけて――、
唇が、触れた。
「きゃー!」
ユーリスが嬌声を上げる中、ラシェルは衝撃のあまり体から力が抜け――
ひゅるるる……ざばーん。
温泉にダイブした。
「シャリの……がぼっ……バカぁ!」
ラシェルは叫んだ。
だが、それを聞く者は既になく、彼女は一人怒鳴り続けた。いつまでも、いつまでも……
めでたし、めでたし(?)
end