黄泉の乙女とピンクのリボン ワン。ホップ

 かつてはかの戦王、メガ・ディンガルの住まった地に、その城はあった。重々しく立ちふさがる門、鈍く光る虎のような眼差しで跳ね橋を睨む門衛は、あいまって堅牢そのものと言った様相を呈している。

 睥睨するように磨き上げられた胸壁はぬらりと光って、さながら魔城めいて人々の胸を打つ。――否、その光はむしろ、不遜な視線を送る猛者どもを貫いて、尻尾の切れた狼のように悄然とさせるのである。

 そしてかの城、かの国を治めるほどの王とはいかようなものか。愚王か、それともかのアルキュオネのごとく賢き王なるか。
 ――いずれも否であった。
 たとえ天地開闢五百年が経とうと、これほどの傑物が生まれるものか。
 かの男は、否、男と断ずることすらためらいを抱かせるかの『王』、まさしくその王はふさわしき場、すなわち玉座に腰を下ろし、その眼を平伏した数人の男女に向けているのである。

 王の瞳は冷たく凍っていた。そして時折炎のように燃え上がり、また絶対の霊気を宿すのである。王はその巌のように結ばれた唇を開いた。
 凍れる吐息のように、声が世界を揺らす。
「カルラ――あの娘が動く。お前たちはその動向さえ、探ればいい。それ以上は求めぬ」
 もっとも王に近い場にて、まるで男女の先導者は自分であるかのように堂々とした少女は口を開き――


「  絶対、い・や!!  」

 真っ赤な髪の少女はへっと吐き捨てて、冒険者仲間たちを振り返った。
 少女――ラシェルと同じように、他の面々も皆困惑したような、それでいて諦めたような生温かい微笑みを浮かべて立っている。
 ちなみに仲間は三人。ユーリスナッジレルラ以上。
 ラシェルが自分の仲間をうながし、てくてくと歩き去って行く。曖昧な微笑みのまま、ラシェルの仲間達もそれに続いた。
「ちょ、ちょっと待て!」
 珍しく取り乱したような声で、ネメアはその背に手をのばした。それでも顔の表情そのものは彫像のように動かない。
仏頂面もここまでくると、すでに神業である。
「まだ用があるの? 私達、これでもけっこう忙しいんだけど」
 燃えるような赤毛をひるがえし、ラシェルがネメアに向かって言い放つ。あまりにもそっけない声。
 ネメアのこめかみに、じわりと汗が浮いた。彼はそのまま、上げかけた腕をどうしていいのか分からないらしく無意味に右往左往させ、ようやく腰の辺りに落ち着けた後、冒険者たちの冷ややかな視線に気づいて大きく咳払いをした。顔はカルラ像のように硬直したままで、手元だけが落ちつか投げにワキワキしている。
 ユーリスがその手の動きをじっと見守って、口の端に『獅子帝もこんなもんか』というニュアンスありありの笑みを刻んだ。
「報酬は出す。今日はそのためにお前たちを呼んだのだ」
「うん、確かに呼び出されたよね」
 ネメアの焦ったような声に、ナッジが律儀にも頷く。声そのものは穏やか極まりないが、笑顔がいつもと違って微妙に引きつっていた。
 リーダーを自認するラシェルが冷たく目を細め、挑発的に顎を引く。
「悪いけどネメア、ちゃんと覚えているわ。呼び出しが来たのは今日のことだもの」
「そうだろう、きっとそうだと――
「まぁ、」
 ラシェルはミルクのしみこんだ雑巾でも扱うような手つきで、一枚の羊皮紙を取り出した。そのまま彼女が空中で手を離すと、紙が宙に舞う。その表面には、端整な文字が刻まれていた。
『緊急事態発生、ただちに政庁まで来られたし。人の生死に関わる重要な依頼あり』
 ラシェルたちは、その紙を取り囲んで、親の仇でも見るような顔で睨み出した。
 ネメアの頬を伝う汗が増える。
「べ、別に普通だと思うのだが」
「普通? 冗談でしょう――
 ラシェルがきっと顔を上げ、挑みかかるような鋭い視線をネメアに飛ばした。
「別にこれだけなら構わないけどね――いくらなんでも、あんな深夜にわざわざ起こしてまで手紙渡してくるから、どんな緊急事態かと思って来てみれば、カルラの動きが怪しい、何か企んでいるようだから調べてくれ……ですって!?」
 ラシェルはひるむネメアの前で、羊皮紙を踏みつけて歯を食いしばった。すさまじい形相に、ネメアどころか仲間達まで引いている。
「ふざけないでよ! こっちは、依頼で疲れて夢の中でしか安らぎを味わえないほど忙しいのに、こんな風に起こされたんじゃたまらないわ。だいたい、カルラの言動が怪しいのはいつものことじゃない!」
「うわっ……」
「言ってはいけない一言を……」
 あまりの言い草にレルラ=ロントンが青ざめ、ユーリスが目を光らせた。
 ラシェルはと言えば、そんな周囲の反応も気にならないほど疲れているのか、ぎらぎら光る目をネメアに向けて疲れたように微笑んだ。
 ネメア、絶句。
「じゃあ私、帰るけど、いいわよね? 夜更かしは美容に悪いんだしね。……お分かり?」
 ネメアはその、ラシェルのねちねちした言葉のうちに何を感じ取ったのか、ただ機械のようにガクガクと頷く。
 ラシェルがそれを見て、満足そうに一つ首を振った。そして他の冒険者を引き連れて退室して行く。
 一人取り残されたネメアは、ぽつんとたたずみ、一言だけ感想をもらした。
「……人とは、変わるものだな」
 しかし明らかに一番変わっているのはネメア本人だった。誰もそれを突っ込む人間がいない中、時間だけが無為に流れる。

 彼は知らなかった。これから自分が受ける運命を――呪われた宿命を。







 ジュサプブロスとエルファスは、目の前に広がるありえない光景を前に言葉を失っていた。

 メルヒェンである。ファンタジーである。
 何と言っても広がっているのはお花畑であり、しかもそこは彼等の記憶が正しければ、いや正しかろーと正しくなかろうと、まず確実に室内であったはずだ。
 よくよく見れば、草木で覆われ、夜も更けた頃だというのになぜか太陽光が照っている中、天井らしきものがかすかに覗いている。
 ということは、別に部屋を間違えた訳でも、異世界にワープした訳でもないのだろう。ここは間違いなく、いつもアジト代わりに使っている施紋院の一室だ。
 ジュサプブロスは感情が麻痺したまま、こんな時でもフル回転の理性でもって冷静にそう結論付けた。

 ややあって、エルファスの頭に、美しい蝶がとまった。

 ――ようやく、二人は我に返った。顔を見合わせた。そして全く同じタイミングで天を仰ぎ、これまた同時に同じことを考えた。
『アイツの仕業だ……!!』
 目をこらせば、部屋の中心になぜか真っ黄色のロッキングチェアがしつらえてあり、その上に一人の少年が座っている。
 彼はジュサプブロスたちが入って行っても大した反応は見せず、無感動な一瞥をよこしただけで、再び足をぷらぷらと揺らし始めた。どうでもいいが、至極楽しそうである。
 ジュサプブロスはそれを――恐らくは、この大惨事の犯人であろうシャリを見据えたまま、一歩前へ出た。
「それで、この有様はいったいなんだい?」
 口調こそ穏やかだし微笑みすら浮かべているジュサプブロスだが、色のついた目がねの奥にある目は全く笑っていない。それどころか殺伐としてすらいる。
 エルファスがさりげなく、そんな彼から距離を取った。
 そんな水面下のやりとりに気づいているのかいないのか、少年……シャリがおもむろに二人に視線をやり、不意ににっこりする。
「やぁ。お帰り」
 少年は言うなりロッキングチェアから飛び降りて、二人に近づいた。
「あれ、二人ともどうかした? 苦虫噛み潰したような顔して」
「どうしたもこうしたもない……いったい、この有様は何だと聞いているんだよ」
 ジュサプブロスが叩き付けるように言うが、シャリは全く顔色を変えなかった。
「ああ、飽きたからね」
「ハァ?」
 ジュサプブロスが妙な顔で聞き返す。
「だから、飽きたんだよ。ほら、生活には潤いがなきゃさ」
「で――
 それまで黙っていたエルファスが心底嫌そうな顔で口を開き、手に持った杖で辺りの悲惨な状況を指し示した。
 お日様ぽっかぽか。お花るんるん嬉しいな。今にもどこからか妖精か何かが出てきそうな雰囲気である。
 どう考えても悪の秘密結社という雰囲気ではない。一体全体どんな秘密結社だ。
「これか」
 エルファスは冷たい声でそう言って短くため息を吐く。
 シャリが不思議そうに眉根を寄せた。
「お気に召さなかった? これでもがんばったんだけどなぁ」
 響き渡る含み笑い。辺りは花畑だというのに、そこだけ身も凍るような空気が立ちこめた。
 ジュサプブロス、顔の筋肉が引きつっている。
「で――遺言はそれだけかい?」
「は?」
「思い残すことはないか。後でバケて出られちゃ困るんでね」
 ジュサプブロスは言下に刃を抜き放ち、その艶やかな刀身を光のもとにさらした――いや、ぽかぽかしたお日様の下だったが。
 シャリは目をぱちくりした。
「あれ? 何怒ってるの?」
「怒らいでか!」
 ジュサプブロスが叫んで、荒々しく斬りかかった。まさに刃が触れる刹那、シャリの姿は掻き消え、一瞬にして室外へ脱出する。
 ジュサプブロスは窓に駆け寄り、月を背景に宙に浮くシャリを見て、暗い笑い声を上げた。
「さぁ降りて来い、シャリ。決着を着けてやる」
「僕はそう言うの、遠慮するよ。別に戦うの好きな訳じゃないしね」
『……』
 かわされた視線に火花が散り、二人は目を細めてお互いを睨んだ。
 その時、一触即発の空気を破って、夜空に雷がひらめいた。正確にシャリの小柄な体を狙って放たれたそれは、シャリが手をつき出すと一瞬にして霧散する。
 杖を掲げたエルファスが、あからさまな舌打ちをした。
 シャリはつき合いきれない、とでも言いたげに大きく腕を広げて肩をすくめ、皮肉な笑みを口元に刻んだ。
「あーあ、ここでも嫌われちゃったみたいだね。おーコワ。ほとぼりが冷めるまで、雲がくれしようかな」
「永遠に帰って来なくていいよ」
 エルファスが切るように告げる。
 シャリはそこで初めて、当初からのふざけた態度を崩した。口には依然笑みがあるが、暗い空気が増す。
「へぇ。そういうこと言うんだ。誰のおかげでここまでやって来れたと思ってるの? それは当然――
『僕(俺)のお陰』
 三人の声がかぶった。
 
 ―― 一時間後。
 お花畑の中心で、エルファスとジュサプブロスは死んだようにぐったりしていた。愛を叫ぶ間もなく死にそうである。シャリの姿はない。彼は数分前に捨て台詞を残して去っていた。
 数分後、ゾフォルは入ってくるなりあまりの光景に卒倒した。



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 つ、続きはすぐに。短くて申し訳ないですっ……