ネメアの依頼を一言で蹴って玉座の間を出たラシェルたちは、めいめい好き勝手なことを言い合いながら歩いていた。
「それにしても、ネメア様があんなこと言うなんて思っても見ませんでした! ショック!」
ユーリスが大げさに嘆いて見せるのを見て、ラシェルが悩ましげなため息を吐く。
「悪い人じゃ、ないんだけどね……さっきは言いすぎたかな」
「いや、あれくらいじゃないと詩にできないよ」
レルラ=ロントンの青い目に、涼しげでいたずらっぽい光が瞬いた。
「詩にする気だったんだ……」
ナッジの頬に汗が光る。
「うん。僕は詩人だからね――だけど、」
曲がり角の前で、レルラは足を止めて微笑む。
何事かと、他の面々は訝しげな視線をパーティーの盗賊役に向けた。
「どうやらこの詩は、そう簡単には終わってくれないらしいね」
「どういう――」
ラシェルが聞き返そうとする間もなく、辺りにひそやかな笑い声が満ちた。
彼女等が顔を険しくして武器を構える間に、ちょうど曲がり角から一つの影が顔を出す。
「久しぶりだね。ラシェル。元気だった?」
ラシェルは唐突に現れたシャリを見ても顔色を変えず、ただ辛そうに唇を噛み締めた。
シャリがそれを見て心外そうな声を上げる。
「あーあ、ラシェルまでそんな顔するんだ。全く、僕はただ立派にお勤めを果たそうとしてるだけなのにさ!」
そう言って、シャリはなぜか血痕のこびりついた自分の服を軽く叩いた。
その血痕を見た誰もが、とっととこの場面から逃げ出して遊び呆けたいと思った。無論誰一人として『その血痕は何なのか』という問いを発したりしない。探り合うような視線が飛び交った。
そして満ちる、お互いに発言の義務を擦り付けるようなぴりぴりした沈黙。ラシェルは耐えかねて、渋々ながら口を開いた。
さすがにパーティーの先導役は違う。まさしくリーダー。
「……な、何か用でもあるの? シャリ」
……及び腰である。
シャリはそれがおかしかったのか無邪気な笑みをもらし、わずかに顔を傾けた。チラチラといたずらっぽい光が見え隠れする。
「用? 用なんて、ないよ。用があるのは君達でしょ?」
「私達は別に――」
「ネメアの依頼、受けなくて良かったのかなぁ」
シャリは出し抜けにそう言って、わざとらしく悲しげな顔を作った。
「もしもカルラが本当に何か企んでて、ネメアが暗殺でもされるような事があったら……」
「暗殺!?」
「それってラシェルのせいだよねぇ。かわいそうなネメア。ラシェルのせいで殺されちゃうなんて」
シャリはそう言って、目元の涙をぬぐう――ような仕草をする。当然その目元はカラッカラに乾いているわけだが。
ラシェルはシャリの誇大妄想発言に目を剥いて、もはや言葉もなく口をぽかんと開けている。
彼女はようやく口を閉めると、中途半端に腕を上げて自分を指し示した。
「なに、それって、私のせいなの……?」
「陥れた本人は、きっと永遠にネメア殺しの罪を背負って生きるんだよ。かわいそうだよねぇ、ラシェルは」
「いつから私がネメア殺したことになってるの!?」
「早く戻ってネメア君のお願い、聞いてあげた方がいいと思うな。そうしたら悲劇も避けられるんだし」
シャリは聖人君子のような微笑みでそうのたまい、他の面々を見回した。
「ねえ、君達もそう思うよね?」
「別に……」
「ねぇ」
「まぁ……」
どうでもいいがぐだぐだである。
それまで呆けていたラシェルが、ようやく立ち直って慎重な眼差しを向けた。
「やけに、ネメアの依頼にこだわるのね……」
シャリは我が意を得たりとばかりに、にっこりと極上の微笑みを浮かべる。
「だって――」
その場にいる全員が唾を飲んだ。この得たいの知れない少年の目的が今、明かされようと――
「暇なんだもん」
ユーリスとナッジとレルラとラシェルが一斉にコケた。
「暇って何よ! 暇って!」
真っ先に立ち直ったラシェルが食って掛かった。シャリはひょいと肩をすくめ、
「まぁいいじゃないか。ねぇ、僕のためにもっと面白いことしてよ、ラシェル」
ラシェルは少しひるんで身を引いたが、すぐに眉を吊り上げて苛々とそっぽを向いた。
彼女の後ろでは、ユーリスが一人でキャーキャー言っている。
ラシェルはそれを聞いて諦めたような吐息をついた後、きっと目元を厳しくしてシャリに向き直った。息を吸い込む。
「嫌よ!」
「いいの? そんなこと言って。困るんじゃない?」
「何で」
ラシェルは胡乱な目でシャリを見た。
別に弱みなんて握られてはいないのである。何をされようと、彼女にとっては関係のないことだった。
シャリはそんなラシェルの様子を見て、むしろますます楽しそうに、フフフと笑って唇に人差し指をあてる。
「皆に言いふらしちゃおうかな。あの事」
彼はゆっくりと、三日月のように目を細くした。
ラシェルはその動作を見て、訝しげに目をすがめ――次いでタコのように赤くなった。
以前――ラシェルにとっては思い出したくもない記憶だが、シャリにキスされたことがあるのだった。それを指しているのだと気づいたラシェルは、羞恥のあまりぷるぷると震えた。
「あ、あれは、シャリが勝手に――」
「でもしたよね、僕達」
「そうだけど、私は別に――」
「僕には愛があったんだけどなぁ」
「うっ……」
「弄んだの? だったら僕、つい口を滑らせちゃうかも知れない――例えば往来の真ん中とかで」
「やめてよ! 冗談でしょ!? だいたい、してきたのはそっちでしょ!?」
ラシェルは青くなって、慌てたように腕を振った。
シャリは至極残念、とでも言いたそうな顔をして、ほうっと息を吐く。
「ああ、どうしようかなぁ。例えばどこかの暇な冒険者が、ネメアの依頼でも受けてくれたら、この退屈も収まると思うんだけどな」
シャリはラシェルの反応をうかがうような上目遣いで彼女を見て、付け加えた。
「退屈のあまり誰彼構わず、あの事話して周っちゃいそうだよ……」
ラシェルは何かを叫びかけ、不意に口をつぐんだ。ガクっと肩を落とし、床に落ちた影をじっと眺め出す。
その真横で、レルラ=ロントンが羊皮紙に羽ペンで何かを書き留め、満足そうにうなずいた。
「よしっ! 次の詩は喜劇だね!」
ラシェルは無言でそれを奪い取り、レルラがこの世の終わりのような顔をするのを無視してビリビリに破り捨てて焼いた。
「ああっ! 僕の最高傑作が……!!」
うなだれるレルラを捨て置いて、ラシェルは自棄を起こしたように頭をかきむしった。
「……あーもう!! いいわよ! 分かったわよ! 依頼、受ければいいんでしょう!?」
「分かってくれて嬉しいよ」
シャリはとたんにけろっとして、続けた。
「さぁ、そうと決まれば早く行こうか。楽しくなりそうだねっ」
弾んだ声を出すシャリに、ラシェルは対象的にげっそりした声で尋ねた。
「………………あなたも来るの?」
「もち!」
「……ああ神様……」
ラシェルはさめざめと目の幅涙を流した。
「私の依頼を請け負ってくれる、というのは分かった」
ネメアの眉がこころなしか一層険しくつり上がった。彼は一泊置いて「だが、」と続ける。厳しい視線を向けたのは、さながら傍観者のように脇に立って、のん気にも鼻歌まで歌っているシャリである。
「……なぜシャリがいる」
「あ、気にしないでいいよ。ホラ、空気みたいなもんだと思っててくれればいいからさ」
シャリはへらへらと答える。その口元に浮かんだ笑みは、からかうような色を宿しており、それを見た獅子帝の相好 がますます歪んだ。
彼の脳裏には、シャリによってもたらされた数々の災厄が――主に帽子事件とか帽子事件とか帽子事件とかの悪行が――蘇っていた。
場面は再び、玉座の間である。ネメアは今や玉座の背もたれに身を預け、威風堂々とした王の貫禄をまとっていた。
この国の帝王に問うような視線を向けられたラシェルは、慌てて手の平をパタパタと振る。
「彼? いや他人ですから。ええホント」
とたんラシェルに向けて、シャリの揶揄するような視線が飛んだ。
そのくっらーい瞳が語っている。いわく、『お前フォローしろよ。でないとホントにバラすぞワレ』
ラシェルは、個性溢れる愉快な仲間達のお陰で不必要に鍛えられた観察眼で持ってそう読み取ると、刹那の間シャリに負けず劣らず虚ろな目になった。
「……えー。ええ、ええっと、以前のことは水に流して、仲良くやりましょうよ、彼だって、ホラ、改心してるワケですし、ね」
ラシェルは完全に棒読み口調でそう言ったが、シャリの視線がいよいよ冷たくなったのを感じて、無理やり微笑んだ。
毎日ユーリスにからかわれるだけでもういっぱいいっぱいの恥ずかしい事実を、さらに広めるなんてとんでもない。特にオルファウス様なんぞに知られた日には……!!!
ラシェルはその恐ろしい想像に、顔色をなくした。そして必死に説明した。
「……し、シャリだって立派な仲間です。カルラほどの将を調査するのであれば、それなりの戦力は必要だし、その点彼なら全く問題ないわ。シャリは、依頼の達成に必要不可欠な人員ですよ。ええホント」
ちょっとあり得ないくらい熱のこもった話し振りに、ネメアは少し圧倒されたように身じろぎする。
「そ、そうか……そこまで言うなら、以前のことは水に流そう」
とたんに冷たい視線が止む。ラシェルは安堵の吐息をこぼした。
ネメアはたじろいだ自分を叱咤するように一つ咳払いした後、「依頼の内容を話そう」と告げる。
全員が居住まいを正し、愉快な仲間達の顔から冒険者の顔へと変わった。
それを見たネメアは満足そうに、わずかな微笑みを唇に刻む。
「……先ほども語ったが、最近カルラの様子がおかしい」
「へぇ。どうおかしいの? さっきから回りくどいよネメアん」
傍観一徹だったシャリが、場違いに明るい調子で尋ねた。
―― 一瞬の沈黙。ネメアの眉間に皺が寄り、怒りの四つ角が見え隠れした。
慌てたラシェルが、ネメアの怒りを阻むようにシャリの前に立ち、大げさに目を丸くする。
「わ、わわ、私も知りたいわ! ホラ、依頼の内容を確認するのは、大事なことだし……」
ネメアは何かを諦めるように深い息を吐き、それっきり眉間の皺も消して何事もなかったかのように口を開いた。
「青竜将軍は何かそわそわと落ち着かず、いつも私の首の辺りを注視している。かと思えば重要な席で上の空になり、ワイングラスを倒してしまうこともしばしば。……気になるのは、時折私を見ては含み笑いをもらすことだが――」
「ただの変態じゃん、それ」
ユーリスは事態が面白くなく、一人冷静に突っ込む。しかしその言葉はネメアも誰も聞いてはいなかった。彼女はひそかに舌打ちして、苛立ちに任せ隣のナッジの角を折りたい衝動を抑えた。
……ナッジは不意に怖気を感じ、ぶるっと震えた。
「――あの笑いは、世界征服でも企んでいるとしか思えん」
「闇の気配が?」
愉快な仲間達の確執には気づかず、ラシェルは真剣な顔で問い返す。ネメアは「いや、」と首を振ってから、考え込むように顎へ手をやった。
「だが、あの眼差しを受けると身震いする――私の血が騒ぐのだ」
「それって……」
「闇ではない。闇ではないが、私にとっては限りなく闇と言おうか――」
「もうその話はいいよ。話を先に進めたら? 話が遅いんだよね。威厳でも気取ってるつもりかも知れないけどさ、色気もないゴツイ男の話なんて聞かされても、暇なだけだよ」
シャリがあくびをもらしながら言う。
ネメアはむっつりと押し黙り、唇を巌のように硬く結び合わせた。
「……あっ! そ、それで、カルラの様子がおかしい理由を調べて欲しいってことだったわよね! で、報酬とかあるの? 期限は?」
ラシェルは取り繕った笑みを貼り付け、パンとわざとらしく手を合わせた。
ネメアはしばらく黙っていたが、全員の視線がこれでもかと言うほど突き刺さると――特に青いドレスの方からすさまじい視線が飛んできた――、苦い顔で口を開いた。
「報酬は好きなだけ払う。期限はない――ただし、私を裏切るな。それだけだ」
ナッジが「さすが、ネメアはカッコいいなぁ……」などと場違いな発言をもらしたが、幸いなことに誰もそんなことは聞いていない。
ラシェルはネメアの顔を真っ直ぐに見て、軽く頷いた。
その頬に、鮮やかな笑みが乗る。
それはシャリが光を感じ、ネメアが憧憬を覚えるほどの鮮烈な笑みだった。
「引き受けたわ。――行くわよ、みんな」
『みんな』という言葉には、彼女の万感の思いが詰まっていた。激戦を潜り抜けてきた、戦友達への思いが余すところなく。
それに答えるように、他の三人は力強く頷いた。
ただその場で一人、シャリだけが、それを冷めた目で見守っていた。