あたし、死ぬのかな。
怪物を前にして無感動に思った。ああ、こんな所で死ぬのかと、そんな淡白な感慨だけしか無い。でも、それはそれで歓迎するべき選択なのかも知れない。
結局、あたしは死ぬときまでこのままなんだ。
そう考えると、むしょうに虚しくなった。あたしの目は怖くて見開いたまんまで、涙なんて流れないけど、心の中の何かが軋んで悲鳴を上げるのが分かった。
死にたくな、
その時怪物が、あたしに向かって手を突き出した――
ドンッ、と音がした。体が浮く。
「逃げて!」
「っ!?」
地面に強く叩き付けられる。――誰かに突き飛ばされた?――あたしは気がつくと倒れてた。
「早く、逃げて!」
誰が叫んでるのか分からないけど、あたしは反射的にびくっとなった。そうだ、逃げなきゃ。
言われるがまま、慌てて立ち上がって駆け出す。
走る、走る、走る――もっと遠くへ逃げなくちゃ――
でもその時、ふと疑念が胸をかき乱した。
あたしに警告してくれたあの人は、どうなっちゃったの?
振り向いた。
ぼさぼさの髪が見える。
ガクガク震える膝、ウチの制服。
あたしは目を見開く。咄嗟に言葉もない。
怪物と真向かいになって、座りこんでるのは――御羅田だった。
どうして御羅田が!?
あたしは混乱した。だけど御羅田は今、怪物に襲われてて、どうしてこんなことになってるのか、それは分からなくてもアイツがピンチなのは確かだ。
あたしは焦って叫んだ。
「御羅田、何やってんのさっさと立ち上がって逃げ、」
そこまで言って、気づいた。御羅田にはあたしの声が聞こえてない。聞こえてたとしても、足はガクガク震えて、唇は真っ青で、絶対に逃げるなんて出来そうにない。
どうしよう、このままだと御羅田が。
怪物はもう、御羅田に爪を向けている。
もうここまで来たら、あたしに出来ることはたった二つ。
逃げる――!?
それとも、戻って助ける?
残酷な選択。あたしは……
「えっ……?」
あたしはぽかんとつぶやいた。
それは突然だった。
どうしてだろう。怪物は突然、歯の根も合わない御羅田から顔を逸らした。
太い首をめぐらして、突然虚空に向かって咆哮する。
まるで迷子になった子どもが母親を呼ぶように、切ない鳴き声。
町中に響き渡ったんじゃないだろうか。
怪物は背を向けると、路地の奥へとゆっくり、姿を消した。
呆然と成り行きを見守っていたあたしは、我に返って御羅田に駆け寄った。
へたり込んでる御羅田の脇に腕を入れて、立たせる。顔は青ざめてるけど、体はもう震えてないみたいだった。
「ど、どうしてあ、あんなのが」
「さぁね」
気のない返事を返しながら、あたしは御羅田を促して移動しようとした。だってそうしないと、すぐに警察だの何だのが遣ってくるに決まってるもん。
”クスッ……”
聞き覚えのある笑い声に顔を上げる。
御羅田は気づいてないみたいだったけど、あたしは確かに見た。
怖いくらい綺麗な黒髪が翻るところ。
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自販機に硬貨をねじ込み、赤く光ってるボタンを押した。
取り出し口から何てことは無い炭酸飲料を取り出し、ため息を落とす。
振り返ると、日が落ちて肌寒い公園が見渡せた。ベンチにぽつんと腰掛けて俯いてる女の姿以外は、誰もいない。
あたしはゆっくりとそのベンチに近づき、缶ジュースを差し出しながら、腰掛けた。
柔らかい風が、慰めるように頬を撫でる。
御羅田はどうしてあたしを助けたんだろう。
その答えは分からなかったけど、助けられたのは事実だ。こんなのに……助けられてしまった。
ようやく震えの収まってきた御羅田が、ぽつりとつぶやく。
「ごめんなさい」
「……」
「助けようと思ったんだけど、逆に助けられちゃった」
この女、どこまでお人良しなんだろう。あたしは逃げようとしたのに。
ぶっきらぼうに口を開いたあたしを、御羅田の視線がずっと射抜いてる。
「あたしは別に何もしてない」
御羅田は柔らかく微笑んだ。
「ううん、声、掛けてくれたでしょ? 逃げなかった」
「あの化け物が、勝手に逃げてっただけ。あたしは何もしてないし、するつもりなかった」
言下に反駁すると、御羅田はジュースのタブを開けて申し訳程度に口をつけた。
あたしはその様子をじっと見た。白い喉が動いてる。
記憶に焼き付きそうな光景から目を逸らし、あたしは御羅田の言葉を待った。
「……ねぇ、あの大きなの、何だったんだろうね」
「さぁ」
目を逸らし、答える。本当は心当たりがあったけど、コイツに言う義理はない。
御羅田は沈黙した。缶を握り締めて、俯いてる。
……もしも御羅田がいなかったら、あたし、死んでたかもね。
心の意地悪な部分が、あたしに囁いた。
気がつくと、唇が動いてた。
「ゴメン」
「え?」
びっくりしたように、御羅田があたしを見る。
あたしは決まり悪げに、御羅田から缶をひったくって煽った。
「だから、ゴメン。朝、八つ当たりしちゃって」
「う、ううん、いいの。私も、びっくりして、逃げ出しちゃったし……」
「……そう」
あたしは俯いた。別に気まずかったわけじゃない。御羅田と視線を合わせていられなくなっただけ。
御羅田は困ったような顔でそこら中に視線を飛ばした。
「ちょっと、ショックだっただけ。勅使河原さんのことは……友達、だと思ってたからそれで」
慎重に、確かめるような声で御羅田が言う。
あたしは何度か深呼吸した後、出しぬけに言った。
「友達だよ」
少しだけ胸を逸らして、誇るように。
「え?」
聞き返してくる御羅田に向かって、あたしは笑った。
「友達だよ、あたしと紗那は」
……全部が全部、本心だとは言わない。だけど、あたしを命張って助けてくれようとした女に冷たくできるほど、あたしもまだスレて無かったんだと思う。