あたしは家のドアを開けて、中に滑りこんだ。重い扉が音をたてて閉まる。
扉を背にして、すーっと深呼吸。ぼそりと声を掛ける。
「ブレーズ?」
あたしの肩の辺りで、何かがボンッと爆ぜた。もやーっとした煙と一緒に出て来たブレーズが、不思議そうにあたしを見返す。
『どうしたんだよ。顔真っ青だぜ?』
「シャリに会わせて」
あたしは早口に言った。
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「……ホントにここ?」
あたしはブレーズにもらったメモと、目の前の扉を見て顔をしかめた。
高級住宅街の一等地に建ってる、お城みたいにでっかい家。五階建てで、一階はガラス張りになってる。ただ、暗くて中の様子は見えない。表札には「榊原」の文字。
あたしは知ってる。榊原と言ったらこの辺りでも有名な資産家で、親族は全員社長か会長って言うとんでもない家系。
それがどうして、シャリの住所なんだろう?
あたしの肩で体を丸めて欠伸してたブレーズが、あたしをちらっと見た。
『お前、分かってねぇな』
「何よ」
あたしはむっとした。
確かに、色んなことをよく知ってるとは言わないけど、ブレーズの言い草ってあまりにも失礼じゃない?
するとブレーズは自分でもあんまりだと思ったのか、居住まいを正してこう言った。
『シャリだぜ? シャリ。天下の虚無の子様だ。アイツは何でもできるんだよ。出来ないことなんてほどんどありゃしない。それは今も昔も変わらねー』
「何よ、ブレーズって、シャリと親しいみたいな言い方すんね?」
「虚無の子」とか「何でも出来る」とか、気になる単語はあったけど、あたしはそれを保留して、ブレーズの鼻を押した。不機嫌そうにボッ、と小さな炎を吐いたブレーズが言う。
『親しかねーよ。ただの腐れ縁だ』
ブレーズはそれっきり、不機嫌そうにそっぽを向いてもう何も言わなかった。
あたしは、このけったいなお家の主を、こんな時間に起こしてもいいもんかどうか悩んでインターホンを見つめる。
こっわーーいおじさんとか、出てきたりしない……よね?
「ねぇ、ちょっとブレーズ! 何とかしてよ」
困った時のブレーズ頼み……ってわけじゃないけど、あたしは不機嫌に言った。ブレーズは少し困ったような顔であたしを見返したけど、言葉を返してくれない。面倒だと思ってるみたいだ。
あたしはもう頭に来てすぐさま、忌々しいミニドラの首根っこを引っつかんだ。結構やわかい皮膚に爪を立てる。
「無・視・し・て・ん・じゃ・な・い・わ・よ!!」
『イテテ! イタッ、お前、何かあるとすぐ腕力に訴えるけどなぁ、世界には腕力以外にも立派なもんがたくさんあってだな、うわ、ちょ、イタタタタ!!』
「だまんなさいよ! バカ!」
『そ、それ世間では八つ当たりって言うんだぞ!? 分かってんのかよ、おい!』
「うるさいわね――」
あたしがさらにブレーズの首を絞め上げようとした、まさにその時。
頭上から明るい声が降ってきた。
「仲良くなれたみたいだね?」
あたしは何事かと顔を上向けて、……思わずブレーズを取り落とした。へぶ、とか変な声上げて地面に落ちる。
きれいな顔の男の子があたしを見下ろしてた。開いた窓の中は、電気もつけてなくてよく見えない。小さな頭を傾げ、窓枠に肘をついて、からかうようにあたしを見てる、その子はシャリだった。
あたしは何て彼を呼べばいいのか咄嗟に分からなかった。おかしいよね、何度も話し掛けてるはずなのに、どうしてこんな時だけ言葉って出て来ないんだろう。
シャリはあたしが黙ってるのを見てどう思ったのか、あたしに向かってにっこりした。人を安心させる笑みだ。いつもの、馬鹿にしたような笑い方じゃない。
あたしはシャリの知らない一面を見たみたいに思って、ますます黙り込んだ。ああ、あたしってどうしてこうなんだろ? もうちょっと可愛げがあれば、……
でも今更そんなこと考えたって、多分遅い。遅すぎる。今のままのあたしでぶつかって行くしか、ないんだ。
あたしは決意したように一つ頷くと、シャリを見上げて口火を切った。
「シャリ」
「御羅田さんとさ、ずいぶん仲いいじゃない? 演技には見えなかったよ」
「……どっかで見てたみたいな、言い方だね」
ゆっくり言うと、シャリはコロコロ笑った。
「君のことなら何でも知ってるさ! 試してみるかい?」
「どうしてシャリはそういう……」
言い方しか出来ないの、と言いかけて飲み込んだ。それは、あたしがいつも自分に対して思ってる言葉だからだ。
黙りこんじゃったあたしを、シャリは面白そうに見た。
「でもさ、メイ。ここに来たのはそれを聞くためじゃないよね?」
シャリの言葉は、核心を突いてる。
あたしはどうしようか迷った挙句、覚悟を決めた。
あたしは怖かったんだ、この質問をすることで、シャリがあたしを見放したらどうしようって、彼があたしを嫌いになったらどうしようって……だけどそんなこと言ってたら身動きできなくなっちゃう。きっとそうなったあたしを、それこそシャリは見捨てるだろう。だから。
「……ねぇ、今日、シャリを見たよ。怪物が出た所で、逃げて行くシャリを」
シャリはすっと目を細くした。見極めてるみたいな、そんな目であたしを見る。
「……上がっておいでよ。鍵は開いてるからさ」
彼は、小さく肩をすくめるなり、窓の奥に引っ込んだ。暗闇の中、カーテンだけが風に揺れている。
あたしはごくりと唾を飲んで、ブレーズを拾い上げると、ドアを開けて中に踏み入った。確かにシャリの言う通り、鍵は掛かってなかった。