「ようこそ、榊原の家へ。歓迎するよ」
窓に腰掛けたシャリが、言った。
そこは家の二階にある寝室で、八帖くらいのフローリングだった。家具とかは一切ない。どうやって生活してるんだろう?
あたしは困ったように周囲を見渡したけど、仕方がないから奥へ進んだ。
腰掛けたシャリは、いつもみたいな制服じゃなくて、最初に会った時に着てた変な服を着てる。黒の、中国っぽい服と変な帽子。
「制服ってさ、窮屈だよねぇ。この格好にならないと落ち着かないよ。君もそうでしょ?」
シャリはそう言って、興味深そうな視線をあたしに注いだ。あたしは今、私服だ。下を向くと、適当に選んだ服が見える。七部丈のGジャン、薄緑のプリーツスカートにベルト。
「あたしは別に……制服が窮屈だとは思わない」
そう、そんなこと思わない。最近は、制服も悪くないと思ってる。押し込められてる感じはするけど、最近はそれを許せるようになった。
シャリはだだっこみたいに顔をしかめて、処置無しと首を振った。
「メイちゃんらしくない返答だね! 学校なんて下らないって思ってたでしょ?」
「思ってたけど、それは過去のことだよ」
「人間って、コロコロ考え方変えるよね。見てて飽きないけどさ」
「……自分が人間じゃないみたいな、言い方だね」
あたしがゆっくり言う。これはあたしなりの「空気読め!」って合図。たまにそれでも分からない馬鹿がいるけど、シャリは分かったみたいだ。肩をすくめて、ぴょんと窓から降りた。
「メイ、僕は何に見える?」
出し抜けに言って、シャリがあたしを見た。なんて暗い目なんだろう? あたしはその暗さに、その本質にようやく気づいた。
これは、本当の闇ってヤツだ。もしかしたらシャリは、あたしが期待してた以上の非日常なのかも知れない。最初はそれでもよかった、だけど今では、何でだろう。非日常だけにこだわることができない。
「普通の男の子に見えるよ」
それは少しだけ嘘を含んでたけど、別に構わない。どうせ意味は変わらない。
だけどシャリは目を細めて否定した。「嘘だね」
「嘘じゃないよ、でも……」
気まずそうに目を背けると、シャリが言葉を引き取る。
「事実全部じゃないよね。当ててあげようか? メイが僕のこと、どう思ってたか」
あたしが答えないでいると、シャリは淡々と言葉を継いだ。
「君は、僕が本当は人間じゃないって最初っから知ってたよね? その上で僕に執着したってことは、僕をそういう非日常の入り口だと思ってたんじゃない? そうでしょ?」
「あたしは……」
否定しようとして、やめる。シャリの言ってることは、正しかったからだ。
「……そうだよ、あたし、シャリの正体なんてどうでもよかった。非日常だけが欲しかった。あたしを変えてくれるものが……欲しかった」
「……」
「でも今は違う!」
あたしが必死に言い募ると、不気味に黙りこんでたシャリが、たがの外れた笑い声をもらした。
「ねぇ、どうして必死になって否定するのさ? 僕は君が紗那に近づいたこと、とっても評価してるんだよ? これから君の求める非日常をプレゼントしてあげようってのに、ちょっとうるさくない?」
にべもないってのは、きっとこのこと。
あたしは黙りこんで、肩を落とした。シャリが評価してくれてるっていうのは、嬉しいけど、それだけじゃ……
あたしはそこで気づいた。あたし、シャリにそれ以上のことを要求してる?
途端に胸がばくばくして、立っていられないくらいのめまいがした。よろめいたあたしの手を、誰かが掴む。
「大丈夫?」
冷たい手。虚ろな目。人形みたいな顔。どうしてシャリはこんなに……
「大丈夫」
あたしは思考を打ち切って、シャリから離れようとした。だけどシャリの手は、あたしの手をそっと握ったまま離れようとしない。困惑気味にシャリを見つめると、彼は目を伏せて、口元だけをほころばせた。
「僕はね、虚無の子なんだ」
「虚無の……子?」
シャリは顔を上げて、遠い目をした。
「君は知ってるかな? 願いを抱いたまま死んだ魂が、その後どうなるのか……」
「どうなるって……死んだら、それっきりでしょ?」
何、当たり前のこと言ってるんだろう。ふざけてるのかな?
だけどシャリは真剣だった。口元はほころんでるけど、それが見せ掛けだっていうのは一目瞭然。
「この世の果て……そう、この世界のずっと向こう。虚無と、闇の狭間には、叶えられなかった思い、願い……そういった想念が集まる場所がある」
「虚無……」
「僕はそこから生まれた」
彼はなぜか、虚ろな口調でそう言った。
「かなえられなかった願いを、かなえるために生まれてきた。僕はそのためにいる」
話を締めくくったシャリは、いつの間にか消えていた微笑みを再び口に乗せ、首を傾げた。
「驚いた?」
「で、でも!」
あたしはもう訳が分からなくなって、聞き返した。えーとえーとつまり、シャリはこの世界とは別の世界から来たんだよ……ね?
「あなたが生まれたのは、この世界じゃないんでしょ? だったらどうしてここに……この世界に来たの?」
シャリは帽子をとって、その天辺に自分の額をくっつけた。真剣な表情になってる。
「この世界には、始聖神の立ち寄った形跡がある。その影響かな? この世界にも、虚無と闇の狭間が存在するんだ。やっぱり僕の世界のそれと同じように、かなえられなかった願いがたゆたっている……救われなかった願いがね」
「で、でも、それをシャリがかなえてあげる義務はないわけでしょ!?」
「そうだね。でも」
シャリは帽子を自分の手の中でくるくる回し始めた。ふざけてるの? あたしがムッとした顔で見ると、シャリは俯いた。
「このまま願いが増え続ければ自然に、願いを救う存在……第二のシャリが生まれてしまう」
「第二の、って……そんな……」
頭がぐるぐるした。シャリが二人? 訳分かんない。
シャリは、背を伸ばしてあたしの顔を正面から見据えた。
「すでにもう、平和――正義を願う思いの結晶は生まれてる。多分もう、時間はあまりないんだ。第二のシャリが生まれてくれば、この世界はきっと破滅する。僕はそうなる前にこの町を『移動要塞』にして、虚無と闇の狭間にぶつけようと思ってるんだ」
「ぶつける――!?」
あたしはもう混乱して、何が何だか分からなかった。頭を押さえて、視線をさ迷わせる。
「えーーーっと、つまり、シャリは正義の味方?」
「そうだよ。この世界を救ってあげようと思ってるんだ」
シャリは毒のない笑みを浮かべる。だけどその笑みも偽者なんだろうか? 虚無の子って、何?
「どうして? ねぇ、なんでこの世界を? だってシャリって、言っちゃ悪いけど――その、そういう性格じゃないでしょ?」
「ひっどいなぁ」
シャリはくすくす笑いながら、帽子を被りなおす。
「ある人の願いでね」
あたしは彼が何か補足してくれるだろうと思って待ったけど、シャリはそれ以上説明しなかった。
何それ、ひどくない? 中途半端じゃ、全然聞かなかった時より気になるって!
あたしは文句を言おうとして、はたと気づいた。
「……あれ? 待って、ねぇ、この町を移動要塞に……って、そんなことしたらこの町はどうなっちゃうの?」
「壊れちゃうね」
にっこりしてきれいな声で、シャリは言った。