ただ祈った。これが、もしも夢だったら、永遠に覚めませんようにと。
もしも現実なら、永遠に、この瞬間が続きますようにと。
あれは、そういう時間だった。あたしは、この世界に、こんなにも大事な時間があるなんて知らなかった。
皆、言うよね。あの時間が永遠になればいいとか、あの時に戻りたいとか。でもあたしは、そんな御伽噺みたいな願い真剣に持ったこともなくて、だからあれが、あたしの……初めて、だったんだと思う。
――あれから、一日が経った。いつものように学校に行った後。夕日が頬を照らす。ほとんど人通りもない住宅街を歩いてる。
あたしが歩きながら思いを馳せるのは、やっぱりシャリのことだった。
移動要塞……世界を救う……虚無の、子。
どれもこれも信じがたい。でも、だからこそ、胸が弾むのを感じる。
だってそんなすごい事にあたしが付き合えるんだ。
シャリの役に、立てるんだ。
そう思うと嬉しくてたまらなかった。胸がはずむ。人目さえなければ、スキップして帰りたいくらいだった。
でも――
あたしは、笑顔を引っ込める。
でも、シャリは何で、誰との約束でそんな事をしようとしてるんだろう。
シャリは偽善的な理由で何かを――世界を助けようなんて思う性格じゃ、ない。短い付き合いだけど、あたしの直感はそう言ってる。
だったら、どんな理由が彼を突き動かしているのだろう。どんな理由が、彼を縛っているのだろう――……
考えごとに夢中で、よっぽどぼーっとしてたんだろう。目の前の茂みから猫が飛び出したけど、あたしは数秒経つまでそれに気づかなかった。
でも猫の様子は変だった。明らかに、只者じゃなかった。
あたしはハッと我に返った。
猫は、黒い毛並みで、目はアイスブルー。思わず魅了されてしまうくらい、きれいな目をした猫だった。
あたしが見とれてると、猫は突然空を見上げて、低く鳴いた。――その声は、ほんの小さな声だったはずなのに、何故かあたしの体に、心全体を打ち震わせた。
何? なになに?
息が、出来ない。
これ、……何なの?
『メイッ!!』
ブレーズの慌てたような声が、どんどん遠くなって行く。
夕焼け、赤い――どんどん真っ赤になって――
糸が切れるようにぷっつりと、あたしの意識は途切れた。
/*■*■*/
頬を、ざらざらしたものが這った。生暖かい。
あれ? ここ――どこ?
あたしはようやく、そこが自分の見知った場所ではないことに気づいた。頭がぽわぽわして、何だか妙な感じ。ゆっくり身を起こすと、そこはどこかの倉庫みたいな場所だった。暗い。たくさんのコンテナが積み上げられて、今にもあたしを潰してしまいそうに思える。
よっぽど、ぼんやりしていたのだろうか。
あたしは、すぐ傍にある気配に気づけなかった。意識が、戻って来るにつれて、露になるその巨体に、あたしは息を呑んだ。
低く、牙の間から軋むような獣声が聞こえた。暗闇の中で、黄色い目が光ってる。
体がすくんで動けないあたしを馬鹿にするみたいに、獣は叫んだ。
「クゥゥゥゥゥーン」
「へ?」
そのまま、巨大な鼻面を押し付けられた。あったかい……とかのんきに考えてる場合じゃなくて!!
慌てて離れようとして、はっとなった。
「って、あ……パール?」
「ワフっ」
図体からすれば幼い声でそう鳴くのは、シャリと初めて会った夜に出会ったバケモ――もとい、えーと、大きいワンちゃんのパールだった。真珠のようにすっごいキレーな毛並みは、よく覚えてる。
無邪気な目を向けてくるパールに微笑みかけようとして、……そうしようとしたのに、うまく微笑めない。何でだろう? ううん、自分でも、分かってる。多分、パールみたいな化け物が人間を襲ってるって知ったからだ。どうしても、あの時の恐怖と、パールの姿がダブってしまう……
そう考えると、何だかとっても近い場所にいるはずのパールとの間に、深い溝があるみたいで、胸がざわついた。あたしはそのざわつきを振り払うようにパールに抱きついた。
「ごめんね、パール……」
それにしても、ここはどこなのだろう。どうしてパールがここに?
あたしは、パールの耳の辺りに触れたまま、辺りを見回した。パールがここにいるってことは、シャリに何か関係している所なのかも知れない。
……とにかく、出なきゃ。
暗闇の中、手探りで進む。だけど、どこからも明りが漏れて来ないってことは、すぐに出られそうな出入り口はないってことだ。
それに気づいたあたしは、歯がゆくて唇を噛んだ。あたしの斜め後ろをついて来てくれたパールが悲しげに鳴いた。
振り返って鼻面を撫でる。ようやく暗闇に目が慣れて来たのか、懐かしいパールの姿かたちがよく見えた。
……
あたしはちょっと考えた後、困り果てて天井を仰いだ。一応、呼んで見る。
「……ブレーズ?」
返事は返って来なかった。やっぱり、ブレーズとは離されてしまったのだろう。もしいたら、こんな事態になってるんだから、あの役に立たないミニドラだっていくらなんでも出てくるはずだ。
……どうしよう。
あたしは途方にくれた。考える。けど。
……どうしようもなかった。
やっぱりあたしは弱いんだ。助けてもらわなきゃ何も出来ない。
そう思ってうつむいた、その時だった。
パチ、パチ、パチ……
「本当に君みたいな人間がいるとはね」
その場に全然溶け込まない……溶け込めないまま固まって凍り付いてしまったような声が、あたしの思考を砕いた。
「だれっ?」
最近の事件続きであたしも変わってたのか、もうびっくりしたりはしなかった。自分でも尖った刃物みたいだと思うような声を張り上げる。
すると、コンテナの向こう……ちょうど死角になってたところから、一人の少年が歩み出た。
あたしは、心構えなんてとっくに出来ていたはずなのに、それでも息を呑んだ。
だってその少年が、とてもきれいで――……悲しい顔を、していたから。