あたしは驚いて、驚き過ぎて息をすることもできなかった。
パールに服の袖を引っ張られて、ようやくぜぇぜぇと息を吸い込んで、そのきれいな”もの”に近づいた。
すっごい……光ってる……
十五、六さいぐらいかな? それぐらいの男の子が、宙にふわふわ浮いてる。怪我でもしてるのか顔は青白くって、ぐったりして、目を閉じたまんま。
あたしはごくっと唾を飲んで、もっと近づいた。下品だけど、本当にすっごいきれいなんだもん。
漆黒って言う言葉があるけれど、それはこの子の髪のために用意された言葉みたい。さらさらした髪が、胸とか……その、腰とかにふっさり垂れてる。
顔なんて人形みたいに滑らかで、多分女の子のあたしよりずっときれいだし、睫だって長い。
だけどあたしはそれに嫉妬するより先に、もう、魅了されたって言うか、とにかく男の子から目が離せなかった。
その目に吸い付くようなブラックに引き寄せられるように、あたしは手をのばした。
髪に触れる――触れようとしたところで、男の子の人形みたいだった目がぱちっと開いた。
あたしは熱いものに触った時みたいにぱっと飛びのいて、顔を赤くしたまま恐る恐る男の子の顔を覗き込んだ。
「君……誰? いや、僕は一体……そうだった、襲われたんだったね」
男の子の声は、最初はぼーっとしてて綺麗なだけで心に残るものではなかったけれど、すぐに何だか耳に残る、うーん、なんだろ。底なしのオケみたいな、楽しそうだけど何か危うい感じの声に変わった。
あたしがじっと見てるのに気づいたのか、男の子は地面に足を下ろすと、映画の中の人がやるみたいなかしこまった礼をした。
あたしも釣られて頭を下げると、何がおかしいのか、男の子はふふっと笑って、あたしに流し目を送って来た。
ふ、ふん。いくら綺麗な顔してても、人間何だかそう何だか分からない人に惚れたりしないもん。
あたしが睨むように見ると、男の子はますますクスクスっと笑って、手を差し出した。
「僕はシャリ。君の名前は?」
「な、名前?」
「そう。君が君としてあるために必要なもの。君をあらわす全て」
あたしは雰囲気に呑まれて自分の名前を言おうとしたけど、途中でハッと気づいた。こういう怪しい奴に名前教えちゃいけないんだよ!
「お、教えられないわ」
「? どうして?」
「教えて欲しいなら、何で君がここにいたのか教えてよ。こ、コーカン条件ってやつ」
男の子……シャリは、くすっと天使が笑うみたいに微笑んだ。でも何だか目の辺りがとっても意地悪で、あたしはますます疑いを強くした。
「君、面白いね。僕が人間じゃないって分かってるでしょ?」
男の子は外人がやるみたいに、自然な感じで肩をすくめた。うん、少なくともあたしの知り合いにこういう仕草が似合う子はいない。
人間じゃないってのも、何となく分かる。パールがここにあたしを連れて来たって事は、この、シャリとか言う子が主人なのか関係者なのか、どっちにしてもマトモじゃないことはあたしにだって分かる。
「な、何が目的よ。地球を侵略しに来た異星人ね? そうなんでしょ、シャリなんて変な名前してたって、あたしは騙せないから」
あたしがじりじり後じさりすると、シャリは大きな目を考え込むようにくるくるさせた。
「……あはは、僕は君をいつでも殺せるし、ためらう理由はないんだよ? それでもそんな態度が取れる?」
「頼みがあるわ!」
「……あーあ、人の話聞いてないね。前にも君みたいな知り合いがいたよ。いやになっちゃうね、人間ってさ」
「あたしを仲間に入れて!」
「……は?」
シャリは今までの飄々としたペースを崩して、目を丸くした。何よ、そんなに変なこと言ってないのに。
「……仲間? 何の?」
「地球侵略よ。ううん、もうあなたがアンゴルモア大王だろうと魔王ルシファーだろうと構わない、とにかくあたしは日常に退屈してるの。こんな毎日たくさん! だからお願い、あたしを退屈から救って。その代わり、あたしがんばってあなたのこと手伝うから!」
あたしが詰め寄ってまくし立てると、シャリは無表情にそれを聞いて、探ってるみたいな、何だか鋭い視線を送ってきた。あたしは負けるもんか! と睨み返す。そのまま何秒かが過ぎると、シャリはようやくため息をついて視線を逸らした。
「君が手伝ってくれるつもりでも、僕は君のことをまだ信用できないよ?」
「だったら、信用してくれるまで、あたしのこと使ってよ。指示されたことには全部従う」
「いつになったら信用できるかなんて分からないし、目的もやってることも話せない。それでもいいの?」
「構わないわ」
「じゃあ」
シャリはすーっと目を細くして、あたしの顎の辺りに触れた。
「たとえ肉親を殺せと言われても、僕の命令に従える?」
あたしは一瞬だけ、ほんの一瞬ためらったけど、すぐに強く頷いた。
あたしの決意は硬いし、それに誰もあたしのことなんて気にしない。誰を殺したって、あたしの胸は痛まない。もうそれを悲しんだりしないし、それが武器になるなら、あたしは喜んで振りかざす!
シャリはあたしの目をじーっと覗いていたけど、急ににこっとして両手を後ろで組んだ。
「フフ。アハハ、まぁ、いいよ。嘘は言ってないみたいだし」
あたしは大きく頷くと、きらきらした目で詰め寄った。
「で、あなたの目的は何?」
「…………今、僕、言えないって言わなかったっけ?」
「だけど、ある程度の説明は必要でしょ?」
あたしは食い下がった。
「大雑把にでもいいし、嘘ついてもいい。ただ、あたしが納得できる理由は必要だわ」
「君って、たくましいね。感心するよ」
「ありがとう。それだけが取りえなの」
「……ホントたくましいね」
「で、目的は何なの?」
シャリは助けを求めるように辺りを見回したけど、他には誰もいない。パールがくーんと鳴いたのを聞いて、シャリは諦めたように口を開けた。
「……いい? 僕は、訳あってこの町にいなきゃいけない。ここでやる事があるんだ。だけど、僕は来たばかりだし――こちらの勝手は分からない。だから、君には色々と便宜をはかってもらったり、他の事もしてもらうかもしれないけど、とにかく指示は追って出す。それには従うこと」
「うん」
「それから、僕は明日、この町の学校に転校することになってるんだ」
「へぇ……って、ええ!? 早!」
「今日来たばかりって訳でもないからね。フフ、それなりにはやるさ」
「ねぇ、どこの学校? 中学?」
「いや、目当てが高校にいるんだ。桜大付属――」
「翔明高校!?」
「あれ、偶然だね。知ってるの?」
あたしは口に手をあてて、目をぱちくりさせながら、ガクガクと頷いた。
「あたしの高校だもん!」
「偶然だね。ただの偶然とも思えないけど、まぁそれはいいや。もし会うことがあったら、よろしくね?」
「う、うん……それはいいけど」
「いいけど?」
「この子は……何?」
あたしはパールの頭を撫でながら言った。シャリはそれを見ると、軽く目をすがめて、「仲いいね?」とつぶやいた。
あたしは胸を張る。
「えへへ、やっぱり心の綺麗な子は分かるのよ」
「アハハ、魔王でも大王でも協力するって言う人間の心がきれいだとは思えないけど……本当にそう思ってるの?」
「……うるさいなぁ、それで、この子は何なのよ」
シャリは人差し指を口にあてて、言うのか言わないのか迷ってるみたいだったけど、ふっと表情を柔らかくすると頷いた。
「モンスター……いや、この国では妖魔って言った方がいいのかな? 人外の化け物。とでも言った所だね」
「化け物……」
あたしはパールを撫でる手を止めた。だけど、もしもパールが化け物だとしても、あたしはパールと仲良しだし、それはかわらないよね。うん。
「それで、悪いんだけど、君のことも教えてくれる?」
あたしはシャリに言われて、たじろいだ。あんまり名前は名乗りたくないんだけど……仕方がないから、渋々教える。
「あたしは、メイ。明星の明って書いて、明よ」
「苗字は? この世界じゃ、ない方が珍しいよね」
シャリは興味津々って感じで聞いてくるけど、あたしは「うーっ」と唸って身を引いた。
「言えないの?」
シャリがにやにやしてる。あたしは苛々して、怒鳴るように言った。
「言うけど! ……笑わないでね」
「うん。アハハ、信用ないなぁ。そんなに変な名前なの?」
シャリはあろうことか嬉しそうになった。ああもう、さっき変な名前って言ったの、根に持ってるよ!
あたしは顔をカッカさせながら、心底いやだったけど、仕方がないから教えた。
「ちょくしがわら」
「え?」
「ちょ・く・し・が・わ・ら! 勅使河原、明よ!」
「す、……ぷっ、すっごい名前だね。ぷっ、あははははは!」
シャリは案の定、腹を抱えて笑い出した。
あたしはもう最低最悪な気分になっちゃって、パールが鳴きながら寂しそうにしてるのも無視して帰ろうとした。
そうしたら、シャリの声が背中に掛かる。
「明! 明日からよろしくね?」
あたしはまだ唇を尖らせたまま振り向いて、あっかんべーしてやろうかと思ったけど、明日からのことを考えるとどきどきしたから、ただ黙ってうん、と頷いた。
明日から、あたしの日常が変わる。それがどんなものになるのかは分からないし、いい方に変化するとも限らないけど、それでも今の死んでるような日常からは解放されるんだ。だったらあたしは、それだけでこの選択をした価値がある。
シャリに……パール。
あたしにとって、明日からこの二人は神なんだ!