COLORs(23)

 あたしは母さんの手を振り払った。

「……そんなの嘘。憎いでしょ? 父さんが、あたしが。こんなちっちゃな墓石こんな場所に一つ立てたきりで後は十何年も放置したままで。あたしだったら父さんを許さない。軽蔑する」

『明、弱さは悪ではないのですよ。憎むべきは、弱いものを虐げる存在なのです。そして卓也さんは、弱い人でした。それだけのことです』
 母さんは諭すように言った。

 ……わかんない、分かんないよ。
 なんで、

「……どうして、どうしてあんたは父さんを助けたの!?」

 母さんの顔が一瞬、曇った。それでも答えてくれる。

『……卓也さんが出張で日本に来ていた時……私はあの人と出会い、恋に落ちました。あの人は強くて優しい人でした。私たちが体の関係を持つのに、そう時間は掛かりませんでした……』

 母さんの言葉は辛そうだった。でも言い終えた後、あたしの方を向いて、花が開くみたいにきれいな微笑みを浮かべてくれる。

『そして明、あなたを身ごもったのです』
「……知ってるよ」
 あたしはそっぽを向きたくてたまらなかった。でも母さんの目が、あまりに透き通ってきれいだったから……何も、言えなかったんだ。

『……ですが、時間はありませんでした。捜査官だった卓也さんがあの当時追っていたのは日本にある犯罪組織でした。そして私が臨月に差しかかったその頃、』

「それも知ってる。相手にしてた組織の連中に居場所がバレて、襲撃されたんだよね。それで撃たれそうになった父さんをかばって……母さんは……」
 あたしは言いよどんだ。全部父さんがお酒飲んだ時に教えてくれた話だ。だけど……

 死んだ、と本人の目の前で口にするのは、あたしの中の何かが許さなかった。
 すると母さんは優しく微笑んで、あたしの頬を両手で挟んだ。反射的に振り払いそうになるけど、それをするには母さんの手、温かすぎた。
 
『明、私は後悔していないのよ。私は父さんを守り、そして最愛の貴女をこの美しい世界に残すことが出来た。私は満足して死んで行ったわ』
 困ったように首を傾げ、母さんは続ける。

『明……さっきあなたは、私があなたを憎んでいるのではないかと危惧するようなことを言いましたね』
 母さんは優しく微笑んだけど、声が少し上ずっていた。赤い唇が震え、何度も目を瞬いている。

 あたしは無言で続きを待った。ううん、待ったと言うより、何も言えなかったんだ。

 そうしてようやく、母さんは言葉を続けた。
『でも、私は一度だってあなたを、憎んだことはないのですよ……どうしてあなたを、憎むことなどできましょう』
 母さんの目が潤んだ。その腕があたしの背に回り、優しく抱きしめられる。

 初めて、母さんに抱きしめられた。

 ずっと軽蔑してた、母さんに。

 母さん。
 心の中で呼んだ。口に出して呼びたかったけど、母さんの目があまりに優しくて、そんな目を向けられたのは多分生まれて初めてで、それでもう舌が動かなくなってしまった。

 そうしているうちに、母さんは満足そうに微笑み、あたしから手を離した。
 待って。
 その声も出ない。

 あたしはずっと母さんが嫌いだった。父さんを助るために死んで、それなのに見向きもされない女。無駄に死んだ女。自己犠牲なんて下らない。父さんみたいな死にたがりは勝手に死ねばいいんだ。邪魔するのも野暮だよ。それを望んでたとは、限らない……そう思ってたから。今もその思いは変わらないけど、でも。

 すると母さんは、歯がゆそうな顔で押し黙るあたしをどう思ったのかわずかに目を細め、苦笑した。
 少しずつ、辺りを照らす光が薄れ始めた。それと共に、母さんの姿も薄くなって行く。

 手をのばすあたしに指を絡め、母さんは言った。

『明……幸せに――なさい。あ――の思う人と、二人で――

 聞こえないよ。何て言ってるの。

 でも待ってはくれない。声も体も、どんどん薄れて行く。

 そして、母さんは消えた。戻って来たのは、憂鬱な墓地の風景。人もいない、寂れたただの墓場。
 一体、今のは何だったのか。幻? それとも……

 あたしは地面に立っていられなかった。膝をついて、かたくなに顔を俯ける。
 
 唇が、勝手に動いた。

「バカな……女」

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おかあさーん。