夜の闇に紛れる。黒いパンツとシャツを着ていれば、夜の住宅街ではほとんど目立たなかった。
ひゅっと呼気を飲み込み、目を瞑る。集中すると、あいまいで定まらない――はっきり名前をつけるなら、意思とでも呼ぶべきものがあたしの思考とリンクする。
"今はステイ。獲物が来るまで待ってて"
肯定するような意思が返って来るのを確認し、あたしはじっと息を潜めた。
コツコツコツ。ハイヒールの足音が響く。
あたしはそっと目を開ける。……来た。
いつもの事だけど、心臓が痛いくらいドキドキしていた。自然と息が荒くなり、胸を押さえる。
足音が、あたしのいる物陰に少しずつ近づいて来る。"あの子"が潜んでるのはもうちょっと先……そう、もうちょっと、そこの手前に寄ってくれれば……
「……誰? 誰かいるの?」
でも女の人は、息を潜めるあたしに気づいたのか、ぱたりと立ち止まって身をすくめた。辺りをうかがってるみたいだ。
あたしは内心いらいらして、舌打ちしたかった。でもそれをやって、相手に気づかれたりしたら、榊原やシャリになんて言われるか分からない。ぐっと我慢し、機会を待った。
女の人は一瞬きびすを返して逃げ去ってしまうかに思えた。けど、やっぱり躊躇するようにこちらを振り向き、おずおずと近づいて来る。だんだん、早足になる。きっとすぐに通り抜けてしまうつもりなのだろう。
あたしはタイミングをうかがい、ありったけの念波を飛ばした。
"やれぇ!!!"
その瞬間、影に隠れていたあたしのモンスターが女の人に飛び掛った。それはブレーズをでっかくしたようなドラゴンで、鋭い牙と爪を持っている。彼はゴォっと炎を噴出し鉤爪を振りかぶり、女の人の胸の辺りを引き裂いた。服に燃え移った炎が夜闇にごうと燃え盛る。それがまるで火花のようにふわりと広がり、それとほぼ同時に赤い切片が女の人の胸から舞った。
「ぁ……」
掠れて声が出ないのか、女の人はそのままよろめいて倒れる。
「さぁトドメよ、ラシー」
低いけれども熱を含んだ声で命令すると、ドラゴンは鋭い爪を女の心臓に突き立てる。
「っ……」
女の人はカッと目を見開き、年端も行かない小娘のあたしを凄い目で睨んでから動かなくなった。
――どっと汗が吹き出る。膝をつきそうになるのをこらえた。今更そんなことできない。汚れてしまったあたしにそんな価値はない……
あたしは女の人から溢れ出る血液を眺めながら、自分の心臓を抑えた。倒れた女の人から流れ出る血は、なかなか止まりそうにない。あたしには、その流れ出る血が、彼女の命そのまま流れ出しているもののように見えた――……
/*■*■*/
レッドドラゴンのラシーに、あのまま近辺をうろついて人を襲うよう命じた後、あたしは走って家へ帰った。ずっと全力疾走しないと、耐えられそうもなかったから。
ぜぇぜぇ息しながら、洗面所で顔を洗う。自分の青白い顔が、さらに青く見えた。ふと幽霊みたいだなと考えて、皮肉に笑う。だってたった今一人の女の人を幽霊にしたばかりのあたしが、幽霊みたいだなんて。
ホント、笑えるよね……
自嘲気味に笑ったその瞬間、ポケットに入れっぱだった携帯が振動した。放置しておいても良かったけど、あんまり長く振動し続けてるし、一度切れてもまたすぐに震えだすから、たまりかねて出ることにした。
「もしもし?」
『メイちゃん? 大丈夫?』
あたしはひゅっと息を飲み込んだ。この声――御羅田だ。
心臓がうるさくなる。何度も唾を飲み込み、心を落ち着けて、あたしはようやく口を開いた。
「大丈夫って、何が?」
駄目だ。声が震えちゃう。
『だって昨日も一昨日もその前も、ずっと学校休んでるじゃない。どうしたの? 風邪?』
「パパが死んだの」
あたしは黒いシャツを脱いで洗濯機に放り込みながら、なるべく無造作に言った。どうしても震えそうになる声を、フラッシュバックしそうになる"あの時"の記憶を何とか押し込める。
電話の向こうで、御羅田が息を呑む気配がした。
『た、……大変だったね』
「そう。大変なの。ねぇ、あんたあたしのパパがアメリカで働いてるのは知ってた?」
『初耳……だけど』
「アメリカまで行って遺骨引き取ってすぐこっちに帰って来たの。学校行けなかったのも当然でしょ?」
あたしは洗濯層の蓋を閉め、それに背を預けた。薄く微笑む。
「干渉しないでよ。こっちだって色々あるんだから」
優越感じみたものが声ににじんだ。御羅田、あんたの踏み入っていい領域はもうとっくに過ぎてるんだ。とっととあたしから離れて頂戴。
でも御羅田は全くひるまず、念を押すように聞いて来た。
『ごめんね。でも、明日は学校来れるんだよね?』
あたしは指に髪をからめ、それを口先に持って行ってキスした。笑いながら言う。
「もちろん」
『そっか……良かった』
「学校にこだわるね。どうしても明日、あたしに来て欲しいの?」
あざけるように言うが、御羅田は気づいた様子もなく言葉を返した。
『うん……実は明日、またうちのクラスにほら、前に話した転校生が来るんだって。メイちゃんもいた方がいいでしょ?』
「……ええ、……そう、ね」
あたしは電話を切ると、うずくまった。
どうして御羅田はこんなにも変わらないのだろう。変わらなすぎるよ。だってあいつはきれいなままだ。あたしはこんなに、汚れてしまったのに……