「転校生を紹介します」
軽い既見感。
担任の桜井がそう言って、黒板にカツカツと名前を書いた。どこか忌々しく聞こえるのは、何でだろう?
黒板を背にして直立不動。その少年は眉をひそめ、厭わしげに教室中を見ていた。何故だろう? 町ですれ違ってもたいして印象に残らないような顔なのに、なぜか強く心に訴えかけてくる、その瞳。あたしのそれがガラス玉だとすると、彼のそれは一千万円以上するすごいダイヤモンドみたいに光り輝いてた。カット次第でさまざまに色を変えて行くその宝石――あたしは魅せられていた。多分、ほんの一瞬だけ。
「先生」
口元に薄笑いを浮かべたシャリが、すっと手を上げた。桜井はチョークのついた手をパンパンと払い、振り向く。
「何て読むんですか?」
シャリが楽しそうにそう言った。つられてあたしも黒板を見ると、線で作られた凶器(少なくともあたしの頭には)が並んでいた。
『劉籐 傭璽』
……めまい。書いただけで腕がもげそうな名前なんだもん。
クラス中の胡乱気な視線に気づいたのか、先生が口を開こうとする。それを遮るように、凛とした声が響き渡った。
「俺はリュウトウ・ヨウジ。……よろしく」
滑舌も鋭くリュウトウは言った。
あたしはぴくりと眉を動かす。何だろう? 胸に棘が刺さったかのよう――放置してはいけないと、あたしの中の何かが騒いでいる。リュウトウは周囲をゆっくりと睥睨し、ある一点で視線を止めた。シャリの所で目を止めた彼は、軽く目を細めると、射抜くように苛烈な視線でシャリを睨む。
何? なんなの?
そして視線を受けたシャリも、肩をすくめてくすっと笑う――なんだろう、この通じてる感じは。あの二人って知り合いなの?
あたしは注意深く二人の様子を観察した。視線が交錯していたのは一瞬で、リュウトウはもう他の子に視線を向けてるけど、鮮明に思い出せる。探るような視線、その間にぶつかったのは、かすかな敵意と……野鳥のように瑞々しい警戒心。
そこまで読み取った瞬間、気づいた。リュウトウの視線があたしを見て驚いたように止まってることに。
「……どうかした?」
あたしは彼を見返し、純正黒の瞳を覗きこみながら笑った。何でこんな反応をされるのかは分からないけど、挑戦されたら受けずにいられない。叩かれたら叩き返さずにいられない。勅使河原明はそういう女だ。
「いや、……」
リュウトウは気圧されたように視線をはずした後むっつりと押し黙り、そして授業の開始を告げる鐘が鳴った。
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「リュウトウ君て、どんな子だろ……ね?」
休み時間になるなり近づいて来た御羅田が、優しく微笑んで言った。全てを包み込み癒してしまうような、そんな笑顔……気を遣ってるのがよく分かった。さっきの喧嘩の事で……
あたしは思考を切り替え、御羅田からリュウトウに視線を転じた。じっと背をのばしたまま座って、ぴくりとも動かず前を睨んでいる。席はあたし御羅田の隣。あたしの席から二つほど離れてる。声が聞こえないかと心配になったけど、御羅田の声はもともとちっちゃくてか細いし、あっちも考え事に夢中らしくてこっちを気にしてる感じはない。
「……スポーツばか」
「え?」
御羅田がきょとんと声を上げる。あたしはぐーっとのびをしながら、肩をコキコキと鳴らした。
「太い眉にするどーい目。あんまり手入れしてる感じじゃないけど、独特のカッコ良さがある黒髪……明らかに『自分を持ってます』って感じじゃない? 御羅田、あんたと違ってさ。ねぇ、あれって何か一つのことに打ち込んでる目だよ。他の何も省みないで一つのことを追い求められる強い目だよ。だからスポーツばか」
結構大きい声で言ったのに、リュウトウは振り向きもしない。それが何となく気に食わなくて、あたしはガタッを席を立った。
「メイちゃん?」
心配そうな御羅田。人の心配してる余裕なんてないクセに。だってそうでしょ? 他人への優しさとか配慮ってさ。心のどっかに余裕がないと出来ないんだよ。だから最低の環境にあるヤツは、聖人君子だって悪人に成り果てる。人間なんてどうせ、環境に支配される生き物だもの。今のあたしがそのいい例。
それなのに御羅田って、いつか他人でもかばって死にそうだよね。しかもかばった人は凶悪殺人犯でレイパーのろくでもない奴でさ、御羅田が死んだ後も何人も殺して犯すの。でもさ、それでもさ、その未来をあらかじめ知ってたとしてもさぁ、御羅田は目の前で死にそうになってるソイツを助けるんじゃないかな。御羅田ってそういう奴だよね。
……そういう、あたしなんかとは比べ物にならないほどお綺麗な奴なんだよね。
ぼーっと考えてたら、御羅田がぱたぱたとあたしの目の前で手のひらを振った。あたしはその手に触れると、こつんと額を預け、小さくつぶやく。
「シャナ、あんた長生きできないよ」
御羅田はほんの束の間きょとんとしたけれど、すぐ笑顔を浮かべた。
花開くような、殉教者の笑顔を。
「……ばかじゃないの」
あたしは御羅田の手を離すと、シャリの席に向かった。トクン、と胸が鳴る。どうしよう、これ……目覚ましだったら叩けば止まるのに、胸を叩いても全然止まらない、この音。狂ったメトロノームみたいにバラバラなリズムを刻んでる。
シャリはあたしが近寄ったのに気づいたのか首を傾げ、目を落としていた本から顔を上げた。珍しい……シャリは大抵、休み時間忙しそうにどこかへ消えてしまうのだけれど。もしかして、
「敵情視察?」
にこりと笑ってたずねると、シャリは目をまん丸にした。ただでさえ幼い顔が、さらに幼く見える。
……あたしは額を押さえ、憂愁のため息をついた。だってシャリ見てると、まるで犯罪してるような気分になるんだもん……
「どうしてそう思うの?」
楽しげに問い返され、我に返る。あたしは不敵に微笑みながら、膝をついて机に頬杖をついた。
「否定しないってことは、あの子……リュウトウとか言うアイツは敵なんだ。あたしのカンも捨てたもんじゃないね」
「敵わないなぁ」
くすくす笑いながら、シャリは本を閉じる。
敵情視察だと思ったのは、視線を交わした一瞬、二人の間に走ったものがとても敵対的だったからだ。シャリの事だし、敵の情報が欲しければ人に調べさせるより自分で見極めたいのかな、と思った。
そしてそれは間違いじゃなかったわけか――……
あたしは、シャリを少し理解できたような気になって嬉しかった。胸がぽわんと暖かくなる。何だろう、これは?
「さっきシャナと遊んでたね」
シャリは赤くて瑞々しい唇をいたずらっぽくゆがめ、なんといきなりあたしの手を取った。
「シャ――高宮君、ここ教室」
あたしはうろたえながら手を引っ込めようとした。だってみんな見てるし――大体、関係がバレたらヤバイんじゃないの?
でもシャリは全然気にせず、しかもあたしの手を離そうとしなかった。それどころか嬉しそうに笑い、
「シャナともやってたじゃん」
と言ってあたしの手に唇を近づけ、近づけ――!!?
「っ――」
「ぎゃーーーーーーーー!!!!!!!!!!!」
公衆の面前で(しかもシャリに)キスされたあたしは、乙女にあるまじき声を上げて飛びのいてしまった。
辺りにさざめくのは驚きと、ひやかし――頭が熱い。
俯いた視線の隅で、リュウトウだけが険しい視線を送っていた――……