「勅使河原 明。今こそ僕達の間で交わされた約定を果たす時だ」
きれいな少年があたしの頬に触れる。ここはどこなんだろう? ああ、きっと雲がたくさんあるから天国なんだろうな。天国じゃこの子は天使なんだろうな。違う所に。こことは違う所に行けばあたし幸せになれるんだもん。
入道雲が口を挟んだ。
「そんな訳ないよ……幸せになんかなれないよどこに行ったってさメイちゃんが変わらなきゃ幸せになんかなれないんだよ環境じゃない問題はメイちゃんなんだよ。メイちゃんが全部悪いんだよ」
あたしが悪いんだ。振り返るとぼさぼさの髪をした女の子が立ってた。ああこの子もあたしを馬鹿にする気なんだ。あたしは手に持ってるナイフでその子を刺した。何度も何度も何度も。痛い痛いと悲鳴が聞こえる。耳の奥を貫いてしまうような悲鳴イタイイタイ。悲鳴を上げてるのは誰なの、あたしなのそれともこの子なのそれとも他の誰かなの世界なの?
ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア
誰でもいいんだ悲鳴さえ上がってれば誰か助けてくれるんだもん。悲鳴たくさん悲鳴あればいい悲鳴悲鳴。
ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア
気がつくとあたしは絶叫していた。
「うわああああああああ!!!!!?????」
『うっせぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!!』
耳元ではじける怒号。あたしは叫んでカラカラになった喉を押さえながら後ずさりした。ここどこ?
『メ〜〜〜〜イぃぃぃ〜〜〜?』
ハッとして顔を上げると、ブレーズが物凄い顔で睨んでる。ここ……あ、あたしの部屋だ。何混乱してたんだろ? ふっと振り返って時計を見ると、夜中の三時だった。それにしては頭がはっきりしてるけど……何か夢を見たような……あれ、何の夢だっけ?
『お前、何度起こしても起きねェのな! せっかく人様がわざわざ伝言持って来てやったてのによ〜!!』
一旦夢の件を置き、ブレーズに向き直る。
「伝言〜? こんな夜更けに何よ」
『そんな口聞いていいのかよ』
ブレーズは何故かフフンと勝ち誇ったように笑う。
『お前の大好きなシャリからだぜ?』
「何でそれを早く言わないのよこのバカドラ!!」
あたしはそれを聞くなり飛び起きて、パジャマを脱ぎ捨てこの間買ったばっかのスカートとシャツを取り出した。
『オイオイ、お前伝言って聞いただけで着替えだしてどうするんだよ。別にシャリが呼んでるなんて言った訳じゃねーぞ?』
ブレーズが明るい笑い声を上げ、あたしは我に返る。
あ、あたしとしたことが……ちょっと寝ぼけて……
とりあえず服をベッドの上に放り、あたしは腕組みした。だんだん、イライラしてくる。だってこんな夜更けに叩き起こされてこんなバカドラと言い合いして、まるでこっちが馬鹿みたいじゃない。全く、乙女の安眠を妨害した罪は重いわよ。
「じゃあ何なのよ。人をバカにしてる暇があるならとっとと自分の役目、果たしなさいよ」
睨みながら言うと、ケラケラ笑っていたブレーズがハッと我に返ったのか急に慌てだした。
『あ、いや、いやまぁアレだ、ほらそんな怒るなって。美容に良くねぇぞ』
「あ・ん・た・に!! 美容の心配なんてされる謂れないわよっ! いいからとっとと言いなさい、シャリは何て言ったの?」
『お、怒らないか?』
「ハァ?」
ブレーズはベッドに放り出されてる服をチラチラ見ながら、気まずそうに言いあぐねている。睨みつけてやると、ようやく口を開いた。
『いや、……あれだ、その。……話があるから今すぐ来いって』
「……っ、バカーーーーーーー!!!!!!!!」
あたしは大慌てでスカートを引っつかんだ。それをブレーズに投げつけたい衝動は、とりあえず抑えて。
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榊原の家は、暗い。どうしてこんなに暗いんだろう? 確かに電気が全部消えちゃってるから、暗いのは当たり前なんだけど……それだけじゃなくて、まとわりつくような「暗さ」がここにはある。
「――が――思わない――!」
「――ふっ……ったら――でしょ?」
硬直する。広々と伸びた廊下の奥、ダイニングの方から誰かの声が聞こえた。何でか心臓が早鐘を打つ。言い争うような声だ。
あたしは胸の辺りを押さえ、近づいて行った。そっと扉を押し開け、耳をそばだてる。
「そんな事には意味がないだろう!」
朗々とした声だった。どこかで聞いた覚えがある……この声、榊原のものじゃないか?
「意味ならあるさぁ。彼女の望みなんだから」
もう一つの冴えた声が響き渡る。この声……シャリ?
「君のやり方は間違ってる。あの女の子……メイのことだってそうだろう。誰かを不幸にした上に成り立つ幸福なんて彼女は望まない」
「僕は彼女の願いを叶えるだけ。他のことはね、ウフフ、どうでもいいさ」
「これ以上こんな真似は、よせ! 大体、君はあの無限のソウルを――」
「あっ!」
張り詰めすぎた緊張が一気に崩れる。あたしは、気がつくとバランスを崩して部屋の中にまろび出ていた。たたらを踏んで、そっと顔を上げる。榊原が、何とも言えない嫌そうな顔であたしを見た。
「……何でここにいる?」
「僕が呼んだからさ」
くすくす、くすくす。笑いながら、シャリが近づいて来る。
「全く、意思のある人形なんてウザイだけだよねぇ。いっその事彼も空っぽにしちゃおっか? メイ」
後ろにまわって、あたしのお腹の辺りに腕を回しながらシャリが言った。
「シャ、シャリ……?」
不安だった。彼を振り返り、じっと見つめる。黒い瞳の奥底で、何かが光っていた。何か企んでいる時の顔だ。
「……くだらない。僕はもう寝る」
「まだ夜は始まったばかりだよ、エルファス?」
踵を返しかけた榊原に、意外なほど鋭い声でシャリが言った。くすっと笑いながら、目を細める。
「ねぇエルファス。お願いがあるんだぁ」
「そんな物、聞く必要――」
「へぇ、そんな事言っていいの?」
シャリがあたしのお腹にまわしてた腕をほどいて、片手を差し出した。その手の平に、ぽぉっと淡い光が灯る。
「な、なに――これ」
眩暈がするようだった。こんな綺麗な”色”、見た事ない。ううん、色なんて言葉じゃ言い表せない。最上級の光――何よりも美しい光だった。
「いいの? エルファス。これを握りつぶしちゃっても?」
「……くっ」
榊原は、心底悔しそうに唇を噛んだ。冷たそうな容貌には、全然似合ってない……
それにしても、この光は何なの? 榊原の大切なモノみたいだけど……
問いかけるような視線を送ってみたけど、シャリはすっと目を細めて笑みを浮かべるだけで、口を開こうとはしなかった。
「何が……望み?」
ソファーに倒れ込むように座りながら、榊原は言った。
「簡単なことさ」
シャリはあたしから離れ、榊原の顔を覗き込む。流れるような黒髪が、さらりとこぼれた。
「これから、メイと一緒に”狩り”に行ってくれない?」
驚く榊原を残して、くるりとこちらを振り向く。
「メイ、いいよね」
ニコリと笑うその顔が、あまりにもきれいで、あたしは後先も考えずにうなずいていた。