COLORs(32)

「……メイは待って」
 榊原と共に部屋を後にしようとしていたあたしは、振り向いて訝しげな表情を作った。シャリは自分の唇に指を押し当て、少し俯いた姿勢であたしを見てる。
 あたしは一応、義理で榊原の方を向き、"いい?"とばかりに首をかしげて見せる。榊原はあたしとシャリを見下したような顔で見た後、部屋を出て行った。

「先に行っている。二丁目の路地裏……」
 憂鬱そうな声にうなずきを返せば、それを見もせずに足音は遠のいて行く。静謐なその足音も、やがて夜の闇に消えた。
 あたしは彼が行ったのを確認して、シャリの方へと歩み寄った。人形のような少年の元へ、あたしの希望の元へ。

 厚いカーテンに遮られ、月光はここまで届かない。どんな光も彼を照らすに値しない。
 あたしは自然と、シャリの前に跪いた。そのまま祈るように手を組み合わせ、目を閉じる。
「メイには何か強い願いがある?」
 シャリの手があたしの髪にのびる。それを弄びながら、シャリが聞いた。
「……あたしは……」
 答えようとして、ためらった。あたしの中には強いものなんて何も無い。シャリと出会うまで空っぽだったあたし……強いて言うなら、色んなものに対する憎悪。でもそれだって、醜い感情だから本当は好きじゃない。願いってもっと綺麗なものだよね? あたしはそう思う。だとしたら、今のあたしには……強いて言うなら、シャリの……

「なんにも、ないわ」
 口に出すなんて出来そうになかった。目を開いて彼を見つめる。少年はあたしの髪に指を通してさらさらと流していた。見返してくる瞳は、ぞっとするほど感情がない。
「……メイの願いは分からないなぁ。でもエルファスの願いはね、ふふ……手に取るように分かるんだ」
 彼はあたしの髪から手を離し、屈んだ。ちょうどあたしと視線が合うように。
「エルファスはね、メイ。きっと今日、君に持ちかけてくる。僕を裏切らないかってね」
「……裏切る? 誰を? あたしが?」
 驚きのあまり言葉も無い。
「そう」
 シャリはゆっくりとあたしから離れ、窓の方に歩き出した。
「僕は彼のたーいせつなモノを奪ったからさ……それに、前に居た世界じゃあエルファスには随分と役に立ってもらっちゃったからねぇ」
 ささやくような声でも、何故かシャリの声はあたしの耳に届く。
「それって、さっきの……」
 シャリが榊原を脅していた淡い光の欠片……なのだろうか?

 それをたずねる前に、シャリはくるりとあたしを振り向いて綺麗に笑った。はかなくて透明な笑み。
「さぁ、メイ。僕の言いたいこと、分かったかなぁ?」
「……分からない。榊原が裏切ろうって、あたしに言ってくるのは分かったけど」
 シャリは時々意地悪になる。あんなちょっぴりのヒントで、言いたいことの全部が分かるわけないのに。
「メイへのお願いは簡単だよ。もしエルファスが裏切りを持ちかけて来たその時は――

 ごくりと唾を呑む。
「その時は……?」
「エルファスを殺すんだ」

 /*■*■*/

『君だけが頼りなんだよ。ねぇ、メイ……ふふふ、あはははは!』

 彼の笑い声がいつまでも脳裏で響いているような気がする。
 ちらりと前を見ると、榊原が仏頂面であたしを見ている。あたしは目を逸らした。

 一丁目の路地裏である。ゴミやらどこぞの店から漂ってくるご飯の匂いやらで一杯だった。こんな場所に榊原みたいな美少年が立ってる姿は一種異様なものがある。どちらかと言うと榊原の顔は、こんなうらびれた光の射さないところよりはもっと明るい所が似合うと思う。

 ……あたしと違ってね。
 あたしは今日、いつも狩りに行く時の黒服に着替えていた。すでに何匹かのモンスターに、別々の場所で待ち伏せてもらうよう指示して来ている。
 あたしは皮肉にため息をつきながら、彼に近づいて軽く手を上げる。榊原はどんな時にも超然とした顔をしてる。今もそうで、あたしの挨拶にも大した感慨はないらしく、軽くため息をつかれて終わった。

「……ほら、パールも挨拶して」
 あたしは振り返り、白いライオンみたいな犬みたいな白い大型の魔物の頭を撫でる。パール……初めてシャリと会った時に側にいたモンスター。何だか馴染み深いから、いつもこういう『大事』な場面の時には連れてくる。
「くぅん……」
 パールはあたしの手の平に鼻面を押し付けて、慰めるようにぺろりと舐めた。あたしはそのパールに向かって微笑みを返し、榊原の方を見る。

「で、獲物は来そう……?」
「いや」

 榊原はどこか憂鬱そうに言った。……シャリは、前にいた世界でも一緒だったみたいな事を言っていたが、榊原からはシャリほどの『非日常』を感じない。だってシャリは滅多に憂鬱そうな顔なんてしないもの。榊原はシャリに比べてずっと人間らしい。だから悩むんだろう。

「どうかしたのかい?」
 思いふけっていたらしく、問いかけられるまで榊原の視線に気づかなかった。顔を上げる。榊原は訝しげにこちらを見ている。

 ……この榊原が、シャリを裏切るって?
 あたしが、榊原を殺すって?

 何だか現実感が無い。シャリには悪いが、榊原が裏切るなんて何かの勘違いじゃないのだろうか……ううん。
 あたしは心の中でかぶりを振った。
 例え真実がどうだったとしても、例え何が起こったとしても、あたしはシャリの言う通りに動くだけだ。シャリの役に立ちたい。シャリが望む限りはどうしても。

「何でもないわ。……人が来るまで手分けして待機しよう」
「待って」
 パールと共に立ち去り掛けたあたしの腕を、榊原が掴んだ。
「……、なに?」
 振り返ると、榊原はぶっきらぼうな顔で斜め下に視線を落としていた。それなのにあたしの腕を掴んだまま、離そうとはしない。
「離してよ」
 まるで榊原は子どもみたいだった。母親の手を引く駄々っ子みたいな。

 榊原が……駄々っ子ねぇ。
 あたしは自分で自分の想像に笑う。彼の顔を覗き込むと、眉間に皺を寄せられた。あーあ、これじゃシャリの方がよっぽど大人じゃん。
「何か用なの? 黙ってちゃ分からないわ」
 榊原は突然あたしの顔をまっすぐ見返すと、腕を離して自分の胸に手をあてた。
「君は。シャリが憎くないのか?」
「またその話?」
 肩をすくめるあたし。前回と違って、もう心が揺らぐことはなかった。だってシャリを見るたびに、あたしは幸せな気持ちになれるんだもん。胸がじわーっと温かくなって、どきどきして……

「憎くなんてない。……あたし、シャリの役に立ちたい」
「愚かな。叶わぬ恋に身を焦がしてどうなる」
「……あんた何が言いたいの?」
 あたしは腰に手をあてて仁王立ち。榊原の真意をはっきり見極めてやるつもりで睨みつけた。

 すると榊原は、ショックを受けたような顔で視線をさ迷わせ、言った。
「……シャリを止めようとは思わないのかい? シャリを……殺そうとは」
 あたしの背後で、パールが唸り声を上げる。そのふさふさとした体毛に指先を絡ませ、あたしは落ち着くように指示した。
「……それってどういうこと? エルファ――榊原はシャリを殺したいの?」
「恨みがある」
「恨みって何? だったら一人でもシャリを……殺せばいいじゃん。どうしてあたし何かにそんなこと?」

 ……シャリの命令は、裏切りを勧めて来たら殺せってものだったけど、あたしは榊原が何故こうまでシャリを嫌っているのか知りたかった。あたしの知らないシャリの側面を彼は知っている気がした。

 榊原は壁に背を預け、軽く目を伏せる。
「僕には殺せない。君も見ただろう? シャリが握っていた僕のソウル――あの光を」
 言われて、思いだした。榊原はシャリに脅されていたみたいだった……

『いいの? エルファス。これを握りつぶしちゃっても?』
『……くっ』

 あの時シャリが握っていたあれ。光っていた何か……でも、ソウルって?
 首をかしげているあたしを見かねたのか、榊原が口を開いた。
「ソウル……人の持つべき運命を定める魂にも近いものだ」
「えっ……その、ソウル――シャリがどうして?」
「……」
 榊原は忸怩たる表情で俯いた。秀麗な顔が歪む。

「前にいた世界で……シャリは世界を滅ぼそうとしていた」
「っ!?」

「……僕はシャリに乗せられ、『システィーナの伝道師』として世界を滅ぼすためにシャリと協定を……でも最後……無限のソウルや勇者との戦いの時、シャリの策略に嵌り、僕は人では無いものになった。そう、神になったんだ」
「神……? って、あのカミサマ?」
「想像上の存在じゃない。人々のソウルを吸収した僕は、真なる神としてあの場に存在していた」

「ちょ、ちょっと待ってよ」

「けれども無限のソウル――彼女は強かった。僕も闇の王女も打ち倒し……そしてそのまばゆいばかりの光で世界を滅びから救った」

「え? で、でも榊原はこうして生きてるじゃない。カミサマにも見えないし」

「僕は一度死んだ」
 榊原は話の内容について行けないあたしを無視し、自分の目を覆って震える唇で続ける。

「だけど……崩壊した僕のソウル……シャリは闇の狭間でその欠片を使って、僕を再生した……その時にシャリは僕のソウルの一部を分けて、半分は自分の手元に置いたんだ。僕に……言うことを聞かせるために。あのソウルを人質として」

「……あのソウルを潰されたら、榊原はどうなるの?」
「死ぬ」
 絶望的な表情で、榊原は言った。

「……もはや神として死を遂げた僕にはもう、生への執着なんてないんだ。でも、彼女に――無限のソウルであった彼女に、消えるなと言われた。生きてくれと。僕は彼女の言葉を守りたい。だから生きて……生きなければ」
 榊原はクッと呻き、うずくまった。

「榊原……」
「くぅん……」

「だから!」
 彼は突然顔を跳ね上げ、ぎらぎらした眼差しで宙を睨んだ。
「シャリの持つ僕のソウルを手に入れなければならないんだ。そして僕はシャリを殺す……許せるものか! あいつは邪悪だ。邪神など目じゃない、この世の何よりも邪悪な存在はあいつだ! 僕はシャリが憎い。僕を利用したシャリは生かしておけない」

 そこで言葉を切り、榊原はあたしの服の裾を掴んだ。見上げる視線が爛々と輝いている。
「メイ、利用されているのは君も同じだ。僕に協力するんだ。ソウルを――シャリの手から僕のソウルを奪還してくれ」

 あたしは戸惑い、何と返していいのか分からない。これって……シャリを裏切れって事だよね。だったら……殺さなきゃ……ならないけど……今更あたしは何を迷ってるんだろう? パパだってこの手で殺したって言うのに……今更ためらうなんて……

 あたしは榊原の顔を見下ろした。
 あたしは……
 迷いながら視線を背け、――

「っ!? あれは……パール!! 殺せ!」
 咄嗟に身を引いて指をさす。その瞬間、パールは唸り声を上げて飛びかかった。榊原の斜め後ろにある電柱の影で座り込んでる男に向かって。

「っ、ヒィ!?」
 パールが喉笛に食らいつこうとする。だけど男の手の中で黒光りしていた何かが火を噴いた。

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パールは従順で可愛らしいと思います(何)