COLORs(36)

 猫かぶって、ぐったり歩くのも、教室を出るまでだ。あたしは扉から五メートル離れるや否や、演技などかなぐり捨ててぱたぱたと廊下を駆け出した。
 走りながら周囲を見渡し、軽く舌打ち。
「……ったく、アイツどこ行ったのよ……そうだ。ブレーズ、分かる?」
 あたしは藁をも掴む思いでブレーズに呼びかけた。
 ボンッと空間がはじけ、顔を出したブレーズが、ふよふよと浮きながらついて来る。全く、人が必死で走ってるってのにこのバカドラは悠々と……!!

 睨みつけたのが変に作用したのか、ブレーズはへんてこりんな事を言い出した。
「俺に一体どうしろってんだよ? え? シャリんとこ行って聞いて来てやろうか? アイツため息つくぜぇ。部下がお前みたいな情けない――ごふっ」
 あたしはみなまで聞かず、階段に向かってバカドラと蹴り飛ばした。うん、綺麗にハイキックが決まったわね。

「何すんだお前!」
 あたしは振り返らず走りながら、後ろに向かってヒラヒラと手を振ってやった。どうせあのくらいじゃ、傷一つ付かないんだから文句言う方が筋違いだよね。
「あんたは下の階探して!」
 ブレーズの怒声を背に尚も走る。全く、御羅田は一体どこに連れて行かれたんだか……

 あたしは、走りながら耳を澄ませた。それらしい、罵声とか怒鳴り声とかが聞こえて来ないだろうか……そう思って聞いていたせいか、何か甲高い声が聞こえて来て、あたしは胸の中でガッツポーズした。渡り廊下を渡った先だ。
 走るのをやめて、足音を潜めながら近づいて行く。ちらりと視線を上に上げて確認すると、どうやら声がしてくるのは――視聴覚室だった。念のため外に張り出してある利用表を確認するが、この時間帯はどのクラスも使っていない事になっている。
 あたしは安っぽい扉の前でしゃがみ込み、耳をくっつけた。

――たお前のせいで気分が悪く――って! ――してくれんだよ」
 苛立った女の声がした。何やら、不穏な内容である。

――って……私は、――
 !
 あたしはごくりと唾を飲んだ。その声は間違いなく御羅田のものだったからだ。こんな弱弱しい声はあの女の他いない。

 ごグッ

 どうしようか逡巡していると、中から水の詰まったずた袋を殴るような音が聞こえて来た。もちろん中でサンドバックによるストレス解消会が開かれている訳もなし、殴られたのは御羅田紗那だろう。
 いつもだったら、この時点で助けに入るんだけど……

 あたしは今日に限ってまだ迷ってた。今のあたしは、朝御羅田を怒鳴りつけた一件をまだ引きずってるんだと思う。あの子が嫌いな訳じゃないけど、でも自分の身を危険にさらしてまで助けるのは億劫だった。
 そうこうしているうちに、中から何やら男の声が聞こえて来る。笑い声だ。……何が起こってるんだろう?
 あたしはそうするうちに、だんだん居てもたってもいられなくなり、扉に手を掛け、――

 その瞬間、強い力で肩を掴まれた。半ば強引に振り向かされ、目にしたものは……
「……リュウトウ!?」
 精悍な顔が、あたしを見下ろしている。リュウトウは堂々とそこに仁王立ちして、睨むように扉を見ていた。
「何であんたがここに、」
「どけ」
 言葉少なにそう言って、リュウトウがあたしの腕を引っ張り無理やりどかせた。あたしは虚を突かれ、あるいはリュウトウの空気に呑まれて何も言えないまま、道を譲る。

 彼はあたしがあんなに迷っていた扉を、何の躊躇もなく開け放った。ガラ、と大きな音がたち、中の連中が一斉にこちら――困惑した表情でたたずむあたしと、仁王立ちしているリュウトウ――を見る。
 中の有様は、あたしが思っていた以上にひどかった。 

 中心に、服を半ばはがれた御羅田が押し倒されており、それを三人ほどの男子生徒が押さえつけている。別のクラスの奴らだった。そしてその様子を、まるで演劇でも見るかのように取り囲んで見ていたのは、いつも御羅田を苛めている女生徒のグループだ。一人は使い捨てカメラを持っている。

 胸の中で怒りの炎が沸き立つようだった。
「……! シャナ!」
 あたしは、炎を何とかやり過ごしながら御羅田の元へ駆け寄ろうとする――が、あたしより素早く歩み寄ろうとしていたリュウトウに押しのけられ、たたらを踏んだ。

 驚いてリュウトウの方を見ると、彼は物凄い速さで御羅田の所へ走り、何の言葉もなくいきなり男子生徒の一人を引っぺがして殴りつけた。
 ――嫌な音が響く。骨の一本も逝ったんじゃないか?
 あたしは呆気に取られてその様子を見ていた。

「何すんだよ!」
 茶髪にピアスの不良っぽい男子生徒がリュウトウに襲い掛かる。だが、リュウトウはそれをひらりとまるで舞うようにかわし、その態勢から綺麗な回し蹴りを放った。強烈な蹴りに、体を九の字に折って壁に叩きつけられる男子生徒。その様子を見ていた他の男子生徒たちは、引き吊った顔で後ずさりした。

「違ェんだよ、俺たちはただそこの女子に言われて……」
「おまえたちは」
 リュウトウは御羅田をかばうように前に立ちながら、鋭い眼差しで辺りを睥睨した。まるでライオンかマフィアのボスとでも言った風で、とても高校生の目には見えない。
「お前たちは、自分の意思でここに来てその少女を犯そうとしたんだろう? だったらそれはお前たちの罪だ」
 そう言って、腕を振り上げるリュウトウ。恐れをなしたのか、残っていた連中も蜘蛛の子を散らすように逃げて行った。うずくまっていた男子生徒も、涙を浮かべながら這いずって教室を出ようとしている。

――待ちなさいよッ! あんた達、たしかに引き受けたでしょ!? 待って――待ちなさいってば!」
 ただ一人の女生徒だけが、がむしゃらに怒鳴っていた。手にはカメラを握っている。怒りに顔は青ざめ、唇が震えていた。
 御羅田を苛める、リーダー格の少女である。
「あんた……何なのよッ! 邪魔してんじゃないわよ!」
 少女はリュウトウに食って掛かる。だが、リュウトウはまるで気にした風もなく御羅田に近づいて行くと、「大丈夫か?」と言いながら手を差し出した。

「あ……」
 倒れ込んだ御羅田の顔が引きつり、自分の身をかばうように抱き締める。あたしはさっさと歩み寄り、間抜け極まりないリュウトウを思いきり突き飛ばした。
「邪魔よ!」
 言いながら、かがみ込んで自分のブレザーを御羅田の体に掛けてやる。御羅田は潤んだ目であたしを見上げ、かと思うとあたしの胸に飛び込んで来た。そのまま顔を押し付け、「だ、大丈夫……」とつぶやいている。ちらりとしか見えなかったが、シャツは破かれスカートは半ば引き摺り下ろされ、まったくひどい有様としか言い様がない。あたしの中にも怒りが沸いて来た。
 ――あのままだったら、御羅田の人生はめちゃくちゃだったのだ。
 あたしは御羅田の背を撫でてやりながら、ふとリュウトウを見上げた。

 リュウトウは、ばつが悪そうに顔を背けた。

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 リュウトウはまっすぐですが若すぎてそういう所はにぶかったりします。