COLORs(41)

 あたしは、何度も逡巡しながら、それでも視聴覚室へと向かって行った。
 シャリの言葉が気になったからだ。あたしを残して挨拶に行くと消えたシャリは、「宿敵」と口にしていた。
 恐らくそれは、シャリにとって特別な意味を持つ言葉であるはずなのに。

 もしも――シャリの言う「宿敵」が、あたしが想像しているものと同じ意味を持つのであれば、あたしは……放ってなんておけない。

 あたしがシャリに連れて来られた教室は、南校舎の使われていない教室だった。あたしは肌寒い廊下を、一人ひたひたと歩いて行く。授業中なのですれ違う生徒はおらず、幸いなことに教師の気配も無かった。

 渡り廊下を抜けると、視聴覚室はすぐ側だ。あたしはどきどきする胸を押さえ、何度も深呼吸した。
 ――大丈夫だ。きっと大丈夫。
 根拠もなく自分に言い聞かせた。けれども、逆に言えばそう言い聞かせなければならないほど、あたしは不安に襲われていたのだろう。見たくないものを見てしまうかもしれない、その予感は確かにあった。……人間て不思議。どうして、自分が傷ついてしまうような真実を、自ら知ろうとするんだろう。
 それは。
 あたしは歩きながら、胸中に答えを落とす。

 それは、きっと。自分が傷つくことよりも、ずっとずっと嫌なことがあるからだ。

 そこの角を曲がれば、視聴覚室だ。歩を進めたあたしは、聞こえて来た声に耳を澄ませた。

「たかみや――君?」

 戸惑ったように震えているのは、御羅田の声だった。
 あたしは壁に背をくっつけ、ほんの少し顔を出して様子を窺う。
 シャリの隣には、血まみれになったケルベロスが倒れている。彼がやったのだろうか? リュウトウの持った銀色のバーが血に濡れている。シャナはその横で、不安そうに胸に手をあて、立っていた。

「はぁい、シャナ――だったっけ。元気してた?」
 シャリは軽く言って、ひらひらと手を振って見せた。完全に舐めている。
 御羅田もそれが分かったのか、わずかにむっとしたような顔でシャリを見た。
 でもシャリは、そんな御羅田には構わず、リュウトウの方に向き直る。
「そっちの勇者君はお元気かな?」
 リュウトウは忌々しげにシャリを睨みつけていた。そんな険のある表情の意味が分からないのか、御羅田は目をぱちくりさせている。

「お前か……」
 リュウトウは押し殺した声で一言、言った。
 シャリはいかにも気分良さそうに満面の笑みで答える。
「あはは! 嫌だなぁ。そんな怖い顔しないでよ」
「俺は、邪悪な気配を感じてこの町にやって来た。邪悪の元を断つために」
 リュウトウは一旦そこで言葉を切り、苛烈な色を込めてシャリを見据えた。
「……一目見て分かった。お前の仕業だと」
「へぇ。すごいねぇ」
 淡々と言って、シャリは目を細めた。ぴりぴりとした緊張感が二人の間に流れる。
「お前の目的は何だ。今の化け物もお前がけしかけたものなんだな?」
 リュウトウは言いながら、バーを持ち上げて正眼に構えた。隙のない、明らかに何かを嗜んでいると分かる構えだ。
 シャリは笑いながら聞いた。
「僕の目的? そんなに知りたい?」
「ふざけるな!」
 緊張の糸が切れたのだろう。リュウトウはいきなりシャリに斬りかかった。銀色のバーがシャリの頭に振り下ろされるその瞬間、シャリの姿は掻き消えていた。一瞬後に、リュウトウの真横に現れ、ケラケラと笑う。
「おーっと。危ない危ない」
 完全にふざけた調子でシャリは言った。リュウトウが青ざめた顔で歯噛みする。――避けられるとは思っていなかったのだろう。
 しかし、シャリはお構いなしだった。咎めるように目を細め、細い指先を自分の口もとにやる。
「ふふっ、もうちょっとで死んじゃうところだったじゃない。こんな悪いことするヤツにはお仕置きしなきゃね!」
 シャリは手を大きく振り上げ、振った。それと同時に、異形の集団が廊下を埋め尽くす。魑魅魍魎――いや、モンスターの一団だ。
 あたしはとっさに顔見知りの奴がいないかどうか確かめたけど、それは居なかった。ほっと胸を撫で下ろす。

 襲いかかられたリュウトウは、勇敢にも応戦した。バーを叩きつけ、確実に急所を突いて行く。御羅田は――と首を巡らせると、へっぴり腰で泣きそうになっている。それでも牧瀬を背にかばっているのが彼女らしいが、駄目だ、あんなんじゃ、殺されてしまう……
 あたしはこのまま見ていればいいの? 目の前で友達が死に掛けてるって言うのに、また無視するの?――
 胸に熱い思いがこみ上げた。そんなことは出来ない。あたしは御羅田を……

 自分の立場も忘れて一歩足を踏み出し掛けた時、ふとシャリの横顔に目が留まった。胸がざわめく。真摯な、とても真剣で優しい視線をどこかに向けていた。それは、シャリが普段絶対にあたしには向けない類の視線だ。

 胸がざわめく。
 一体、シャリは誰を見ているの――
 ゆっくりと、シャリの視線の先を追った。

 その先には、確かに、御羅田紗那の顔があった。

 ――

 あたしは、その時気づいてしまった。
 分かってしまった。
 シャリにとって一番大事なのはきっと――御羅田なのだ。
 あたしじゃない。あたしは彼の中に入っていけない。あたしじゃなくて、彼が選んだのは――

「シャナ……」

 声に気づいたシャリが振り返る。あたしはその顔を直視するのが怖くてたまらなかった。震える足を叱咤して、あたしはその場から駆け去った。

 あたしじゃなかった!
 あたしじゃなかった……!

 シャリはあたしなんか全然好きじゃない!
 

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