もう二時限目が終わり、休み時間に入っていた。あたしと、連れ立って歩く榊原は当然ながら目だっていたけれども、校舎を出ようとしても誰も何も言わなかった(あたしは怪我を隠すために榊原から上着を借りていた)。ただ好奇の視線をこちらに注ぎ、仲間と噂話をしている。……日本人にはとうてい見えない、しかも神さまかと思うほど美しい榊原と一緒にいるせいだろう。
あたし達は、無言のまましばらく歩き、学校のすぐ近くにある児童公園までやって来た。遊具はさびついており、ベンチは砂だらけだが、そのおかげか人の姿は無い。あたしは榊原をちらりと見てから、彼を追い越して公園の真ん中で足を止めた。
振り返る。
「さぁ、話して」
榊原は、突然態度を変えたあたしを不愉快に思ったらしかった。眉間に皺を寄せ、汚いものを見るようにあたしを睨む。
「さっき言ったしたでしょ。早く」
あたしは、苛々と言った。そうして早口に言葉を紡いでいないと、不安で頭がどうにかなりそうだった。本当は、榊原の口から出てくる真実なんて知りたくないのかも知れない。知ったら傷つくと分かっているからだ。でも、あたしは聞かずに居られなかった。身も焦げるような焦燥感が、あたしを突き動かしていたからだ。
……――同じだ。
気づいた瞬間、ガツン、と頭を殴られたような気がした。
同じだ。さっきと。あたしはきっと心のどこかで気づいているのだ。さっき、シャリが御羅田に向ける視線を見た時に悟ったように、また傷つくような事を知ってしまうと、あたしは気づいているのだ。なのに、あたしはまた同じ事を繰り返そうとしている。
嫌だ! 心のどこかが軋んだ悲鳴を上げた。もうあんな思いはしたくない。
「……シャリが虚無の子である事は知ってるな」
硬直している間に、榊原が訥々と語りだした。あたしは「やめて!」と叫びそうになり、けれどそうしていいのかも分からず、完全に思考の麻痺した状態で呆然と聞いていた。
あたしの沈黙を疑問に思わなかったはずもないのだが、榊原は無表情に続けた。
「シャリ――虚無の子と言う存在は、果たされなかった強い願いによって生まれる。だからそう言ったものが集積する動乱の時代には、彼らが生まれやすいんだ。でも、それと同時に募って行く願いがある。『平和な世界が欲しい』『この世界を平和に導いてくれる救世主が欲しい……』」
榊原は自嘲するように、喉の奥で笑った。少し目を伏せ、あたしの様子を窺うようにしながら続ける。
「……平和を求める祈りもまた、集積すれば虚無の子と同様、具現化する。そうして生まれたのが、"無限のソウル"……と言う訳だ」
「……でも……それが、何の関係が」
あたしはつっかえながら、何とか問いただした。もうこの話の内容に心を引きこまれていた。
「……無限のソウルはいわば、虚無の子とは対であり、また敵とも言える存在だった。シャリはもっとも強い願いを――……世界を滅ぼすと言う願いを叶えようとしていたからね」
「だから、それが――それが何の関係がっ……」
「この世界に生まれた無限のソウルは、御羅田シャナと劉籐傭璽だった」
榊原は喚くあたしの声を抑えつけるように、一気に言った。
「はっ……」
思わず言葉を呑み、目をまん丸にする。
「シャナ……が……無限の……ソウル? じゃあ、あいつが……シャリ……と敵対する……しゅくて、き」
あたしは息も出来なかった。
シャリは以前言った。今、自分は『宿敵』の願いを叶えようとしていると。
「じゃ、じゃあ、シャリは……シャリはシャナ……の、願いを叶えようと?」
喘ぎながら、取りすがるように榊原に聞く。けれども榊原は首を横に振った。あたしは、それでさらに胸が苦しくなった。じゃあ誰。誰の願いを叶えようとしているの?
「シャリは――シャリが願いを叶えようとしているのは、僕たちが前いた世界に生まれた無限のソウル。彼は今、自分の存在そのものを危うくして彼女の願いを叶えようとしている……」
あたしはただ目を見開き、榊原を凝視することしか出来なかった。もう何も考えられない。胸が苦しくて張り裂けそうだ。
シャリはその女のために、その女のためだけに全てを捧げている? 何故。一体、何故!
疑問が聞こえたわけでもないのだろうが、榊原は首を横に振って、語りだした。
「彼女はどこまでも優しい人だった。全てを包み込むだけの優しさと、未来を切り開く強さを持っていた……シャリは、いまわの際彼女に言われたんだよ。これ以上世界を壊さないで、お願いだから世界を守って――と」
そんな。じゃあ、シャリはその願いを律儀に叶えようとしていると? 自分のいた世界はもう、平和になったから、壊れつつあるこの世界を救うために、一つの町を犠牲にするなんて方法まで考え出して、故郷を離れて?
「――バカげてる!」
あたしは声を荒げた。髪を振り乱し、叫ぶ。今はこの荒れ狂う感情を、どこかにぶつけないと、破裂してしまいそうだった。
「そうだ! バカげてる!」
驚いたことに、榊原も感情をむき出しにして怒鳴った。
「バカげてるんだ。死んだ彼女にいつまでも執着するシャリも、そして彼女に生きて欲しいと言われ、今もまだ浅ましくこの命に執着しているこの僕も――分かっていて抜け出せない、彼女はきっとこんな事は望んでいないのに!」
榊原は長い髪を乱して膝をつくと、頭を抱えた。自嘲気味な声で言う。
「まぁ、もっとも……シャリは、それと分かっていて面白がっているみたいだけどね」
彼はクックッと凄みのある表情で笑い、あたしを上目遣いに見て首を傾げた。
「君はこの話を聞いてどうするんだい」
あたしは自分の顔を覆った。
話を聞いてやっと分かった。きっと"無限のソウル"はシャリにとって特別な存在なのだ。特別、大事な……だって、虚無の子であるシャリと、無限のソウルは、数少ない同胞なのだから。そして、その無限のソウルである御羅田。……だからシャリは、あんな顔で御羅田を見ていたんだ。あたしに向ける時にはない、あの温かな光を込めて。
……そんなの耐えられない。
あたしは指をゆるゆると下ろし、空を睨みつけた。
…………耐えられない!
だっ、と走り出した。あたしはその瞬間、榊原のことも自分を取り巻く環境も全て忘れて走り出していた。
絶対に耐えられない。
耐えられない