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COLORs(44)

 ベッドに寝転がり、あたしはじっと虚空を見つめていた。何も考えられない。完全に虚脱状態になっていた。
 シャリが、誰かの願いを必死に叶えようとしているって言うのはまだいい。それは、まだ我慢できるし、そもそも前から知っていたことだ。……それでも良かった。それでもあたしはシャリが――だったし、本気で振り向いてもらおうと思ってたわけじゃない。ただ、儚い希望に縋りたくて……少しでもシャリの側に居たくて……あたしはシャリの元にいたのだ。
 だけど、ここに来てあたしの心は不思議なぐらい乱れていた。だってシャリが執着しているのが――まさか、よりにもよって……御羅田だったなんて。

 嫌! 考えたくない……

 あたしは頭を抱えた。
 最悪だ。どうしてあの子なの?
 御羅田 紗那――誰だって良かった。あの子以外の誰かなら、あたしはこんなにも心乱されはしなかっただろう。なのに、御羅田だった。よりにもよって、あの子だった!
 乾いた唇を開き、涙は流さずに嗚咽だけを漏らす。長いこと水を得ていない喉がひりひりと痛んだ。

 ……水、飲もう。
 あたしはふらりと立ち上がり、その拍子に何気なく首をめぐらせ、外を見つめた。外は雨が降っている。窓から覗く空が灰色に曇り、涙を流すようにしとしととした雨粒を落としていた。視線を落とすと、おなじみの公園が見える。
 何気なくそこを見たあたしは、息を呑んで目を見開いた。

 御羅田 紗那が立っていた。

 御羅田はあたしの部屋をじっと見上げ、あたしが気づいたと知ると手を振った。

 何でここに――!?

 あたしを笑いに来たのか――一瞬そう思った。それぐらい、嫌なタイミングだった。

 でもそんなはずない。だって御羅田はあたしの思いも、自分がシャリに特別な目で見られていることも知らないはず。……きっと、あの後あたしが突然居なくなったから、心配して来たに違いない。公園に立っているのは、多分あたしの部屋がどこだか分からなかったからだろう。

 あたしは自分をそう納得させた。……もしも――万が一――あたしを笑いに来たのだったら、多分あたしは立ち直れない。だからその考えを故意に潰した。

 あたしは御羅田に向かって強張った顔で微笑み、外に出るために踵を返した。

 /*■*■*/

 御羅田は、律儀にもじっと公園で待っていた。傘を差しながらベンチの脇に立って、心配そうにあたしを見つめている。あたしは、努めて御羅田と目を合わさないように視線をずらしながら、おずおずと傘を持っていない方の手を上げた。
「大丈夫? ……シャナ」
 問いかけると、御羅田は静かな微笑みを返した。
「私は大丈夫……メイちゃんこそ、腕の怪我は……」
 御羅田は自分が痛みを感じているかのように眉をしかめる。あたしはとっさに患部に手をやった。……服の下に巻いた包帯が、固い感触を返す。
「大丈夫。気にしないで」
 その包帯の感触よりも硬い笑みでもって答えると、御羅田は安心したようだった。ほっと息をつき、顔を輝かせる。
 あたしは横目で、御羅田を観察した。
 ……あたしがもし、この子に向いているシャリの目を自分の元に引き寄せようとしたって……
 分かっている。御羅田には勝てない。……あたしは御羅田の持っている色鮮やかな個性を一つも持っていない。芯の強さも、優しさも、全ての人の心を溶かすような微笑みも。

 そしてきっと、シャリは御羅田のそういう部分に惹かれているに違いない。

 だから、あたしは御羅田には勝てない。御羅田にだけは絶対に。なにひとつ。
 それが分かっているからこそ――シャリが目を向けたのが御羅田であったことが、こんなにも悔しくてたまらない。

「考えて見たら、お互いの家に行ったこともなかったね」
 そんなあたしの思いも知らず、御羅田は微笑む。あたしが目の前で、その微笑みを引き裂いてやりたいと思っているのも知らないで!

 あたしはぎゅっと患部を握る手に力を込めた。ぴり、と痛みが走る。傷口が開いたかも知れないが、構わなかった。
 あたしは、自分に強いて、微笑み返した。
「……、お茶ぐらいなら出すよ。さっきの話もしたいし、寄って行く?」

 あたしに与えられた任務は、御羅田に取り入ることだ。多分、敵としての御羅田の諜報活動をしろ……と言うことなのだろう。御羅田が敵と知った今、そう推測するのは難しくなかった。
 そうと決まればどんな情報が役に立つか分からない以上、自分勝手な感情で御羅田を切るわけには行かない。

 自分に言い聞かせ、こくんと頷いた御羅田を尻目に踵を返す。
 今後の身の振り方について考えながら公園の出口と向き合い――そしてあたしは立ちすくんだ。

 あたしの前を、黒い影が横切った。一陣の風が吹き、のびたあたしの髪を揺らす。

 あれは!?
 
 あたしはすぐさま走りだしていた。黒い影を追い、交差点に飛び出す。車通りのない道で、目の前を黒々とした獣が走っていた。
 ――モンスター!? 何でこんな所に!
 唇を噛み、あたしは傘を投げ捨てた。きっとなって獣を指差し、頭の中で命じる。
 "止まれ!"
 あたしの中で浮かべたはずの命令が乱反射し、脳内にエコーした。
 ――何?

 分からない。こんなことは無かった。幻覚剤を使われていたと言う先のモンスターさえ、一応命令は通ったのだ。今のは、跳ね返されたような――

「メイちゃんっ!?」
 あたしを追って飛び出して来た御羅田が、走り去る獣の姿を見て蒼白になった。

 あたしは振り返り、一瞬だけ逡巡した後――弾かれたように駆け出した。

 ――何か、シャリに関係あるのかも……
 そう思ったら止まらなかった。

 風のように走りながら、異形の獣を見失わないよう注意深く見つめる。角を曲がった。あたしもすぐさま角を曲がる。
 "止まれ!"
 念のためもう一度命令を送ったが、獣は止まらなかった。それどころか、あたしを振り返り、人間のように賢しく目を細めると、さらにスピードを上げて走る。

 ――クソ!!
 あたしは自分の足に舌打した。さすがに四足の獣には適わないのだ。どんどん引き離されて行く。しかも獣は故意にあたしを撒こうとしているのか、細い裏道を失踪し、何度も曲がり、縦横無尽に駆け巡る。終いには、あたしもどこを走っているのだか分からなくなった。
 ――だ、めっ……もう、走れない……
 息が上がり、膝が笑っている。あたしは次第に減速し、最後にはがっくりと崩れ落ちた。

「はぁ、はぁ、はぁ……シャリ……」
 彼の名前をつぶやき、砕けそうになる膝を叱咤して何とか立ち上がる。そのあたしの前に、影が差した。

 心配そうに鼻面を押し付けて来る、パールだった。
 あたしはじっとりと水を含んだパールの毛並みを撫で、問い掛けた。
「パール……一緒に来てくれる?」
 パールは何も言わず、くぅんと鳴いた。

 /*■*■*/

 パールにまたがり、あたしは獣を追った。まるで相手の居場所が分かっているかのように、パールは迷いなく地を蹴る。人に見咎められないかと心配したけれども、パールはそこの所を分かっているらしい。鼻で匂いを嗅いでは、人気のない道を走る。
 やがて、前方に例の黒い獣が見えた。
 ――一匹ではない。三、四、五匹ほどの黒い獣が集まり、何かを取り囲むように輪になっている。あたしは訝しく思いながらも、そっと近づいた。

 一番大柄な獣が態勢を低くし、いつでも飛びかかれるように身構えている。それに習うように、他の獣たちも身をかがめた。

 その拍子に、今まで見えなかった囲まれている相手がちらりと顔を覗かせる。真っ黒な髪がしとどに濡れ、人形めいた頬に張り付いていた。
「シャリ――!?」
 気がついた時には思わず呼んでいる。聞こえなかったはずはないのに、シャリは淡い微笑みを浮かべながら、眉一つ動かさない。そして、あたしの声で緊張の途切れた獣たちが、鋭い爪を光らせ、シャリに飛びかかった。

「やめ――やめて!!」
 これも咄嗟の行動だった。あたしはパールの背から身を乗り出して飛び込み、今にも爪に引き裂かれそうになっているシャリの体を引きずり倒した。
 身を伏せたあたしの頭上を、爪が霞めて行く。

 背筋を、雨よりずっと冷たいものが這い上がった。気づいた瞬間、がちがちと歯が鳴った。怖くてたまらなかった。シャリが消えてしまうと言うことが、だ。
 ……っ、そんなの嫌だ。死ぬより嫌だ!!

「っ……っ、パールっ」

 あたしはパールの名を呼び、死に物狂いでシャリを引っ張って逃げ出した。パールが併走したところで、足止めするように指示する。パールは無言で立ち止まり、踵を返して、追ってくる獣達に襲いかかった。

 転がるように走り出す。恐怖のあまり手先足先の感覚がなくなりつつあったが、シャリの手だけはしっかりと握っていた。この少年だけは守りたいと思った。死んで欲しくなかった。もしそんなことになったら、あたしは一体何のために親まで殺したのか分からない。

 全部この少年のためだ。

「っはぁ……はぁっ……あっ!」
 水溜りに足を取られ、派手に転んだ。シャリの手を取っていたため片手しかつけず、肩からアスファルトに打ちつける。痛みに喘ぎながら、立ち上がらなければと手をついた。

「ねぇ」
 荒い息をついたまま、振り返る。シャリはあたしの手を振り払うでもなく、呆れたような、不思議そうな光をたたえた目であたしを見ていた。
 シャリはあたしのすりむいた頬や、血の滲み出した腕などに視線を遣った後、小首を傾げた。
「どうしてメイが――
「! 危ないっ」

 パールはどうしたのだろう。追いついて来た黒い獣たちが、狙い澄ましたように同じタイミングで襲い掛かって来た。ぜんぶの爪が、あたしではなくシャリを狙っている。あたしは咄嗟にシャリの首に飛びつき、抱き締めた。
 咄嗟の行動だった。無我夢中と言い換えてもいい。自分の身のことは全く考えていなかった。

 必死に首を捻ったあたしの視界に、鋭い牙を剥き出しにした獣が迫る。その爪が、あたしの喉元を引き裂こうと振りかぶった瞬間――あたしの下から長い棒のようなものが伸びて、獣の肩に突き刺さった。

 !?
 目を疑う。今にも襲いかからんとしていた獣が、血を吹き出して飛びのいた。あたしの顔に生温かいものが散る。

 棒だと思ったものは、綺麗な紫色の剣だった。驚いてシャリを見ると、シャリはあたしを見ずに突き出した剣の方を見て、顔をしかめている。それはべっとりと血で汚れてしまっていた。
「やれやれ……全く」
 シャリは言いながらあたしを押しのけて立ち上がると、警戒するように唸り声を上げている獣たちを見回し、剣の切っ先を向けた。
「遊びは終わりだよ」
 シャリがつぶやくと、風もないのに髪が舞い上がり、紫色の不思議な光が乱舞する。――次の瞬間、目もくらむような光があたしの視界を焼き潰した。――耳をつんざく轟音。思わず身を縮めたあたしは、次の瞬間目を疑った。高速の稲妻が雲から伸び、五頭の獣たちに狙い違わず命中。一瞬で炭化し、黒い塊と化した獣たちの残骸が横たわる。
 あたしは恐怖と衝撃のあまり頭の中が真っ白で、無様に身を縮めたまま何秒もじっとしていた。

「メイ」
 呼ばれて童女のように顔を上げれば、シャリがあたしを無表情に見下ろしていた。先ほどの剣は、もうその手にない。どこにやったのか――と一瞬疑問が脳裏を掠めたが、次の瞬間には忘れていた。

「どうして僕を助けようと思ったの? 必要ないのに」

 心底不思議そうな顔で、シャリはあたしを見ている。

 ――必要ない?

 あたしは、信じられなかった。それなのに、心のどこかでもうとっくに認めてしまっていた。
 ――そうだ。シャリにとってあたしは必要ない。シャリは御羅田が居なくなったら困るんだろうけど、あたしが居なくなってもちっとも困らない。
 熱い、とても熱いものがこみ上げた。それがあたしの目からじわりと滲み出す。涙は止まらなかった。後から後から、まるで際限を知らずにこぼれだして来る。一番最後まであたしの中で突っ張っていたものが、ついに砕けて折れた瞬間だった。

 あたしは目を丸くしているシャリを真っ直ぐ見つめながら立ち上がり、声を掛けてくるシャリを無視した。
 ここでも――ここでも必要とされないのであれば、シャリにとってあたしはどうやったって価値のない人間なのだ。あたしは永遠に……きっと永遠に……シャリにとってどうでもいい存在なのだろう。

 あたしは駆け出した。どこに行こうとか、これからどうしようとか、そんな事は念頭にも浮かばない。ただ走って走って、この場から逃げたかった。
「メイ!」
 シャリの細い指があたしの手首に回る。あたしはそれを振り払い、その勢いのまま向き直って破れかぶれに叫んだ。

「放っておいてよ! どうせもうシャリにあたしは必要ないんでしょ――いらないならいらないって、はっきりそう言って!」

 それが別れの言葉だった。

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 三章は次の話で終わりです。