COLORs(48)

 授業が終わる前から、御羅田 紗那は変だった。
 先生がちんたら教科書読んでても、いつもは馬鹿みたいに真面目に聞いてるクセに今日に限ってはきょろきょろ辺りを見回している。気もそぞろ、とはこのことだった。
 そしていよいよ全ての授業が終わって放課後になると、いきなり顔を真っ赤にしてガタリと席を立った。辺りを窺いながら小走りに教室を走り出て行く。

 あたしはわざとゆっくり帰り支度をしながら、御羅田の座っていた席を確認した。
 鞄は置きっぱなしだった。

 /*■*■*/

 御羅田が帰って来たのは、数分経ってからだった。あたしは西日の差す中、机に背を預けてどこを見るでもなく待っている。ガラリと引き戸を開けた御羅田は、あたしの姿を見ると、口をぽかんと開けた。

「め……メイちゃん?」
「……」
 あたしは言葉を返さず、もったいぶるように髪をかき上げてから向き直った。御羅田の頬が赤く染まっているのは、西日のせいだけではなさそうだ。羞恥の名残を頬にとどめたまま、あたしと向き合ってしまい狼狽しているようだった。

「シャナ、一緒に帰らない? あたし待ってたんだけど」
 にっこりと、本当にこれ以上ないほどにっこりと微笑むと、御羅田はこくりと唾を飲んでから目を逸らした。
「ご、ごめん……あの、ね。今日はリュウトウ君が、危ないから、一緒に帰ってくれると言うから……」
 そんな所だろうと思った。
 あたしは内心のつぶやきを押し隠し、頭を巡らせた。

 リュウトウは、あたしがシャリの側の人間であることに感づいている。そして、この分だと、彼は御羅田を仲間に引き入れるつもりなのだろう。だとしたら、御羅田にあたしの正体をばらしていてもおかしくはない。
 ……でも、この様子からして御羅田は知っていないようだった。知っていたら、この御羅田のことだ。顔を青くして、信じられないようなものを見る目であたしを見るに違いない。
 リュウトウは、一体どういうつもりなのだろう。

 …………考えても答えは出なかった。
 ……でも、とりあえず、御羅田があたしを敵だと知らないなら……まだ、この友情ゴッコを続けるべき……かな?

 あたしは、思索から脱すると、再び御羅田の顔を見た。以前はしていなかった化粧を、薄っすらと顔に施している。彼女らしい淡い色のリップクリームが夕日に映えていた。

 ……唇を噛みそうになるのをこらえる。この顔を見ていると、どうしても、シャリの心を捕えて離さない無限のソウルのことを考えてしまう。きっと御羅田のような、優し気な女だったに違いない。

 嫉妬の炎が、じりじりとあたしの身内を焦がした。どうして、あたしじゃないんだ。どうして、あたしには無限のソウルと言う名が与えられず、この女には与えられるのだ。

 気がつくと、口を開いていた。
「……ねぇ、シャナ」
「……なに?」
「舎利……高宮舎利君のこと、どう思う?」
 尋ねると、御羅田は怪訝そうな面持ちをあたしに向けた。何であたしがそんな事を聞くのか、分からない……と言った風だ。
 あたしは言い足した。

「だって彼、綺麗な顔してるでしょ。どうしてあっちじゃなくて、あんたが惚れたのはリュウトウなの?」
「ほ、惚れたなんてそんな」
「隠さないでよ。知りたいの。あんたがリュウトウのどこに惚れたのか。だってあたしたち」
 唇を曲げる。

「友達でしょ?」

 御羅田はさらに顔を赤くして、頬に手をあてていたが、問い詰めると、小さくこくんと首を落とした。
 あたしは獲物を仕留めたかのような奇妙な満足感を抱きながら、「やっぱりね」と身を引く。

 そのまま、あたしは御羅田が次に何か言うのを待った。御羅田は、真っ赤な頬に手の平をあてたまま、もごもごと口の中で何かをつぶやいていたが、あたしを上目遣いに見て、どこか恐ろしげな表情を浮かべた。

「……だって、あの子……あの人は……私には……新しく買った玩具を見るような視線しか向けない……から」

 ――

 一瞬、言葉に詰まった。胸を打ちぬかれたような気がした。

 ――御羅田は知らない。御羅田には、シャリの視線がそう映るのだ! 何てこと。一番好意を向けられている彼女ただ一人が、気づいていないなんて。

 ……あたしが欲しくて欲しくてたまらないものを持っているのに、無自覚なままだなんて。

 御羅田は悪くない……そう分かっていても、あたしの胸には棘が刺さったようだった。

 あたしは御羅田に気づかれないようにゆっくりと深呼吸した。そうしないと、目の前の女の髪を引っつかんで泣き喚きたくなってしまう。

「……私、もう行くね、メイちゃん」
 御羅田は、あたしの様子が気になるようだったが、腕時計をちらりと見てそう言った。
 あたしは無理やり唇をひん曲げて笑みを作ると、御羅田に向かって頷いて見せる。
「チャンスなんだから……きっちりポイント稼いでおきなさいよ?」
「……う、ううん……わ、私なんてどうせ、相手にもされないと思うし……」
 御羅田は恥じらいながらも、どこかウキウキと教室を出て行く。
 あたしはその背を見送りながら、手のひらに力を込めて拳を作った。

 ………………あたしは、どうして、

「あははははっ」

 不意に響いた笑い声。鈴を転がしたような美しい声音には、聞き覚えがあった。
 心臓が、ドキンと跳ねる。

 振り向くと、制服姿の少年が――シャリが、立っていた。



「振られちゃったねぇ」
 あたしと目を合わせるや否や、シャリはそう言った。
 それがシャリのことを指したものなのか、それともあたしのことを指したものなのかは分からなかった。

 最近は学校にすら来ないシャリの制服姿は、目に懐かしかった。袖を折って着ているズボンも、黒い帽子の乗っていない頭も。

 あたしが戸惑ったまま見ていると、シャリは軽い足取りであたしに近づいて来た。反射的に後ずさりすると、シャリがくすっと笑う。
「逃げるなんて酷いなぁ。せっかく、君と一緒に帰ろうと思って来てあげたのに」
「本気?」
 思わず、口をパカッと開けて聞き返してしまう。だってシャリとあたしは、一応何の関係もない……と言うことになっているのだから、一緒に帰ったりしてその姿を誰かに見られたらマズイ。それに、シャリがあたしを、このあたしを迎えにやって来るなんて天変地異の前触れとしか思えない。あるいは何か物凄い黒い思惑が隠されているとか……

 あたしは気づくとほとばしる妄想をそのまま口に出していた。
「さ、さてはあたしの背後から忍び寄って膝カックンするつもりね!?」
 ………………しょせん、あたしの妄想なんてこんなもんである。
 でもシャリは、びっくりしたように動きを止め、目をまん丸にした。よっぽどそんなことを言われるとは思っていなかったらしい。
 その様子が、まるでフリーズしたパソコンのようで、あたしはどぎまぎした。もう二度と動かなかったらどうしよう。

「プッ……アハハハハ! メイってば、僕にそんなことして欲しいの?」
「ち、違うけど」
 お腹を抱えて笑い出したシャリに、自分がとてつもなく妙なことを言ってしまったような気がして恥ずかしくなる。あたしは、手を後ろで組んで地面を蹴る振りをしながら、ちらりとシャリの様子を見た。シャリは、目元の涙を拭うような仕草をしている。

「だって、シャリがあたしを誘うなんて黒い思惑があるとしか思えないじゃない」
 言い訳がましくつぶやくと、シャリは首を振って、あたしを上目遣いに見た。
「やだなー。僕みたいな純粋な子どもに、黒い思惑なんてあるわけないじゃない」
「……純粋? 子ども? ……それこそ、本気で言ってるの?」

 呆れたように返したけど、シャリは答えの代わりにあたしの服の袖を引っ張った。
「安心してよ。メイには最後まで手伝ってもらうつもりだからさぁ。だって見てみたいもん、メイが絶望して死にたくないと喚くところ」
「喚かないわよ。どんなことがあったって、あたしが、シャリの側を離れるわけないでしょ」

 さも当たり前のように言ったけれども、あたしはその実かなり嬉しかった。だって、嘘でも、シャリがあたしを最後まで側に置くと言うのだ。嬉しくないわけがない。これは、ちょっとは脈があるのかなと考えていたところで、シャリの冷徹極まりない声が降って来た。

「そうだよね。メイは叶わぬ恋に身を窶して死んでしまう運命なんだから」

 ……
 あたしは、ただ笑って見せた。
 シャリが例えそのつもりでも、構わなかった。最後まで共にあれると知った時の、あの喜びは嘘ではなかったからだ。

 そんなあたしの顔を、シャリが不思議そうに見ている。きっと理解出来ないんだろう。あたしが何故笑うのか。何故笑えるのか。自身を人形だと評し、痛みも存在しないと言い切ったシャリに分かるはずもない。

 ……恋が、どんなに人を盲目にさせるものかなんて。

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膝カックン……メイの妄想力って……