今日も御羅田は顔に絆創膏を張って学校にやって来た。
ここ数日、いつもそうだ。
気だるい昼休み。とっととお弁当を食べ終えたあたしは、机に頬杖をついて御羅田の席を抜け目なく見つめた。
御羅田は、ぼーっと何か他のことを考えている様子で、箸を運ぶ手にも力がこもっていない。今週に入って三つ目の絆創膏が痛々しかった。
「……シャナ」
呼びかけて見るが、返答は返って来ない。気もそぞろな様子で、ぱくぱくと白いご飯を口元に運んでいる。あまりにも力のない仕草だったため、ご飯が箸の上からぽろっと落ちた。
「シャナってば!」
少し力を込めて呼ぶと、御羅田はハッとして箸を取り落とした。カツン、と高い音を立てて箸が転がって行く。あたしはそれを目の端で追いながら、少し咎めるような口調で言った。
「何、やってるの? あんたらしくないよ」
「ご、ごめんメイちゃん」
そう口にする御羅田は、非常にばつが悪そうだった。あたしは肩をすくめてそれに答えると、ちょっと意地悪な意志を込めて御羅田を見上げる。
もしかして、御羅田があたしの事に感づいたのかも――と思ったけれど、そういう訳ではなさそうだ。大体、もしそれだけなら、絆創膏の意味が分からない。
「ねぇ、あんた、最近付き合い悪いよね」
本題を切り出すと、御羅田はびくっと肩を揺らした。面白いほどあからさまに目を泳がせ、手を所在なげにもじもじとさせる。
「……そ、うかな」
「一緒に帰ろうと行っても、いつもリュウトウと一緒に帰るし。夜になると、家にいないでしょ」
「な、何で知ってるの!?」
「電話したからよ。あんたが心配で何度も掛けたんだから。学校からも真っ直ぐ帰ってないんじゃない?」
半分はハッタリだった。あたしが、そう何度も御羅田の家に電話を掛けるほどマメな性格をしているわけがない。でも御羅田はその辺がよく分かってないと言うか、救いようもないほどお人よしなので見事に引っかかってくれた。あたしの話を聞いたとたんにしょんぼりと肩を落とし、視線を机の辺りにさ迷わせる。
「ゴメンね……でも、何をやってるのかは言えないの。約束だから……」
「……リュウトウ絡み?」
「……」
御羅田は視線を逸らした。ああ、やっぱりそうなんだ。
一体夜な夜な何をやってるのか知らないけど、やっぱりここはシャリの密偵として掴んでおきたい。だけど、御羅田はもうそれっきり、一言も口を利かなかった。唇を白くなるほど噛み締め、目を逸らしている。
……
あたしは肩をすくめた。これ以上探っても、無駄なようだ。御羅田は、一見気弱に見えるけど、芯の強いところがある。特に自分がこうと決めたら、その信念に基づいて絶対に譲らなかったりする。
「ま、いいや。でも、リュウトウとよろしくやるのもいい加減にしなさいよ。あいつが何か変な病気でも持ってたら大変なんだから」
「え? それってどういう……」
あたしは答えずに席を立ち、ひらひらと手を振りながら教室を後にした。
後ろから、あたしの言葉の意味に思い至った御羅田の叫び声が聞こえて来たが、あたしは無情にもそれを無視した。
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そしてあたしの可愛い手下も(って言うとホントに悪役じみてくるね)傷だらけで戻って来た。
最近、あたしは榊原の家に寝泊りしている。つまりそこを拠点としているシャリと一つ屋根の下で暮らしていることになる(もちろん悲しいことに全く何も起きはしないが)。今日も、一旦マンションに帰ってから着替えを取って榊原家にやって来た後、荷物を置いて一息ついた所で、ブラック――あたしの大事にしてる黒竜の気配を感じた。
近くにいるな。
ごく自然にそう感じ取り、それまで横たわっていたベッドから降りる。幾つか外していたシャツのボタンを再び留め、玄関に向かった。
ドアを開けた瞬間、それは飛び込んで来た。黒い翼が入り口の壁を削り、足についた鋭い爪が床の大理石を削る。あたしは、仰け反ってその巻き添えを食わないように逃げるのが精一杯で、とてもとてもブラックを宥めることなんて出来なかった。どう考えてもブラックの体積でこの家の中に入るのは無理なのに、彼は必死に喘いで中に入ろうとしている。黒曜石のように輝く瞳に獰猛な色が宿り、噛み合わせた牙から滲むような殺意が伝わって来た。
あたしが息を飲んでまじまじとブラックを見つめていると、家の奥から軽い足音が近づいて来て、止まる。
「うるさいなぁ。全く、もう日が暮れるって言うのに何やってるのさ」
かなり不機嫌そうな調子でそう言ったシャリは、ブラックの様子を見ても顔色一つ変えない。あたしは突然現れたシャリにどぎまぎしながらも、何とか平静を取り繕って、ブラックに向き直った。
ブラックの硬い表皮には、細かな傷が刻まれている。痛々しいその傷口から、まだ新しい血が流れていた。
――!!
……許せない。
傷を見た瞬間、あたしの中に憤怒の熱が宿る。あたしは尚も暴れようとするブラックに躊躇なく近づくと、その肌に触れた。一瞬、びくりとなるブラック。
「……誰がやったの」
押し殺した声で尋ねると、ブラックは噛み合わせていた口を開き、フシュウと息を噴き出した。そして、無理やり中に入ろうとするのを止め、大人しく引き下がる。
すぐに思念が伝わって来た。
"分からない。人間を狩っていたら突然襲われた"
最近、あたしの力は格段に増している。最後が近いのを、体が感じ取っているのか、母さんが力を貸してくれているのだろう。今では、モンスター達の意志も漠然としたものではなく、はっきりと言語化できるレベルまで読み取ることが出来るようになっていた。
「……相手の顔を見てないの?」
"いきなりで見えなかった。でも二人居た。一方はさほどでも無かったけど、もう片方はとても強かった"
「……」
あたしは右手を口元にやり、ガリ、と爪を噛む。そこで思いだして、シャリを振り向いた。
「シャリ……ブラックが」
「襲われたんでしょ? 多分、二人組だったんじゃない」
あたしどころか、ブラックまでもが驚いた視線をシャリに向ける。
いくらシャリといえども、モンスターの意志を完全に読み取ることは出来ない。漠然となら分かるらしいが、でも、細かい情報までは伝わってないはずだった。
どうして分かったのか――
疑問を込めてシャリを見ると、彼は、意味ありげにあたしを見た。
その視線で、あたしはハッと気づく。よく考えて見れば、夕方とはいえ、ここは外だ。ブラックの姿を見られると、まずい。
あたしは、視線でブラックに退去するよう求めた。背伸びしてブラックの鼻の辺りに触れ、ごつごつした皮膚を撫でる。しかしブラックはそれを嫌ったのかプイとそっぽを向き、のっしのっしと背を向けて闇の彼方へと去ってしまう。
あたしはそれを最後まで見守ってから、シャリの方を向いた。今のブラックを見ているのは、いたたまれなかった。
「シャリ……犯人が誰だか知ってるの?」
言いながら、あたしは昼間の御羅田の様子を思い出していた。それと、最近彼女が夜な夜な消える一件と。結び合わせれば、簡単にはまるピースなのに、あたしはその答えを確信できずにいる。……認めたくなかったのだ。
シャリはそんなずるいあたしを見ても、特に表情を変えなかった。口元に指をあて、何も知らない子どものように首を傾げる。
「ドア、壊れちゃったねぇ。まぁ、修理するのは僕じゃないからいいんだけどさ」
「シャリ……」
シャリはあたしを見て、くすりと笑った。
いつだってそうだ。
シャリは欲しい答えをくれない。いつだって彼は、あたしが逃げることを許しはしなかった。