あたしは脂汗を掻いていた。
あたしの右に、御羅田が、左に、リュウトウが、そして前を、シャリが歩いていた。
ここは、学校から帰る時にいつも通る(春なら)桜並木の道だった(ちなみにこの桜並木、実態はどちらかと言うと毛虫並木なので学生には大変不興を買っている)。違っているのは、一緒に歩く面子である。
『いいじゃん、皆で一緒に帰ろうよ』
学校が終わった後、シャリが漏らしたその一言から始まった。
あたしも、御羅田も、リュウトウも、一体何の思惑があってシャリが学校にいるのか気になってならず、結局ずるずると一番最後まで残ってしまっていた。そして四人だけになったその時、シャリは言ったのだ。
無論とんでもない。あたしの意志としては、即座に異議を唱えたかったのだが、それより先に、火に油を注ぐ奴がいた。
『分かった』
正義バカのリュウトウである。この男、何も考えていないのか、それとも危険なことが好きなのか、シャリの極悪人っぷりを見くびっているのかその全部か、見事にそんなことを言い放ってくれた。
結果として、リュウトウがうんと言えば御羅田もうんと言うことになり、おまけに、シャリにあの黒い目でじーっと見られたあたしは、異議を唱える間も無く首を縦に振ってしまっていた。
あたしは周囲のメンツを見回し、ガラスの仮面ばりに白目を剥きたくなった。と言うか剥いた。
シャリと一緒に帰ったことはある。御羅田とは、いつも一緒に帰っていた。リュウトウとは無いが、それでもこれほどの違和感は無かっただろう。全員揃っていなければ。
「め、メイちゃん……気を強く持って」
御羅田が涙ぐみながら、言う。あたしは御羅田の方をちらりと見て、かすかに頷いた。
と言うか、何であたしが真ん中??
疑問を飲み込み、シャリの揺れる黒髪を見つめる。シャリには、何か考えがあるのだろうか……
シャリの行動は、時折ただの気まぐれのようにも見えるが、大抵の場合、深い理由がある。……大抵の場合は。
ふと、シャリがこちらを振り向いた。
「……嬉しいなぁ。御羅田さんや勅使河原さんみたいな可愛い女の子と一緒に帰れるなんて」
ほら来た!!
「ほ、ほんとォーねぇ!! 私、嬉しいわァ……っ!!」
あたしは、警戒している所にいきなり声を掛けられたもので、つい過剰に反応してしまった。
あわわわどうしよう。今の変だったよね。
おろおろしていると、隣のリュウトウの表情が目に入った。視線だけが遥か彼方カンボジアくんだりまで飛翔している(つまりすごい遠い目をしている)。ついでに痛い視線を感じて振り向くと、シャリが引きつった笑顔を浮かべていた。視線が、怒っている。
………………
三人の視線が、肝心の御羅田に向いた。この中であたしの立場を一応知らないことになっているのは、御羅田だけだからだ。もしかしたら既に、感づいているかも知れないけど――
しかし御羅田は、ぽえっとした表情で首を傾げている。何故自分が注目されているのか、分かっていないようだった。
……これはこれで、どうなのよ?
ほっとしながらも御羅田の将来に一抹の不安を覚える。こんなに騙されやすくて、大丈夫なんだろうか。……あたしが心配することじゃないけど。
悶々としながら歩いていると、突然シャリが立ち止まった。あたしは戸惑って、立ち止まる。両隣の二人は、半ば身構えていた。嫌われてるのね……シャリ……
「あれ? ねぇ。何か、声がしない?」
シャリが言う。あたしは言われて耳を澄ました。
……何だろう、遠ぼえ――みたいな――
聞こえてきたのは、それだけじゃなかった。それは多分、あたしにしか届かない声。
"メイ――メイ! 苦しい。痛いよ。ここはどこ? どうして私はここにいるの?"
慣れた思念だった。あたしの大好きな声と、言葉。
乾いた唇が、勝手に動いた。
パー……ル?
言葉にならない声が漏れる。
何でこんな所にパールの声が?
混乱した頭で、必死に考える。でもその暇は、あまり与えられなかった。
空を跳躍し、白い獣が車道に飛び出したからだ。
あたしはひゅっと息を吸い込んだ。
通行人の視線が獣に釘付けになる。呆気に取られたように硬直し、苦しげにもがくパールを凝視している。
"分からない――ここはどこ? メイ、メイ、どこ? どこにいるの?"
「パー……!!」
伸ばしたあたしの手を、冷たい手が覆った。はっとして見下ろす。シャリが、無言であたしを見ていた。そこには何の色も込められていない。制止の色も、命令の色も。ただあたしを見つめ、そして、手を掴んでいる。
「魔物!?」
御羅田がさっと身構える。手の平を何か包むような形にすると、その中に光弾が生まれた。
――!
お――
落ち着け!
落ち着け!!
あたしは死に物狂いで自分に言い聞かせた。だって駄目だ。このままだと御羅田とリュウトウはパールを殺してしまうかもしれない。思念を聞いて分かった。パールは今、前後不覚であたしの事も見えてない。あのケルベロスの時と同じだ。命令を送っても届かない。逃がすことが出来ない。死んでしまう。
――それだけは駄目だ。絶対に駄目だ。パールはあたしの最初のモンスターだ。シャリと引き合わせてくれた大事な魔物なのだ。白くてふさふさで、枕代わりに一緒に寝るとすごく気持ちよくて、いつだってあたしの側にいてお願いを聞いてくれた。
大事な時にいつも居てくれたのは、パールだった。
だから死なせる訳には行かない。殺させる訳には行かない。何とかして御羅田を止めなければ! でなければ、パールが死んでしまう。
「やめなさいよ!!」
あたしは無我夢中で叫んだ。叫んだ後、必死に呼吸を落ち着け、平静を装う。
「その光は何? 何する気なの? あの――あの変な化け物、まだ襲い掛かって来てもいないじゃない。なのに、こんな公道で戦ったりしたら、人がたくさんいるし、大変なことになっちゃうよ」
「確かに――あの妖魔は何か様子が……」
御羅田があたしの言葉を聞いて、戸惑うように手の中の光を弱める。
その時だった。
悶え苦しんでいたパールが、光に反応したのか、黄色い瞳をこちらに向けたのだ。さすがにリュウトウも身構え、緊張した面持ちを浮かべる。
"――光だわ! メイ、メイ。メイに似た暖かい光が見える。助けて、メイ。そこにいるの……!?"
"来ちゃ、駄目!!!"
必死に念を飛ばすが、パールにはやはり届いていない。一瞬、ビクリと体を震わせるのだが、戸惑うようにきょろきょろと辺りを見回すだけだ。
あたしはほとんど混乱してかき乱された頭で、必死に考えた。パールを逃がさなくちゃ。
「! こっちに来る!」
御羅田の緊迫した声が響いた。
はっとして我に返ると、パールがこちらに駆け寄って来る。目の前が真っ白になった。迎撃しようとする御羅田たちと、それからあたしの手を掴んだままのシャリを振り切って、あたしはパールを庇おうと飛び出した。
「っ――」
ほんの一瞬だった。背中の柔らかい肉に尖ったものが突き刺さる。
「メイちゃん!?」
どんどん地面が迫って来た。あたしはアスファルトに倒れ伏し、そして、耳を劈くような絶叫が響き渡った。
あたしの物ではない――多分、通行人の誰かの。
「メイちゃん!!!」
「メイ……」
――急に飛び出してきたあたしが、パールには敵に見えたのだ。それでなくても混乱している状況では無理もない。意識の遠くなるあたしの脳裏に、彼女の意識が流れ込んだ。混乱し過ぎていて、言葉になっていない。ただただ不安で、乱れた意識だった。
あたしは、痛む体を起こし、捻って、パールを振り向いた。前足の爪に、真っ赤な血が付着している。あたしは、手をのばした。怯えたように後ずさりしたパールが、半ば反射のように前足を振り上げる。鋭い爪があたしの手指を引き裂こうと迫り――
「……メイちゃん――危ない!」
真珠色の頭を、一筋の光線が貫いた。