COLORs(56)

 夜の闇は、優しい。きっと昼間の光よりも、あたしにはこちらの方が合っているのだろう。暗闇の中で、一人膝を抱えていると、しだいに心が落ち着いて来た。

 周りは暗くてろくに見えないけど、ここはあたしの部屋だ。とは言っても、もちろん榊原家で寝泊まりしていた部屋ではなく、父さんにねだって住まわせてもらったあたしのマンション。ベッドルームの、その奥に、あたしは居た。

 シャナはあたしの敵になった。ずっと騙していたことを、きっと彼女は許さない。そしてあたしも、例えあたしを助けるためだったとしたってパールを殺したシャナを――そしてシャリの心を奪ったシャナを、許すことは出来ない。

 ……膝を抱える手に、力を込める。
 いつもこういう時には側に居て、慰めてくれていたパールはもう居ないのだ。実感が、胸に空虚な穴を作る。この穴は誰にも埋められない。この穴は、パールが確かにここに居たという証なのだ。

『おい』
 ――

 ぱっと顔を跳ね上げる。拗ねたような声の持ち主は、宙にふわりと浮かびながら、あたしを睨んだ。
「ブレーズ」
『珍しくシャリからお前にメッセージだぞ』
「珍しく、は余計よ。で、何?」
 素っ気無く返しながらも、内心ではかなり興味を惹かれて、身を乗り出した。ブレーズはフンと鼻で笑うと、珍しく逡巡するように目を逸らした。

「……悪い知らせ?」
『いや』

 否定の言葉はすぐ返って来たのに、ブレーズはまだ言い渋っている。もう一度、なんなのと促すと、ようやく口を開いた。

『明日、ついに決戦だと。シャリの命令で、敵方にもその情報が行ってる』
 はっと、息を呑む。その意味が、じわじわと頭の中に浸透して行く。
 決戦。最後の日。――全てが終わる日。

『お前はどう動くんだ?』
 クルリと回り、ブレーズはあたしに尋ねた。
 あたしは自分の膝に顔をうずめ、苦笑じみた視線で答える。
「シャリの手下のあんたには、教えてあげない」
『お前なァ……』
 ブレーズは何か言いかけ、呑み込んだ。多分、文句をつけるのも下らないと諦めたんだろう。

 あたしは、窓の外に目を向けた。星を抱いた夜空が広がっている。明日、あたしはどんな顔で決戦の場に立つのだろう――

『まぁ、いいか。とりあえず行く気があるなら、翔明校の屋上に来てくれ。シャリもそこにいる』
「……分かった」
――メイ』

 いつに無く真剣な声に、視線を戻すと、ブレーズがあたしの鼻先まで近づいて来て、ぐっと目を覗き込んできた。
「な、なに?」
 思わず鼻白んだ。
『シャリは、擬似的なソウルイーターをこの世界に持ってきた。明日までにアレが破壊されなければ、アレはこの町にある全てのソウルを呑み込んで起動する。もちろん、お前のソウルだって例外じゃない。……本当に、いいのか?』

 縦に裂けた瞳孔が、あたしを見つめている。
 ……
 ……――あたしはその目をきちんと見返した。その程度の意気は、まだ残っている。

「決めたのよ。最後までずっとシャリに引っ付いてやるって。だからあたしは逃げない」
 口にした言葉が、あたしの心に火を灯した。

 そうだ。
 逃げたりしない。例えどんな未来が待っていようとも、逃げたり出来ない。そう仕向けたのはシャリで、あたしだった。
 今まであたしの奪った命には、どんな言い訳だって出来ない。だからこそ、あたしがこの戦いから目を背けるわけには行かないのだ。
 それが、最低に成り下がったあたしの、唯一の意地だ。

 あたしの表情の変化をずっと見ていたブレーズは、どこか残念そうに首を振ったが、すぐに消えた。
 辺りには、再び闇が満ちた。
 
 /*■*■*/

 もしかしたら、別の道も――あったのかも知れない。
 窓ガラスに指を這わせ、あたしは思考していた。

 でも、あたしが選び取り、たどり着いたのはこの道だった。だからあたしはそれを決して否定はすまい。

 ……パール。

 目を閉じれば、あの白く輝く毛並みが蘇った。あたしが目を掛けていなければ、パールだって死なずに済んだのかも知れない。

 シャリと導き合わせてくれた、運命の獣。
 パールはいつだって、あたしにとって特別だった。

 あの子のためにも、明日は負けられない。あの子の死を無駄にしないためにも……なんて、月並みな理由かな。でも、それ以外思いつかない。例えあたしが戦うことをパールが喜ばなかったとしても、あたしに出来るのは、シャリの側で戦うことだけ。この特殊な能力を使って、自分の力をフルに出すことだけ。

――驚いたよ」

 突然の声に貫かれ、体が強張る。水から突然上げられた魚のように、あたしはただバカみたいに突っ立っていることしか出来なかった。

「メイみたいな人間もいるんだね」
 くすくすくす、言葉に続いて笑い声があたしの耳朶を叩く。それは、あたしのちょうど真後ろから聞こえて来た。

 ……
 あたしは、ぎゅっと唇を噛み締める。意地でも振り返らず、窓に指を這わせたまま言葉を返した。
「何の用? 明日は忙しいんでしょ。こんな所で油売ってる暇なんてないんじゃない?」
 つっけんどんな口調になった。でもそれを悔いる気持ちはない。
 すると、後ろの気配が、少し近づいた。

「今更準備することなんて何も無いよ――後は全てが決着するのを待つだけさ」
「あっそう」
「連れないなぁ。せっかく、暇だったから君の話をしに来たのに」
「……あたしなんかには興味ないくせに」
「本気で言ってるの? 僕、君みたいな人間初めて見たよ。考えて見れば、最初から君のことはよく分からなかった」
「どうせウソでしょ」
「ウソなんてつかないよ。人間は皆、金銭欲か権力欲か性欲で動くのに、君は別な欲望で動いてた。今でもそれがどういう衝動なのか僕には分からない」
「……あたしは、ただ、鮮やかな世界が欲しかっただけ」
「今は? この世界は君の目にどう映ってるの?」
「色鮮やかに輝いてる……」
「そう」

 不意に、言葉が途切れた。月明かりに照らされて、窓に少年の髪が映り込む。今にも幻のように消えてしまいそうな、影。
 
 あたしは、ぎゅっと手のひらを握った。

「……あたしは、明日、勝つよ」

 返事はない。あたしは構わず、続けた。

「どこかの誰かさんは、自分を死者の願いを叶える存在だって言ってた。考えて見たら、あたし、一度も誰かさんが自分のために動いてるところ、見たことがない。ずっと他人の願いを叶えてばっかりだったんだと思う。
……あなたが誰かの願いを叶える存在なら、あたしは、あなた自身の願いを叶えてあげたい」

 言葉を切り、深く俯いた。自分の足元を見下ろして、祈るように目を閉じる。

「だから、明日はどんなことをしても勝つよ。あなたの願いが何なのかは分からないけど、でも――世界を守りたいと言う、女の子の願いを叶えようとしてるのは、やっぱりあなた自身の願いだと思うから」

 再び目を開けると、虚無の少年の気配は消えていた。
 あたしは、ささやくように言う。

「ねぇ、シャリ。あたし、例えこれから何が起きようと、きっとずっと、あなたが大好きだから……」

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※前夜の誓い。