強い風が頬を撫でる。昇った朝日が優しい光を投げかけていた。
あたしは、コンクリートの床を踏みしめて、立っている。傍らには、ここまで運んでもらった大鷲型のモンスター……ネイビーが控えていた。
胸がどきどきと踊っている。あたしは、他に姿のない屋上を見渡し、これから始まるはずの決戦に思いを馳せた。
振り返れば、あたしの後ろには扉がある。その先に部屋があるとか、そういう訳ではなく、ただ扉だけが奇妙に浮かんでいた。
この扉の向こうに、ブレーズの言うところの"そうるいーたー"とやらがあるらしい。シャリが前に、あたしに見せたあの"繭"がある部屋へと繋がっているのだ。
そこまで思い出した時、ぎぃ、とあたしの正面に位置する扉が、動いた。鉄製の、重たい扉である。それを押し開け、決意に満ちた眼差しで踏み込んで来たのは、劉籐傭璽だった。あたしの姿を見とめると、右手に持った刀を掴む手がぐっと引き締まる。
あたしは伏せていた目を上げ、彼の正面に移動すると、唇の端を吊り上げた。
彼らから今日一日、この場所を守りきれば、あたしたちの勝ちだ。絶対に負けるわけには行かない。
「ようやく来たのね。臆したのかと思ったわ」
「――戦うことに躊躇などない。俺は、そのために生きている」
リュウトウはすっと息を吐き、言い切った。そうして歩み出たリュウトウの後ろに付き従うように、シャナが歩いて来る。シャナは様相を一変させていた。ぼさぼさだった髪を切り、眼鏡を外し、凛とした眼差しをそのままに歩いている。
彼女はあたしを見ると、一瞬足を止めた。
「……シャナ」
「分かってる」
リュウトウに声を掛けられ、シャナはぐっと顔を上げて、歩みを再会した。リュウトウの隣で立ち止まり、何度も躊躇しながらあたしと視線を合わせる。
「――あら、あんたのことだから『メイちゃんとは戦えない!』とでも言うのかと思ったわ。しょせんあんたの感じてた友情なんてそんなものね」
あたしの口から、言葉が飛び出す。シャナを傷つけ、心を抉るための言葉が。でもあたしには躊躇う理由なんてなかった。ずっと前からこうしたいと思っていたのだ。今更、罪悪感なんて――そんなものは振り捨ててやる。
シャナはあたしの刺々しい言葉に息を呑んだ。そして、一瞬ぐらりと傾き、倒れてしまうかに見えたが――リュウトウに支えられ、持ち直した。青ざめた顔であたしを見つめ、ゆっくりと口を開く。
「メイちゃん――私今でもそう思ってるよ。やめようよ、こんなの――こんなの間違ってる。私、メイちゃんとは戦いたくない。戦えない――そこをどいて、お願いだから、私を通して!!」
あたしはシャナの言葉を一笑に付した。
どこまでお人よしなの? この女は。
「あんた分かってるの? あたしに裏切られたのよ、あんたは。あたしはずーっとあんたを騙してた。そもそも最初に近づいたのだってシャリの命令があったからよ? 偽りだったのよ、あんたとあたしの関係は」
「――偽りだったのは、メイちゃんの心だよ!」
シャナが叫ぶ。目に涙を浮かべ、悲痛な声を漏らす。
「メイちゃんを歪めたのは、高宮君じゃない。本当は、メイちゃんすごい優しいもの。たとえ、偽りで私に近づいたのだとしたって、メイちゃんが私にくれた優しさが、全部ウソだとは思えない。私、決めたの。メイちゃんを信じるって――メイちゃんが大好きだって!」
「アハハハハハハ!! 何言ってんの!? バカみたい。あたしはね――あたしはね、シャナ。最初っから、あんたが、」
あたしは溜まりに溜まった憎悪を全部ぶつけるつもりで、シャナを睨みつけた。びくっと身を揺らしたシャナが、一歩後じさりする。
「大嫌いだったのよ……!」
そうだ。嫌いで嫌いでたまらなかった。あのイジケ虫、あたしの大嫌いなものを全部持ってる女。シャリの関心を集める憎たらしい女。そして、忘れもしない、パールをその手で屠った憎い仇!
腹の底にまとわりつくような憎しみが、あたしの手を突き動かした。一振りした手に答え、傍らに控えたネイビーが飛翔する。しかし一直線にシャナの喉を掻っ捌こうとしたその爪を、間に入ったリュウトウの刀が弾いた。大鷲は一転し、あたしの側のフェンスに止まる。
「メイちゃん……!!」
シャナの顔が絶望に歪んだ。何か言おうとするその口を止めるように、背後の扉が開く。そこから現れたのは、あたしのかつてのクラスメイト達だった――
戦いに、来たのだろう。手に手に鉄パイプやナイフを持って、緊張した面持ちでぞろぞろとやって来る。
あたしは哄笑をぴたりと止めた。真っ直ぐに奴らを見詰める。
「退屈だったんだ。どうしようもないくらい。だからシャリに惹かれた。……最初は、それだけの理由だった」
コンクリートを踏みしめ、しっかりとその場に立った。
雨が降り出した。最初は、ぽつりぽつりと、次第に激しく、横殴りの雨が叩きつける。
降りしきる雨の雫が頬を伝い、口元を濡らした。
「だけどあたしは今ここに立ってる。命賭けてあの性格の悪いガキのために尽くしてる。あたしの思いはもう最初の頃とは比べ物にならない。あいつの願いだから、この思いに賭けてここを通すわけには行かないのよ、シャナ」
シャナは蒼白になって震えていた。まるで幽霊でも見たかのように首を振って現実を否定し、雨の中に身を晒している。
そのシャナをかばうように、リュウトウが歩み出た。彼はシャナを一瞬悲しげに見つめた後、口を開く。
「俺達だってそれは同じだ。分かるだろう勅使河原……ここで俺達が勝てなければこの町は消えてしまう」
「だから何? あたしにどけって言うの? 言っておくけどリュウトウ。あたしは、あんた達がここを通りたいと願う意思の強さと同じくらいには、ここを守りたいと望んでるの。問答なんて無駄よ。そんな事あんただって分かってるんでしょう」
心の中で強く呼び掛けると、建物の影やあたし自身の影から、何匹もの異形が這い出した。
「やるしかないのか」
死の苦痛にでも耐えているかのように、リュウトウの顔が苦々しくゆがむ。それでも手は剣に伸び、緊張が張り詰める。いつ爆発してもおかしくないほどの緊張が。
「やめて! あれはメイちゃんなのよヨウジ。今まで切って来た化け物じゃない、私には殺せない!」
シャナがリュウトウの腰にすがりついた。でも多分彼女もきっと分かっているのだ。対決は避けられないことだって……だからあの子の目はあんなに怯えて、恐怖にひきつってる。
あたしは、ふっと笑った。どこまで甘いのよシャナ。あたしあんたのそういうとこ――
「虫唾が走るわ!」
あたしの率いるモンスター達が、一斉に飛びかかった。