血なまぐさい風が吹いている。
戦場は、今や血みどろの様相を呈していた。足や腕を引きずっていない生徒はおらず、血を流していないモンスターはいない。あの巨体を持つブレーズでさえ、体中に切り傷を負い、真っ赤な血を風にさらしていた。
あたしは転移する時にシャリと繋いでいた手を離し、よろめきながら一歩を踏み出す。今や地面には力尽きた者の体が横たわり、血が雨とまじって血混じりの水溜りを作っていた。
「ひどい……」
「――へぇ、あのイシュバアルの転生体を担ぎ出したんだ。どんな魔法を使ったのかな?」
あたしの後ろからゆっくりと歩み寄って来たシャリが、物珍しそうに言った。あたしは怪訝な思いを込めてシャリを見つめるが、シャリはちらりとあたしを見ただけで、それ以上補足の説明をしようとはしない。
『遅いんだよッ!』
疲れた声が降って来る。その大きさにぎょっとして顔を上げると、ブレーズがあたしを睨んでいた。向き合っていた傷だらけの満身創痍で、刀を下げないだけで精一杯と言う調子のリュウトウが、耐えかねたのかガクリと膝をつく。
「――しょうがないでしょ? こっちだって色々と大変だったんだから! ちょっとばかしデカいからって威張るんじゃないわよ、このミニドラが」
あたしはいつもの軽口を返し、ほんの少し、本当にちょびっとだけ感謝を込め、微笑んで見せた。
あたしと言う司令塔を欠いた状態で、リュウトウ・シャナを含む人間たちと競り負けなかったのはブレーズが居たからだろう。
ブレーズは、いつもより大きく鼻を鳴らして、リュウトウの方に視線を戻した。リュウトウは今にも肺が破れるのでは無いかと言うような勢いで呼吸を繰り返し、それだけで精一杯に見える。ところどころ破れ、ほつれた制服の下から、新しい血が滲み出していた。
『ホントは、こういうのは嫌いなんだがな。ま、お前が帰って来たんだ、勝機もあるだろ。いっちょやってやるか!』
言葉と共に、降りしきる雨をものともせずブレーズの口から炎が吹き出した。それが呼び水となり、疲弊していたモンスター達がにわかに沸き立つ。あたしはそこにすかさず、強烈な思念を飛ばした。
"シャリは無事よ。あたしも帰って来た。勝利は我らにあり!!"
一斉に歓声が上がった。狼型のモンスターが戦いの手を止め遠吠えし、牛頭の男が咆哮を上げ、ガイコツのようなモンスターが剣と盾を打ち鳴らしてケタケタ笑う。
それに比べ、人間勢はあからさまに怯んだ。そして戻って来たあたしの姿を見ると、絶望的な表情を浮かべる。当たり前だ、そもそも今までまともに戦えたのが奇跡なのだ。
いくら武器を持ったところで、素人、しかも日本人の軟弱な学生と来れば、これはもう普通に戦って勝てるわけがない。それなのに今まで勇気を振り絞って戦い、曲がりなりにもモンスター勢を押すことが出来たのは、主にここで負けたら後が無いと言うヤケと、リュウトウたちのカリスマがあったからだ。
だがリュウトウは今や膝をつき、シャナはそんなリュウトウを心配して蒼白になっている。どちらも戦うどころではなく、しかも彼らは疲れていた。そんな所に、敵の頭目が帰って来たのである。これはもう、勝てない、と全員が思ったはずだ。
その証拠に、あたしが指示を飛ばし、効率的に戦わせる中で、彼らの戦いぶりは見るからに鈍って来た。一人など武器を捨てて、屋上から逃げ去ろうとしたところを仲間に止められている。その上、前線で戦っていた女子の数人が、へたり込んで泣き出した。
「これは……勝つわよ」
あたしはぼそりと呟き、興奮した眼差しをさっと走らせる。ここで、決定的な何かが起きれば、もはや惰性で戦っている彼らは絶対に武器を取り落とし、戦う気を無くす。
"決定的な何か"――それさえあれば。
「ヨウジ! ――もうやめて。少し後ろに下がって休まなきゃ!」
戦場には全く似つかわしくない、甲高い声。
………………あった。
あたしの視線の先には、リュウトウの体を支えながら半狂乱で訴える御羅田 紗那の姿があった。
シャリの姿を探し、振り返る。……しかし、いつの間にか彼の姿は消えていた。最初から指示を仰ぐつもりはなかったが、心のどこかで、シャリに見られていないことに安堵しながら向き直る。
もしここが映画の中で、あたしが女優だったら、迷わず舌なめずりしただろう。あたしは一歩、また一歩と歩み出した。腰の辺りに手を這わせ、ベルトに挟んでいたナイフの柄を掴む。雨で滑らないようしっかり握り締め、そして抜き放った。
あの女を今ここで殺せば、総崩れになる。もはや団体戦は不可能になる。そしてそうなれば、あたしの勝ちだ!!
シャナは、あたしが近づいても、リュウトウに必死で気づかない。あたしは機械的に腕を振り上げ、彼女の白いうなじ目掛けてナイフを振り下ろす。
死ね!
その時、突然右方向から、ゴォ、と突風の吹くような音がした。
――横殴りに衝撃が叩きつけた。