「――ぐッ!」
地面が迫る。きりもみしながら体が叩きつけられる。でも止まらない。視界が回る。脳みそがシェイクされる。
――衝撃。
「っは――」
言葉にならない声が漏れる。足先から脳天まで、痺れるような痛みが突き抜け、息も出来ない。
時間にして一瞬のことだっただろう。でもあたしにはやけに長い時間に感じられた。何とか息を吸い込んだ瞬間、頭が割れそうに痛んだ。
「――っは――この――」
背中が痛い。痛みで意識が遠くなる、が、それを上回る怒りがあたしの魂を焼いた。
だれ――
誰――
誰だ!?
痛みで身は起こせないまま視線だけ死に物狂いで上げると、流れるような銀色の髪を下げた男が見えた。一瞬、記憶が混濁し、名前が出て来ない。
動けないあたしに、男が近づいて来る。その足がすぐ目の前で止まった。その瞬間、ようやく喉に痞えていたものが氷解し、口が勝手に動いた。唇が切れたのか、ぬるりとした感触があった。
「エルファス――!!!!」
「やぁ、久しぶりだね。僕を裏切った君を許す気にはなれないけど、こうも無様だと哀れになるよ」
杖を携え、あの冷然とした表情を崩さないまま、榊原はあたしを見下ろしている。あたしは歯軋りする勢いで奴の顔を見上げ、血を飛ばしながら叫んだ。
「殺してやる――!!」
「無理だろう? そんな有様で何が出来る」
榊原は、あたしの声を冷たく切って捨てた。あたしは何とか思念を飛ばし、この目の前の男を襲わせようと思ったが、痛みに阻害されて意識を集中させることが出来ない。
――結局榊原の言う通り――何も出来ないなんて!!
苛立たしくてたまらない。あたしはせめてもの腹いせにと、激しく舌打した。
「メイちゃん――っ!」
シャナが駆け寄ってくる。あたしはちらりと彼女の顔を見たが、前ほどの憎悪は沸きあがらなかった。今は彼女よりも榊原に怒りが向いているせいだろう。
「……無限のソウル」
榊原が複雑そうな色を込めてつぶやく。シャナは、一瞬苛烈な色を込めてキッと榊原を睨んだが、少しすると、思い直したのか目元を和らげた。
「……助けてやったんだ。感謝しろ」
榊原はつぶやいて、まるで見る価値が無いとでも言うようにシャナから目を逸らした。シャナは口の中でもごもごと「ありがとうございます」と呟き、心配そうにあたしを見下ろす。
……見たくもない。
あたしは、目を瞑った。
/*■*■*/
戦況は、あたしがやられたのを切欠に一転していた。指示が止んだせいで魔物達の動きが混乱し、逆に人間達は息を吹き返している。
「……止めを刺さないのか?」
榊原が言った。シャナはそれを聞くと、驚いたように首を振る。
「そんなこと」
「敵だぞ。だから君は甘いと言うんだ」
「……」
初対面の人間に説教され、シャナはいささか面食らったように口をぱかっと開く。
「あの……? どこかでお会いしたことでも……?」
「あるわけないだろう」
榊原は居丈高に言って、手に持った杖の先を地面に打ちつけた。カツンと言う硬質な音に、シャナがぴくりと身を震わせる。
「……君が止めを刺せないなら、僕が」
「止めてください!」
シャナが榊原の腕に取りすがる。
……この女は――どこまで――
あたしは敵に自分の命乞いをされると言う屈辱に、震えた。
でも、口論に夢中な二人はそれに気づかない。口々に喚いている。
「何故? 今殺さなければ、この女は何度だって向かって来るよ。例えこの戦いに君たちが勝ったとしても、今度はシャリの弔い合戦だとか言って君を殺そうとするのは目に見えてる」
「――っ、それでも出来ないよ! だって私は、メイちゃんともう一度最初からやり直すために、戦いに来たんだから」
「何を甘いことを言ってるんだい? 甘いを通り越して、馬鹿だよ。この子が、君と本当に復縁するわけないだろう。見て分からないのか、君を心底憎んでるって」
「――メイちゃんは私を憎んでなんて」
「知らなかったの? ――あたしは、あんたが、死ぬほど憎い」
黙っていることにはもう耐えられない。苛立ちと、それから怒りに任せて早口に言い放つ。
すると言葉もなく、シャナはうなだれた。悄然と下がった肩が小刻みに震え、握った拳が震える。
――元通りになれる、だなんて思う方がおかしいんだよ。ううん、そもそも、裏切り者のあたしとまた友達になりたいだなんて信じれない。
すると、顔を歪めた榊原が杖を振り上げ、素早くあたしの喉元に突きつけた。その目には、冷徹な光が宿っている。それは、いざとなれば自分が汚れる覚悟を持った目だった。
……!
「この女は、世界のために良くない。ここで殺しておくべきだ」
雨粒が杖の先に溜まり、あたしの胸元に落ちる。榊原はべったりと張り付いた前髪を直そうともせず、彫像のように微動だにしない。
「そんなの――そんなことより!!」
シャナは激しく首を振り、強い意志を込めて榊原を睨みつけた。見る者を選ばず従わせるような、強烈な視線だ。これには耐えかねたのか、榊原もあたしから視線を外してシャナを見つめた。必死に説得しようとする、シャナを。
「そんなことより、今は高宮君だよ。今すぐにでも彼を止めないと、こんな議論してる間もなく皆死んでしまう」
「殺すなら一瞬で済む」
「私がそうは済まさない。目の前で大好きな友達が殺されようとしてるのに黙って見てることなんて出来ないもの。メイちゃんは、私の友達。例えメイちゃんがそう思って無くても、たとえ偽りの関係だったとしても、それでも毎日毎日死にそうな気分で生きていた私を救ってくれたのは、メイちゃんの差し伸べてくれた手だったんだから」
「……」
「その杖を、私の友達から離して。そして、協力してくれる気があるなら、高宮君を追おうよ」
榊原とシャナは視線を合わせたまま、ピクリとも動かない。
あたしは白けた気分でそれを見ていた。今更あたしを殺したって意味はないのに、それに執着しようとする榊原がアホらしく、友情ゴッコに浸っているシャナが滑稽だった。
「……シャリは」
榊原の杖が、ゆっくりと遠ざかって行く。どういうつもりかと視線を上げれば、榊原がぽつんと立っている扉をその杖で指し示した。
「あの中へ消えた。追うなら、彼女が息を吹き返す前に行こう」
シャナの顔が、目に見えてほっと緩んだ。こくんと頷き、リュウトウを振り返る。
リュウトウとブレーズはまだ戦っていた。ブレーズが炎を吐けばリュウトウが身軽にかわし、リュウトウが雄叫びを上げながら斬りかかれば、ブレーズはその硬い鱗で弾き返す。一進一退の攻防とは、このことだろう。
御羅田が叫んだ。
「ヨウジ!! 扉へ!!!」
さ――せるか!!
集中しようと意識を集めれば、頭がズキンズキンと痛んだ。歯を食いしばって耐え、最後の力を振り絞る。
シャリの望みはあたしの望みだ。この命続く限り、絶対に、諦めたりしない。だからお願い、これが最後でもいい、皆、力を貸して。
"敵を止めろ!!!"
ありったけの思念を叩きつけた。
倒れ伏したブラックが、激闘を繰り広げていた牛頭が、体を真っ二つに裂かれた虫系モンスターが、何かに突き動かされるように最後の力を振り絞り、扉へと集結する。
「最後だ!! 道を切り開け!! 俺たちの未来を切り開くために!!」
リュウトウが町中に響き渡るような大声で叫んだ。その声に答え、満身創痍の生徒達が這いずりながら武器を持ち、立ち上がる。
「この町が、俺たちが守らなきゃならないようなチンケなもんだなんて思っても見なかったよ。でも俺たちにも守れるんだな。――いや、俺たちじゃなきゃ駄目なんだ!」
「俺ロクな奴じゃねぇよ。親にも皆にもそう言われて生きて来たよ。でも、そんな俺でも、まだ死にたくないんだよ!」
「守ろうよ、自分たちの未来をッ! そして将来自慢するんだ、あたし達はこの町を救った勇者だって!!」
数人の上げた声に、他の生徒たちが賛同の声を上げる。
扉に集結していたモンスターたちに斬りかかったおかげで、モンスターたちは足を止めざるを得なくなった。そうして出来た一筋の道を、シャナが、リュウトウが、それぞれの得物を抱えて走る。
その姿を最後に、あたしの神経は焼き切れ、目の前が真っ白になった。