その剣に花束を


7-2 離れて



 ベルルが息を切らせて村の入り口にたどり着いたその時、村長が場を収めようとして、汗をぬぐいつつ必死に話していた。
「い、今呼びに行かせておりますゆえ……どうぞその剣を、お納めになってください」
 立派な鎧を着た、背の高い騎士達が村の入り口を塞ぐように立っている。先頭の一際大きな体の騎士が村長と向き会い、冷たい光を放つ剣を抜いて、静かに立っていた。
 村長の後ろには、村でも屈強そうな男達が集まって、剣呑な、しかし自分の家族が脅かされるのではないかという恐怖の視線で騎士達を見ていた。
 ベルルは、深呼吸して、自分に渇を入れると、震える足をなんとかなだめて近づいていく。やがて、一人の村人がベルルを指差した。場が興奮したようにざわめいて、「何したんだあの女」だの、「厄介事を持ち込みやがって」だのといったひそひそ声が耳に飛び込んでくる。ベルルはそれらの忌々しげな声には全く耳を貸さず、ただ騎士達だけを見ていた。
 胸にさざなみが立つ。それは大きな波紋の前触れのように、彼女には思えた。
「わ、……私が、そうです」
 ちゃんとしていよう。胸を張っていなければ。でないと――に笑われる。
 先頭に立つ男の巨躯を見上げても、ベルルは強い目で睨みつけることができた。震えてしまった声を引っ込めて、改めて言い直す。
 騎士は剣を兜の額に押し当てた。
(略式の、敬礼……
 少しだけ、胸の鼓動がゆっくりになる。
 ベルルは言葉を続けた。
「何の、用でしょうか……
「記憶を失ったと聞いた。偽りはないか」
 その声は、淡々としていてすごく事務的だった。
 ベルルは小さな声で肯定した。
「では、改めて貴様の罪状を宣告する」
 罪状、という言葉に再び辺りがざわめいた。今度は、「追い出せ」「騙しやがって」などと吐き捨てるような声が上がる。すでに彼等は、声をひそめようともしなかった。
(私は……罪人なの?)
 が、先頭の騎士が足を振り上げ、地に叩き付けると、ぴたりと収まる。土が舞い上がって、ベルルはせき込んだ。
「我等の邪魔立てをすることは、神聖王フェイルイーロの邪魔をするに等しい。一度しか言わぬ。黙れ」
 恐怖が人々の口を止める。騎士はそれをゆっくりと睥睨し、改めて彼女を見下ろした。
「貴様の名はアリエーフ・イーリア。その身が背負いしは反逆罪」
「アリエーフ……
 聞き覚えがなかった。本当にそれが自分の名前なのだろうか……
 ベルル……いやアリエーフはのん気にそう考え、――それから衝撃に打たれた。
「反逆罪……!?」
「王命において、アリエーフ・イーリア。貴様を処刑する」
 騎士達が、整然と一列に並ぶ。彼等はまるで血を分けた兄弟のように、いやそれ以上に全く同じ動作で剣を抜いた。
 アリエーフは逃げようとした。少なくとも、そうしようという意志はあった。しかし――体は動かない。目の前の騎士から発せられる、今にも近寄る者全てを切って捨ててしまいそうな殺気が、彼女の体をその場に拘束していた。
 しかしその時、二つの人影が必死に走って、アリエーフと騎士の間に割り込む。
 アリエーフが呆然と見ているうちに、彼等は……ナルドとペネロペは膝をついて、何もかも捨てて懇願し始める。
「やめてください! 彼女は――ベルルは、悪いことができる子じゃない」
「お願いします! 僕達の、命の恩人なんです……!」
 目じりに光るものまで浮かべるペネロペ。あくまで真摯に、真っ直ぐな態度を崩さないナルド。
 アリエーフの体を何か熱いものが貫いた。どうして、彼女達はこんなにも命がけなのだろう……たった一度、命を助けられたくらいで。自分なんかのために。
「ペネロペ、君は、下がって! ベルルのことは僕が……
「いいえ……怖いけど、私だって、あの子が大事なの!」
 アリエーフはその強い眼差しを見て、全てを悟った。
(この人たちは、投げ出すつもりなんだ。私なんかのために、自分の命を)
 胸がぐっと締め付けられる。その感じには覚えがあった。命がけで自分を守ってくれる人がいた……そんな気がする。
 騎士が剣を上げる。
「王命で動く我々の邪魔をする者には、死を与えることが許されている。そこをどけ。どかねば、切る」
 そう言いながら、騎士はまるで生き物のように気持ちの悪い光を放つその剣を、振り下ろそうとする。ナルドがペネロペをかばおうと、大きく腕を広げた。あのままでは――
 アリエーフは何かに背を強く押されて、駆けだした。二人の横手から、地を蹴って飛びつく。二人を押し倒したちょうどその瞬間、凶刃がアリエーフの背を襲った。背中から痛みが脳髄に向かって突き上げてくる。服の裂ける高い音が妙に耳についた。
 そのまま飛びついた勢いが止まらず、二人を巻き込んで地面を転がる。ようやく止まったかと思うと、今度は猛烈な嘔吐感が襲った。
「う、あ…………
 アリエーフは背の痛みと、吐き気とでほとんど倒れそうになりながら、立ち上がろうとして腕をついた。肺腑の奥から、熱い塊がこみ上げる。たまらず口を開くと、喉から赤い血が飛び出して地面に広がった。
 世界が回っているように見える。視界が霞み始めた。
 だがその彼女の目の前で、騎士の一人が、あの若夫婦に向かって剣を振り下ろそうと――
 アリエーフは全身に残った力を集めて、ほとんど意識もなく飛んだ。二人の上に覆いかぶさる。アリエーフはもう大丈夫だと思った。自分が死ねば、騎士たちもそこまで執拗には二人を殺そうとしないだろう。自分が……
……いや。いや……違う。私は、行くんだ。あそこに……――と一緒に、旅を、)
 アリエーフの全身にぞっとするような後悔が満ちた。こんなところで死ぬわけに行かない。なぜなら……
 キィンッ
 高い音。アリエーフの想像したような痛みも、意識の断絶も、襲っては来ない。
 目を開く。
 一人の少年が、手にした剣で騎士の振り下ろした刃を受け止めていた。柄を握る手が小刻みに震えている。
 アリエーフは頭に走った痛みに混乱した。
(私は、この人を――
「ペネロペ!」
 ナルドが白い顔で、アリエーフの腕から抜け出し、ペネロペを突き飛ばした。
「逃げるんだ! ベルルは僕が守る! だから君は逃げるんだ」
 喉が裂けんばかりの声量で、そう叫ぶ。ペネロペは恐怖に目を見開いて、ただ夫の名前を繰り返すのみだ。ナルドは焦ったようにその様子を見て、アリエーフとペネロペを交互に見比べる。
 その時、少年が驚いたことに神聖騎士の剣を弾いた。だが騎士はわずかに体勢を崩しただけで、すぐに剣を持ち直す。
「そんなっ……神聖騎士の剣を、はじくなんて」
 アリエーフはそれを見て、つぶやく。少年が、肩越しにアリエーフを見た。
 黒い眼が見定めるような、うかがうような色を映す。彼女は、あまりにも深く暗いその色を見て、我が目を疑った。
「あなた……いったい……
 少年は騎士が再び剣を構えて隙をうかがっていると言うのに、そんなことはまるで気にする素振りもない。それどころか妙に軽い声を出した。
「ひどいなぁ。僕のこと忘れちゃったの?」
(私のこと、知って……
 騎士が動いた。少年が隙だらけと見て取ったのだろう。だが少年の姿は、剣がその身に食い込もうというその瞬間、掻き消えた。
 じっと見守っていた村人たちが驚愕の声を上げる。アリエーフは気がつくと上空にいた。……少年に横抱きされて。
 下で、村人たちがこちらを指差し何事か叫ぶ。アリエーフは硬直したまま動けない。
「ねえ、アリエーフ」
 不意に声が掛かった。アリエーフは半ば夢の中にいるような気持ちでそれを聞いていたが、もう一度名前を呼ばれてゆるゆると顔を上げる。少年の顔が間近にあった。
 冷たく整った輪郭。人間味のないほど透明な肌――きれいな顔。
 こめかみに走る冷たい痛みが、それ以上の思考を阻害する。アリエーフは呻いた。
 少年は、何が楽しいのか分からないが明るい声で笑う。
「ホントに君って、運がいいんだか悪いんだか分からないね。崖から飛び降りたの見た時は、死んだかと思ったのに」
「私を……知ってるの?」
 すがるように言った。自分という基盤が欲しかった。強く自分を支えてくれるものが、何でもいいから欲しい。
 少年はなぜか少し笑顔をゆがめた。
「あーあ。何か、すっかり毒気が抜けちゃったね」
「は……
 アリエーフは言っている意味がよく分からなくて、少し首を曲げる。
 少年は気にする風もなく、ふと一人ごとのようにつぶやいた。
「邪魔だね。騎士様たちはこの辺りで始末しておこうかな」
「ダメ!」
 アリエーフは気がつくと身を起こして、強く止めていた。
「ダメだよ、そんなの――あっ!」
 腕の中で暴れたせいで、バランスが崩れる――背の傷に強い痛みが走る。落ちるのかと、アリエーフは強く目をつむった。
「危ないな」
 少年のクスクス笑う声が聞こえる。おそるおそる目を開くと、彼はおかしそうにアリエーフを見下ろしていた。
「わがままなところは変わらないんだね」
 アリエーフは少年のせりふを思い出して、必死に言い募ろうとする。
「ダメだよ、始末なんて――人を殺したらダメだよ」
「降りてこい、道化め!」
 下で騎士の一人が叫んだ。
 ハッとなって下の様子を見ると、――騎士の一人が、ペネロペの体を押さえて首に刃を突きつけている。その剣がやけにぎらぎらと妖しい輝きを放った。
「ペネロペ!」
 アリエーフは思わず身を乗りだした。また背中が痛むが、構っていられない。
「ペネロペ、逃げて!」
「殺されたくなければ、素直に首を差し出すがいい」
 ペネロペを拘束した騎士が言う。
「どうするの? アリエーフ。君がどうするのかすごく興味があるなぁ」
 少年の焦った風もない言葉に、アリエーフは身をよじった。
「私を降ろして!」
「今降ろしたら、死んじゃうと思うんだけど。大丈夫〜? 周りは見えてる?」
 ふざけたような言葉に焦って、アリエーフはつい怒鳴った。
「降ろしてってば、早く!」
「この女の命を奪っても構わぬか」
 騎士が地上で言った。村人たちが悲鳴のような声を上げる。それでも誰一人、騎士に石を投げようともしない。ナルドでさえ、蒼白な表情でそれを見ている。いや、何が起きているのかも分かっていない様子だった。
 アリエーフはもはや自分から落ちるつもりで必死に抜け出そうと足掻いた。目じりに涙がこみ上げる。
「私の命なんてどうなったっていい! あの二人は、こんな私にも優しくして、住まわせてくれた大事な人なの! お願いだから降ろしてよっ……!」
「あーあ、張り合いがないなぁ。ホントに悪いんだけど、その願いは叶えられないよ」
 え、と思って少年の顔を見上げると、彼は超然とした微笑みをたたえて、アリエーフを片手で抱え直すと――アリエーフはとっさに彼の腕にしがみついた――、どこからともなく、月の光によく映える紫色の直刀を取り出した。
「君はまだ必要だからね」
 少年の言葉に、アリエーフは彼が、騎士に攻撃を仕掛けるつもりだと直感的に悟った。自分の身を引き裂かれるような思いで叫んだ。
(ペネロペが人質に取られてるのに――!)
「やめてぇ!」
 彼の剣から闇が噴き出した。いや、闇などというものではない。世界に対する強烈な反発――アリエーフが感じ取ったのはそれだった。
 地上で殺気だっていた騎士たちに闇が食いつく。闇に触れた一人の騎士が喉を掻きむしって倒れるやいなや、他の騎士たちが素早くその場から身を引く。闇は品定めするようにその場にわだかまり、一人の騎士に向かった。――ペネロペを人質に取ったあの騎士に向かって。
「ペネロペッ!」
 アリエーフがもがくと、突然腕の拘束が外れた。地面に叩き付けられ、息が詰まるが構っていられない。
 ペネロペを捕まえている騎士は、闇から離れようとしたがペネロペが邪魔だと分かると、喉から剣を引いて、――剣をその背に叩き付けた。ペネロペは前のめりに倒れ、闇に触れそうになる。が、アリエーフが「やめて!」と叫ぶと闇はあっと言う間に霧散した。
 アリエーフは顔色を変えてがくがくと震える自分を叱咤し、何度も転びそうになりながら彼女に駆け寄る。うつぶせに倒れた彼女の背に、暗い色の染みが広がった。
「ペネロペ……? 嫌……いや、しっかりして!」
 アリエーフは思わずその細い体を揺さぶった。背中の血を止めようと押さえてみるが、自分の手が血でべとべとになるばかりで、後から後から溢れ出してくる。アリエーフは、彼女の魂も一緒に流れ出してしまうのではと思って身も凍るような恐怖を感じた。
 ペネロペがアリエーフ以上に蒼白な顔を、小さく上げる。アリエーフはその顔に、言葉に釘付けになった。
「ベ……ルル……ナルドは……?」
 アリエーフは弾かれたように顔を上げて、ナルドの姿を探した。彼は少し離れたところに立ちすくんで、信じられないものを見るようにこちらを見ている。アリエーフはその顔を見て、彼が自分よりもずっと深い悲しみと驚愕と――それから、彼女と同質のことを悟っていると知って思わず口を開いた。
「ナルド……さん」 
 彼もまた、アリエーフと同じような思いを抱いたらしかった。共感するような、悲しげな瞳でアリエーフを見て、我を取り戻したのかゆっくりと近づいてくる。
「ペネロペ……
 彼は幾分かしっかりした声でペネロペの前に跪くと、手を取った。
「僕はここにいる――ここに」
「ナルド……愛してる……
「僕も、僕だって……
 目の前で悲劇が進行していた。それは止められない流れとなってアリエーフの前に立ちふさがった。自分の無力を悟る――無力。
(私は、こんな感じを前にも……
 アリエーフはこめかみを押さ――

 目の前で、アリエーフをかばって誰かが刺された。
 アリエーフはそれを黙っていることしかできなかった。
 彼女にはそれを止める力がなかった。

 ――えて、不意によみがえった記憶に眩暈を感じる。
 そして思いだけが帰ってきた。それは彼女の中にしっかりと息づいている。
(違う……私はもう足手まといになったりしない。強くなるって……決めた)
 力はあるはずだった。アリエーフはゆっくりと目を閉じる。悲劇を止める力はある。ここに。
 魔の力はアリエーフと常に共にある。意識の底に向かって意識をのばせばいい。簡単なこと。
(神よ……この者を救う力を……私に)
 体の周りに清浄な空気が満ちた。ペネロペの傷口に手をかざす。後は、力を示せばいいだけだった。
(救いを!)
 かすかに、手のひらが光る。ペネロペが呻いた。だが、それだけ――
 アリエーフは焦った。
 力が足りないのか? 集中が足りないのか? やはり、無理なのか?
 唇を噛んで、意識を集中しようとする。だが、集中しようと思えば思うほど思いばかりが上滑りして行った。うまく行かない。汗がにじむ。歯噛みする。
(早くしないと、ペネロペが……
 ナルドがもはや祈るようにアリエーフを見ている。アリエーフはさらに集中しようと目を閉じ、
「しょうがないな」
 影が差した。唾を飲んで振り仰ぐと、さっきの少年が立っている。彼は笑った。
「助けてあげようかな。タダって訳には、行かないけど」
「お願い……私にできることなら、何でもする! 私の力じゃ、足りないの!」
 半狂乱になってアリエーフは言った。どうしようもない思いに涙がこみ上げる。
「足りない……
 少年がふっとため息を落とした。いきなり背中から抱きすくめられる。アリエーフは硬直した。
「何してるの? ほら、早くしないと死んじゃうよ」
 我に返って気づく。彼の触れたところから膨大な魔力が流れ込んでくる。魔力――そう、これが魔力だ。
「私に、力を!」
 白い光が視界一杯に広がった。魔力という魔力が大気に作用して、ぴりぴりと産毛を逆立たせる。光が収まった時……アリエーフは全身を襲う脱力感に、倒れそうになった。だがまだ倒れるわけには行かない。
 ナルドが見守る中、ペネロペがためらうようにまぶたを震わせ――薄く目を開いた。
「ペネロペ……
 雨上がりの空のような声でナルドが言う。
(良かった……足りた……
 アリエーフはそれを見るなり、抱きすくめられているのも忘れて体から力を抜いた。が、すぐに支えられて倒れ込むことができない。振り向くと、彼が口を開いた。
「まだ早すぎるよ。ちゃっちゃと料金、もらっちゃうね」
 アリエーフは首を傾げた――周りを取り囲んだ騎士たちが距離を詰め出したことに、その時初めて気づいた。
「あっ……
 ナルドがペネロペを守るように抱き締める。
「じゃあ行くよ」
 少年が言った。
 アリエーフの体の内から何かが引き剥がされ、奪われて行く。魂が削られるような感覚に、アリエーフは悲鳴を上げそうになって――噛み殺した。
 ピークに達したと感じた時、闇色の何かがアリエーフと少年を中心にザッと広がった。アリエーフがただ見ていることしかできない内に、さざなみのように闇が広がる。次々と騎士が吹き飛び、すぐにぐったりと動かなくなる。
(これが、この子の力――? っ、何!?)
 アリエーフはその時、自分の中に何かが流れ込んでくるのを感じた。魔力ではない――魔力などという、単純なものではない。
 それは世界を消そうとする意志だった。
 それはアリエーフには、いや人間には理解することすら困難な絶対者の意識だった。
 それは、彼そのものの本質だった。
 アリエーフの心に、よみがえる――全てが。彼を思い出す。彼との旅を思い出す。彼と旅する前のことを思い出す。次々と思いが過ぎった。
 闇が薄れ、消える。
 アリエーフは生まれ変わった思いで、辺りを見回した。何もかもが新鮮に見える。
 自分を見つめる夫婦――遠巻きに、おびえるような目を向ける村人たち――死屍累々と横たわる、神聖騎士団の面々。
 そして、後ろから抱き締められる感触。それに、
……? 抱き締められる? って――!)
 アリエーフはそれを思い出した瞬間、思いっきり振りほどいて、彼を突き飛ばしていた。
 信じられない。今この瞬間全ての記憶が消せるなら、喜んで何でも言うことを聞く。
「あ、あ、あ、あ!」
 自分の体を抱き締め、頬を林檎のように赤くして彼を指差す。
 彼は突き飛ばされたこともたいして痛痒に感じないのか、あっけらかんと自分を指差して首を傾げた。唇にはしっかりとからかうような笑みがあるが。
「シャリ!」
 唇をわななかせてその名を呼ぶと、彼はふわりと毒のない笑みを浮かべた。
「良かった。永遠に忘れられたままだったら僕、生きて行けないところだったよ」
「嘘つけ! 今絶対、わざと自分を思い出させようとしたでしょ!」
 アリエーフは我に返って詰め寄った。
「最初っからそうすればいいじゃん! 人が、どんなに心細い思いしてたか分かってる?」
 指を胸に突きつけて喚くと、シャリは「へぇ」と肩をすくめた。
「嘘だよ。だって全然、元気だったよね。ペネロペ〜、ナルド〜って柄にもなく」
 アリエーフは今までの自分を思い返して、真っ赤な顔から真っ青に変わった。
 身をていして人をかばったような気がする。
 何度も泣いたような気がする。
 まして、殊勝に謝っちゃったりとかしてた気がする――!!
「ち、違う、違うよ! あれは私じゃないもん……私じゃなくて何か別の――って、ペネロペ! 大丈夫?」
 アリエーフが振り返ると、二人はすでに抱き合ってお互いの無事を確かめていた。村人達が遠巻きにそれを眺めて、特に男達は今にも自殺しそうな顔でそれを見ている。
(無事、か。それにしてもお熱い……
 アリエーフは鼻で笑った。
「ハッ、やってらんないよね、こんな……
 だが、なぜかアリエーフも同じような目で見られている。なぜかと思いをめぐらし――
 そして、気づいた。自分とシャリがそういう目で見られていることに。
 シャリを見ても、彼は全くフォローする様子も見せない。それどころか、むしろ微妙ににやけて今にも鼻歌を歌いそうな勢いだ。
 アリエーフはすぐに、わなないて赤くなった。
「ちっがーう! コイツは、ただの連れ! 連れだって! 私は別に……あ、そこ鼻で笑うな! 私は違う、違うってば!!」
 当然のことながら、アリエーフがいくら言ったところで誰も聞いてはくれなかった。





「あの……本当に、あなたは私達の命の恩人です。ありがとうございました」
 ペネロペがおずおずと頭を下げる。

 あんなことがあったせいか、殺伐とした空気の漂う村の入り口だった。空はのん気な青さを見せている。そんな空をそのまま下ろしたような明るい空気を身にまとい、ナルドとペネロペは寄りそうように立っていた。
 アリエーフはと言えば、いつものクロースとベストに着替えて、緊張したように背をのばし、彼女等の向かいに立っている。同じ二人でも、向こうは残る者であり、自分たちは去る者である。その違いがどこにあるのか――旅に出た頃には分からなかったことが、今彼女には見えるような気がした。
 
「やめてよ」
 何とも言えず、それだけを返し、うつむく。
 シャリの無言の視線。責められているような気がして、アリエーフは言葉を探した。
「私は、別に……あなた達がお人よしだっただけ」
 あんなに無防備で、いつ利用されてもおかしくなかった。それでも、この夫婦がアリエーフを守ってくれたのは……
 アリエーフは考えを振り払うように、首を振った。続ける。
「別に、いいから。お礼なんて」
「いや、そういうわけには行かないよ。ペネロペは、君がいなければ――
「怪我なんてしなかったよね」
 アリエーフは自嘲気味に笑って、言葉を継ぐ。
「そうでしょ? いない方が良かったって、そう言えば――
「何をもたらしてくれたかなんて、問題じゃありません」
 ペネロペが断固とした口調で言う。
 アリエーフは戸惑うように、その決然とした面差しを見ていた。その顔は、作り以上に宿った意志の力できらめいている。アリエーフには分からない美しさで。
「そんなんじゃなくって、あなたは私達の――心の支えになってくれました。それが重要なんだわ。私、あなたがこの村を離れても、絶対に忘れない……ベルル、ありがとう」
 何か、言わなければと思う。
 しかし結局、アリエーフは口を閉ざして背を向けた。
「礼は、言わないよ」
「いりません」
 きっぱりとした声が返ってくる。アリエーフは微笑んだ。
――強いひとだな。私は、彼を忘れちゃったのに)
 アリエーフはシャリを促して、歩き出した。
「いいの? 別に僕は構わないけどさ」
……うん。迷惑掛けちゃうから」
「因果だね、君も」
「自分もそうだって口ぶりだね。シャリ」
……そうだね」
 シャリが足を止める。彼女は足を止めなかった。ただつぶやいた。
「ごめんね。私。私、……あんまり影が薄いから、忘れちゃってた」
 笑いを込めて言いながら、胸がきゅっと痛んだ。
(シャリは人間じゃない――なら、何で私の前に現れたの?)
 激しい予感を感じて一筋、涙が彼女の頬をすべって、落ちた。



■□■□■□■□


 二人は、彼女等の姿が見えなくなるまで、その背から目を離さなかった。
 ペネロペが、ナルドの身に体を寄せる。
「ナルド……私、子どもが産みたいわ。たくさん。それで女の子が生まれたら、アリエーフと名づけるの」
「そうだね。それがいい」
 ナルドは優しく頬を緩め、それからふっとそれを消した。
「でも、」
 ペネロペはナルドの顔を不安げに見上げた。
 ナルドは厳しい顔で、二人の背を思い出す。
「何か冷たいものが流れているよ。二人の間にじゃない。周りに」
「考え過ぎよ」
 ペネロペが硬い笑いを浮かべて、身じろぎする。
「あんなに仲がいいんだもの。それに、二人とも強いわ」
……だったらいいんだけどね。外部の敵じゃなく、他の要因であの二人は破滅する……そんな気がしてならないんだ」
……でも、今は」
「ああ。ベルルのために祈ろう。彼女等の幸せを」
 二人はゆっくりと青空を見上げて、祈った。
 
 ――どうぞ、彼女等にひどいことが起きませんよう。



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 クオリティ上げようと思ったのに、途中で気力が尽きました(爆)
 最近私は爆発してばかりです。爆破の桂とお呼びくださ(逝け)

 けっこう、二人ともキーマンなので、嘘くさくなっちゃったのが残念です。不満なのでそのうち書き足します。

 ※こちらの背景画像は、
NANOMEMOの珠越さまよりいただきました。謝々!