その剣に花束を


2-1 公爵様




 あれから三日三晩歩き通しの末、朝になってようやくたどりついた小さな村――ペスカ。
 アリエーフと、それから自称魔道師のシャリは宿を取って、一階の酒場兼食堂で昼食を摂っていた。
 ……とは言っても、もっぱら食べているのはアリエーフのみで、シャリは向かいに座りながら、興味なさそうに足をぷらぷらさせている。
 アリエーフは目を輝かせて、目の前に立ち並ぶ料理の数々を絶賛した。
「このハムエッグ、おいしい。プロだね!」
「現金なもんだよね……あれだけ、僕がついてくの嫌がってた癖に、金持ってると分かったとたんコレだもん」
「何、んぐっ、硬いこと言ってるの、シャリくん! 私はね、教会にいた時からずぅっとご飯だけを楽しみに生きてきたんだから!」
「明るいんだか、暗いんだか分からない人生だね」
 アリエーフの服はすでに買い代えて、暗い緑色のクロースにベストを重ねたものを着ている。シャリは帽子を取ってテーブルの上に置いたきり、最初に見た時のままだが。
 彼女は無言でゴブレットの水を飲み干すと、にっこりした。水が腐ってたのかゴブレットが汚れているのか微妙にすっぱかったが、アリエーフの運からすると上々な方だったので特に気にならない。
「あー、お腹いっぱい……ありがとね」
「水、まだいる?」
 シャリは水差しを傾けてくれるが、その様は実にやる気がない。
「あ、ありがと。思い出すな。こうやって、シスター・イーリアも水注いでくれたっけ」
「アリエーフは、教会で育ったの?」
 興味深そうな目で見られれば悪い気もせず、アリエーフは頷いてゴブレットに口をつけた。
「まぁね。私、捨て子だったの。赤ん坊の時に、教会の前に捨ててあったんだって。十になるまでは、シスター・イーリアに――
「魔導師殿がいるというのは、こちらですかな」
 出し抜けな声と共に扉が開き、テーブルの間を縫うようにして威厳のある老人が歩み寄ってくる。喧騒に包まれていた食堂がしんと静まり返るところからして、重要人物らしい。
 アリエーフとシャリの座るテーブルに近づいてきた老人は、シャリとアリエーフを見比べ、失礼なことに(もっとも、アリエーフの頬にハムの欠片がくっついていたのが原因かも知れない)シャリの方に向き直ると、大きく咳払いした。
「あなたが、魔導師殿で?」
「そうだって言ったら?」
 シャリが、俄然楽しそうな顔になった。
 現金なのはどっちだ。
「これは、よくぞこの村にお越しくださいました。私はこの村の村長でして……お見知りおきを」
 シャリは肩をすくめた。
「前置きはいいからさ。用件に入ってよ。用件に」
「ちょっと、失礼だよ!」
 アリエーフは何となく頬を染めて、シャリの服を引っ張った。
「いえ、無礼なのはこちらですから……」
 しかし村長にそう言われ、アリエーフも渋々手を引っ込めて膝の上に置く。
「それで、無礼を承知でお頼み申し上げたいことがあるのですが」
「もしかしてあの、村の北にあるお城のことじゃない?」
 シャリが小さく笑いながら言うと、村長は大きく目を見開き、軽く仰け反った。周りから「村長!」と心配するような声が飛ぶ。
「いや、失敬……さすがは魔導師殿。実はそうなのです。二、三年ほど前からあの城に、ダルケニスが住みつきまして……」
「退治して欲しいの? 僕に」
「はい……村の者も、不安がっております。それに、私の孫娘が……いえ、それは構わんでしょう」
「あの、良かったら話してください。お孫さんに、何かあったんですか?」
 アリエーフは見かねて口を挟んだ。
 村長はしばし、逡巡するように口を開け閉めした後、「ふむ」とつぶやいて口を開いた。
「そうですな……実は、孫娘のロゼッタが、何とあのダルケニスに魅入られておるのです。いえ、これは周知の事実ですから、気を使われる必要はありませんよ、娘さん」
 思わず腰を浮かしかけたアリエーフは、ゆるゆると再び腰を下ろした。
「ですので、一刻も早く、あのダルケニスを討って欲しいのです。むろん、報酬はお支払いします」
 アリエーフは話の流れが妙な方向に進み出したのを感じて、シャリの耳元に口を寄せると囁いた。
「そんな時間、ないからね。いつ追っ手が来るか分からないんだし、」
「いいよ。村長のおじいさん、受けてあげる」
「シャリー!?」
 アリエーフは思わず椅子から転げ落ちそうになった。
 シャリは反応を楽しむように目を細めて笑うと、「大丈夫?」と聞いてきた。
「だ、だだ、大丈夫じゃないよ……せっかく、シャリ、あなたが隣の大陸に行くための、船が出る場所知ってるって言うから期待してたのに、そんな、」
「いいじゃないか。ちょっと遅れるくらい。大陸は逃げたりしないよ」
――私の命が逃げるっつってんの! 殺されちゃうでしょ、いつまでも長居してたら!」
 思わず、アリエーフは我を忘れて叫んでいた。
「だって、すごく強い願いがあるんだもん。ほっとけないよ」
 当たり前のことを言うようにケロリと言われ、アリエーフは頭を掻きむしってテーブルに突っ伏した。
「勝手にして……!」
「あ、あのー」
 恐る恐ると言った風に、村長が言葉を挟んだ。
「何か訳ありで……」
 アリエーフは今の今まで、彼の存在を忘れていたことに気づいてぽかんと口を開けた。


■□■□■□■□


「はい……最近、見知らぬ男が出没するという噂もあります。何かと物騒ですので、お気をつけて」
「だいじょぶだいじょぶ。僕に任せといてよ」
 アリエーフはテーブルに突っ伏したまま、とんとん拍子に依頼料の交渉や、条件などをまとめて行く二人を見守っていた。
 最後にシャリが、ちらりとこちらを見て口の端を曲げ、尋ねるように見てくるので、渋々アリエーフは進言する。
「意味ないよ。そんなことしたって」
「どうして? 旅費は稼げるよ?」
「旅費のためにやるんじゃないんでしょ? ……願いがどうとかって、言っていたよね」
「建前と本音に、意味なんてある? どっちだって、同じだよ」
「同じじゃないよ。ねぇ、もしも、人道的な何かに心動かされてなんて理由なら、――
 言葉を継ごうとしたところで、不意にシャリが腹を抱えて笑い出した。周囲の、ずいぶん減った客が呆気に取られて見守る中、シャリは泣くほど面白かったのか目もとをぬぐう。
「人道的? 僕がね。で、何? 続けてよ、面白いから」
 アリエーフは内心ムッとしたが、こらえて続けた。
「もしそうなら、無意味。そんなことしたって、ただの自己満足なんだから、意味なんて――
「それは、」
 シャリがつぶやくようにアリエーフの言葉を遮った。いつになく静かな語調に、思わず彼女も息を呑む。
「それは、違うよ」
 アリエーフは気色ばんだ。ぐっと拳を握る。
「ううん、無意味だよ。絶対に意味なんてない」
「違う」
 シャリは即答したきりもう答えず、帽子を拾って頭にかぶると、村長に会釈して外に出て行った。
「……ダルケニスを退治して、明後日までには戻るよ」
 肩越しに、そう言い置いて。



 アリエーフは盛大にため息をついて、ベッドに体を横たえた。 
 その日の夜、宿である。シャリはまだ戻っていない。
「……私の知ったことじゃ、ない。アイツが勝手に受けた仕事なんだから」
 何となくつぶやいて見るが、心のもやもやは晴れなかった。
「関係ないもん。アイツは……シャリはただの同行人で、財布で……財布?」
 アリエーフはハッとなって身を起こした。
「財布! そうよアイツ、死んだら財布がなくなっちゃうじゃん!」
 慌てて夜着の上にベストを羽織ると、足音を忍ばせて外に飛び出す(ちなみに三回ほど階段でコケた)。だが真っ暗闇の中、どうすればいいのかも分からず、アリエーフは無様に立ち往生する。
 周囲を見回しても、役に立ちそうなものはない。
(……よくよく考えてみれば、別にアイツを待ってる必要なんてない。お金なら、多分どうにかなる。ここで逃げて振り切っちゃえば、後々楽かも知れない。アイツは、やっぱり信用できないし)
 アリエーフはそうと決めるや否や、宿に取って返そうとし――
「あの!」
 細い女の声に、王宮にいた時のクセで「何でございましょう」と答えてしまって口もとを押さえた。
「へ……」 
 声の主らしい、コートを着込んだ長いブロンドの女性も目をぱちくりさせている。
(……だから、侍女としてもぐりこむのは嫌だったんだよ)
 心中で毒づき、アリエーフは愛想笑いを浮かべた。
「何かご用ですか? 女の人の一人歩きは危ないですよ」
 ブロンドの彼女は、白い頬に紅が散るほど息を切らして、何度もコートの裾を合わせようとしていた。せっかくの美しい髪もほつれ、慌てて走ってきたのだと分かる。
 何事かと思って見ていると、彼女は気づいたのか、ますます顔を赤くした。
「あ、私はロゼッタと言います。村長から聞いたかとは思いますが……」
「村長の、孫娘だったっけ。ダルケニスに魅入られた、とか言う」
「はい……あの、窓から月を見ていたら、あなたが真っ青な顔で飛び出してくるのが見えたので」
 アリエーフは大体の事情を悟り、嘆息して髪をかきあげた。
「つまり、恋人が気になったんだ。私の連れが倒しに行った、ダルケニスの身が?」
 ブロンド娘はうつむいてしまった。
「いいよ、隠さなくて。私、偏見とかないから」
 促すと、彼女はいよいよ顔を林檎のように赤くして頷いた。
「それで、話は簡潔に行こうか。正直、あなたとその彼のラブロマンスに興味はないの。私に会いに来たのはなぜ? 頼み事でもある?」
 彼女――ロゼッタは、しどろもどろになりながら小さく頷いた。
「彼を、殺させないでください……彼は、どこからか来た旅の人に殺されたりしちゃいけないんです。……あっ、あの、すみません……」
 こちらを中傷したとでも思ったのか、彼女はあたふたと釈明した。
「ただで頼み事? それって、了見が良すぎない?」
 まさか報酬を要求されるとは思っていなかったのか、ロゼッタは明らかに戸惑って視線をあちこちに飛ばした。
(ここまで言えば、諦めるでしょ。私、厄介事はゴメンだもん)
 内心舌を出していると、ロゼッタは興奮したように肩を震わせて、自分の髪の毛に手をやった。
 次の瞬間、差し出された白い手の平に乗っていたのは、精緻な細工のほどこされた髪飾りだった。
 アリエーフは、それをじろじろと眺める。明らかに高そうな代物だ。
「……これが報酬?」
 尋ねると、しっかり頷くロゼッタ。
「でも、大事なものなんでしょ? 受け取れな――
 ロゼッタは、決意の眼差しで頑として首を縦に振ろうとはしない。アリエーフは、それを見て思わず口をつぐんだ。
 ……沈黙。
 アリエーフは結局根負けして、渋々、彼女の手から髪飾りを受け取ると、懐に収めた。
「分かった。……連れを止めてくる」
(トンズラはまた次の機会か……)
 アリエーフは不安げにゆれる彼女の眼差しを受け止めると、いかにも自信あり気に頷いて見せた。
 義侠心でもなんでもない。財布のついでに過ぎないのだから。






 村はずれにそびえ立つ、いかにもな城。入ってみると、人気はなくガランとしていた。シャリの名を呼びつつ、辺りを探すが誰の姿もない。
 しかし、一階の探索もこれで最後とドアノブに手を掛けると、中から話し声が聞こえてきた。扉越しなので内容までは分からないが、胸騒ぎがして、アリエーフは扉を押し開けた。
「シャリ――って、」

「いやー。そうだったんですか。そりゃ、あなたも大変ですねー」
「まぁね。わがままな女の子ほど、手に負えないものってないよね」
「僕の恋人も、そうなんですよー。わがままでわがままで……でも、そこがかわいかったりするんですけどねー」
「それって、惚気だよ」
 アリエーフは中でお茶しているシャリと、どうやら噂のダルケニスらしい銀髪の青年を見遣る。頭が状況を認識するにつれて頭痛を覚え、ドアにもたれかかった。
「あんた達……いったい、何してんの」
 シャリがのんびりと茶をすすりながら、振り返った。
「あ、アリエーフじゃん。どう? 一緒にお茶する?」
 アリエーフは無言でダルケニスに会釈すると、席について勝手に茶を入れた。ごくごくごく。一息つく。そして。
「シャリ! 依頼は!? 何和んでんのよ、え?」
 思いっきり怒鳴りつけ、へたり込んだ。
「ダルケニスを討伐するってのが、受けた依頼でしょ……?」
「……でも、だってさ」
 シャリは全く気を悪くするそぶりもなく、ダルケニスの方を顎でしゃくった。
「話してみたら、結構いい人だよ? ロゼッタとのことも、本気なんだって」
「あのね、シャリ。私、逃げなきゃいけないの。こんなとこで暇をつぶしてる時間ないの。これ以上ここに留まるって言うなら、私一人で……」
 シャリは機嫌を損ねたようにふいとあらぬ方向を見て、鼻で笑いやがった。
「だったら、先に行ってていいよ。だって別に、君の協力が必要ってわけでもないし……ねぇ?」
 アリエーフはテーブルに拳を振り下ろす。
「こっちは命がかかってるんだよ?」
 かなり強い語調で言ったのに、シャリはまるで悪びれずに首を傾けた。彼はふところから皮袋を取り出し、アリエーフの鼻先で振ってみせる。
「お金が必要なんでしょ? だったら、文句は口の中にしまっておいた方が、賢明だと思うな」
 埒があかない。あまりの横暴さに、アリエーフは天を仰ぎ……そして念を押した。
「じゃあ、この一件を片付けたら先に進んでくれるんだね?」
 シャリは軽く「そうだね」とつぶやいて、再びカップに口をつけた。
(ああもう、どうにかしなけりゃ先に進めないじゃん)
 アリエーフはそこまで考えると、改めてダルケニスの方に向き直った。とっとと解決してしまわねば。
 血の色のサーコート。高い鼻と真っ赤な目。典型的なダルケニスの容貌だった。少し前に、大規模なダルケニス狩りが行われたばかりなのに、大胆な。
「私はアリエーフと申します。初めまして……あの、あなたは……」
 目の前で討伐がどうのと話した割に、ダルケニスはおっとりと微笑んだ。
「僕は、レオナルドですー。いやー、この城はもともと両親の暮らしていた城なんですけどね、ちょっとハンターに追われてぽっくり行っちゃいまして。僕だけは無事だったんで、タイミングを見計らって戻ってきたんですよ」
 ダルケニス……レオナルドは茶をすすると、のんびり続けた。
「そしたら、ロゼッタと出会いましてねー。もうご存知なんでしょう? アリエーフさんも。懐に持ってるのは、僕がロゼッタにあげた髪飾りですからね」
 アリエーフは思わずドキっとして胸元を押さえた。
「シャリを止めるように頼まれたんです。この髪飾りと引き換えに」
 懐を探って、返そうかなどと考えていると、レオナルドは小さく笑って首を横に振った。
「いいえー。彼女がそうしたいんなら、構わないんですよー」
「ねぇ、いいの? 人間なんかを信じてさ」
 シャリが出し抜けにカップを置いて、探るようにレオナルドを見た。それでもどこかいたずらっぽい雰囲気が漂っているのは、彼ならではと言ったところか。
 レオナルドは苦笑して、髪をかきあげた。
「大丈夫ですよー。彼女を、信じてますからね……それに、いざとなったら、隠し通路から脱出することだって、できるんですよ」
「その隠し通路って、君しか知らない?」
「僕と、ロゼッタしか知りません……大丈夫ですよ」
 アリエーフが口を挟めないまま、二人の男性は睨み合っていた。なぜか、そこはかとなくぴりぴりした空気が流れる。
「……さて、お二人とも。今日はもう遅いですし、泊まって行かれたらどうですかー? それとも、まだ僕を退治、しちゃいます?」
 真っ赤な瞳がきらりと光った。
「でも……」
 アリエーフがおずおず反駁しようとすると、奥の扉が開いて、一人の女性が近寄ってきた。
「ロゼッタさん?」
 ブロンドの彼女は儚げに微笑むと、「どうぞご安心を」と告げた。
「祖父……村長や町の人には、私の方から言っておきます。遅くなるって……だから、だから安心して泊まって行ってください」
「ロゼ……どうしました? 顔色が優れないようですが……」
 レオナルドが心配そうに聞くが、ロゼッタは微笑むだけだ。
 シャリがどうしても泊まって行くと言って聞かないので、渋々アリエーフも泊まることになってしまった。




 寝室だと案内された二階の廊下を二人して歩きながら、アリエーフはシャリの背を見て唇を尖らせた。
「ねぇ、いったい、どうして退治しないの?」
「うわ、えげつないこと言うね」
 シャリがくすりと笑う。
 アリエーフは憤然とそっぽを向いた。
「どうでもいいよ。他人なんて……あのダルケニスも、馬鹿だ。人間なんて信じたって、ろくなことはないのに」
「それは否定しないけどさ。ホント、アリエーフって冷めてるね。どうして?」
 シャリが不意に立ち止まって振り返る。
 もろに視線を合わせたアリエーフは、何となく不愉快で目を瞑った。
「愛なんて存在しないんだよ。信じたら裏切られる……それが、愛なんだから」
「……ねぇ、アリエーフって幾つだっけ」
「十五。それが?」
「若いね」
 シャリは歩みを再開した。アリエーフもそれに合わせて歩き出す。
「シャリは?」
「僕も同じくらい」
「私が年上かな」
「いや、違うよ」
「どうして?」
「君よりは年上」
「だから、何で」
「何でも」
 アリエーフはからかうようなシャリの言葉に、大きく息を吸い込んだ。
「ねぇ、シャリは何者?」
 シャリは少しだけこちらを見て、微笑んだ。
「光が強ければ強いほど、影もまた濃くなる。ふたつは永遠に消えない。全てが虚無に、還るまではね」



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 時間がなかったんです……

 ※こちらの背景画像は、
NANOMEMOの珠越さまよりいただきました。謝々!