6-1 人形
南西を目指して旅を始めてから、二週間が経とうとしている。アリエーフの育った村から、二日もしたところにその町はあった。
ラバン。山間の町。ついたのが閉門の間際だったせいか、それともこの町の雰囲気がそうさせるのか、人々は皆忙しなく歩いている。
宿を探して歩いていたアリエーフとシャリは、どうやらそれらしい建物を見つけて足をとめた。
「今日は、ここにしない? 何か大きくて立派だし」
アリエーフは、つい今しがた、宿の中に姿を消した高級そうな身なりの紳士を横目に言った。
シャリも同じものを見て、なぜか引きつった笑いを浮かべる。
「アリエーフ。もしかして人の金だからって、思いっきり使っちゃえ! ……なーんて思ってないよね?」
「当たり前じゃん」
アリエーフは憤慨して腕を組んだ。
「もちろん、思ってるよ!」
「……ね、別の大陸に行っても、そのノリで行くつもり?」
いきなりの言葉に、戸惑ってちょっと考える。
(考えたこともなかったよ……そっか、別の大陸に行かないといけないんだよね)
何となく、この旅がこのまま、ずっと続くような気がしていた。考えた末に言葉を口にする。
「……何か想像つかないな。訓練所を出た後は、ずっと王宮にいたし」
シャリが小さく笑い声を上げた。
「前々から疑問だったんだけど……アリエーフ、よく王宮に入れたね?」
「推薦だったもん。私、貴族としてもぐりこんだんだよ?」
「貴族? アリエーフが、貴族?」
「そうだよ! 笑わないで! 花嫁修業のためって言ったら、偉い人がそりゃそうだろうって、すっごい納得してくれたんだから!」
アリエーフは噴飯ものの言葉に鼻息も荒く主張した。
シャリが、からかうように顔を近づけてくる。
「へぇ、それで? レオンと恋に落ちた?」
思わず頬を染めるアリエーフ。
「違うよ……あれは、あっちが勝手に言い出したんだから。私は、友達のつもりだったのに」
「下心もなく、君に近づいてくる人間がいるとも思えないけどね」
シャリが言う台詞は的を射ていた。そう感じたアリエーフは目線を虚空に飛ばして、嘆息する。
「そうかもね。あなたもその手合いでしょ?」
「さぁ? どうだろうね」
「また、そうやってはぐらかすんだ。別にいいけどね。後でご飯おごってくれるなら」
「よく言うよ。旅の最初っから、一度だって払ったこと、ないクセに」
「私、お金なんて持ってないもん」
アリエーフはにっこりして、ぬけぬけと答えた。
シャリはそれを聞くと諦めたようにため息を吐いて、どこからともなく皮袋を取り出す。
「でも悪いけど今日は、ちょっと用事があるんだよね……僕」
アリエーフは何の疑問も挟まずにそれを受け取って、初めて首を傾げた。
「これ、お金だよね。用事って何?」
「君には言えない用事かな?」
フフフと笑うシャリ。
アリエーフは思いっきり変なものを見るような目で見遣って、「はぁ?」と唇を曲げた。
「まさか、実は裏で飲む打つ買う……なんてやってないよね?」
「だったら、お金は置いて行かないよ」
言うことはもっともなので、アリエーフは納得するしかない。
不満そうな顔で立っていると、シャリは悪戯めいた笑みを落として背を向けた。
「ちょっと、探し物をね。だから、泊まるところは自分で決めていいよ。ま、夜までには戻ると思うけど」
アリエーフは去ろうとする彼の背に手をのばした。
「あ、ねぇ! 待ち合わせとか――」
が、彼は角を曲がって、すでに姿もない。
「行っちゃった……探し物って、何なんだろ」
アリエーフは頬に手をあてて黙考し――さっさと町で一番立派な宿屋を探し始めた。
そしてとっぷりと夜も更けた頃。
アリエーフは一階の食堂まで行こうと、階段を下っていた。石造りの華奢な階段で、ピカピカに磨き上げられている。
前から従業員が歩いてくるのを見て、アリエーフは声をかけた。
「十代半ばくらいの男の子を見ませんでした? 明らかに道化師って感じで、性格悪そうなんですけど」
身振り手ぶりで帽子の説明などしつつ話すが、従業員は知らないようだった。
アリエーフは諦めて解放すると、食堂に向かう。
注文のついでに聞いてみるが、やはり知らないという答えが返ってきた。
「どこに行ったんだろ。夜までには帰るって言ってたけど、帰って来ないし」
やがて料理が運ばれくる。……ちっとも美味しくなかった。
「この間も街道で突然姿をくらましちゃうし……というかシャリって、そもそも何者なんだろ」
考え出すと止まらない。
何となく、心細くなってきた。
(考えてみれば、私って追われてる身なんだよね……今まではシャリが側にいてくれたから撃退できたけど、今は一人)
精神的な面でも、彼のふざけた態度にアリエーフは救われていた。自分の不幸な運命への想像も、別の大陸に行ったとして、それからどうするのか? なんて不安も、考えずに済んだ。
アリエーフはそこまで考えたところでフォークを置き、部屋に戻る。
お日様の匂いがするシーツに身を横たえても、やはり気になって眠れない。
(夜までには……って言ってたけど、もう深夜なのに)
アリエーフはのっそりと身を起こした。
(まさか、危険な目にあってたりして……いや、シャリに限ってそれはないと思うけど)
頭をかきむしって、アリエーフは唸った。
「気になっちゃって眠れない……」
そして彼女は、はたと気づいた。
(ヤダ、ここの払いで預かったお金、全部使っちゃった……シャリが明日になっても帰ってこなかったら野宿しなくちゃいけなくなる……!)
ざーっと血の気の引く音が聞こえた。
「探さなきゃ!」
アリエーフは飛び起きて身支度を整えると、そっと部屋を抜け出した。
突然声をかけると、門番の男は面食らったような顔をした。
「何だい? 君みたいな若い女の子が、こんな夜更けに……」
「あの、連れを探してるんですけど……見ませんでした?」
シャリの容貌を説明して告げると、彼は宙に視線をさ迷わせて考えこむ。
「さぁなぁ。……その連れってのは、外に出てったのかい?」
アリエーフは頷く。
彼は唸って考え出した。
「そりゃおかしいな。この辺りにあるものといやぁ、山と石と……後、近くに隠者が住んでるって洞窟があるくらいで、そんな小僧っ子の興味を持ちそうなもんは……」
「あの、隠者の洞窟ってどこにあるんですか?」
アリエーフはピンときて身を乗り出した。隠者なんて、いかにもシャリのイメージだ。根暗だし黒いし。
場所を聞くと、なぜか同情した風の門番がこっそり外に出してくれた。
「アンタも苦労するなぁ。え、コレなんだろ?」
指を立てて見せる門番。アリエーフは顔を赤らめて首を横に振ると、駆け出した。
「ここが、隠者の洞窟……?」
アリエーフは教えられた洞窟の前で足を止めた。
岩の影に隠れるように、ぽっかりと穴が開いている。
「シャリ、ここにいるのかな……ま、いなかったら別のところを探せばいいか」
アリエーフは明るくつぶやいて、足を踏み入れようとし――精霊たちが騒いでいるのに気づいて踏みとどまった。
何となく胸を押さえ、アリエーフは辺りを見回す。
「誰? 誰か――いる?」
「ほう、聡くなったものだ」
洞窟の前に立ち、阻むように闇から現れたのは長身の男……ディーヴァだった。
アリエーフは目を細め、少しだけ後じさりする。
(おばあちゃんを殺した……)
きっとなる。アリエーフは火のようにねめつけた。
「今度こそ、私を殺しに来たってわけ?」
彼は、そんなアリエーフの反応を楽しむように両腕を広げる。その頬を歪めるのは……嘲笑。
「残念だが、それは違う。我がここに現れたのは、お主のためではない」
「それじゃあ何? 私にかけた呪いでも、解いてくれるんだ?」
不意にディーヴァは空を見上げた。
「呪いか。お主もずいぶんと苦労しただろうにな。我が王として生きた時分よりも、この大陸には憎悪がうごめいている」
感傷的なことを言い出すディーヴァに、アリエーフは苛々と柳眉を逆立てた。
「そんなこと言って、」
「しかし、呪いなど下らぬ。我に解く術などないわ」
アリエーフはもう聞こうとせずに声を上げた。
「急いでるの。そこをどいてよ」
「それはできぬ相談よ。この奥には、一人の老いた男が住んでいる」
「どいてくれないなら、もういい」
アリエーフはゆっくりと歩き出した。一歩、二歩と彼に近づくにつれ、吹きつけるような憎悪の思念が、肌をちりちりと焦がす。
(これが、七王の亡霊……!?)
唇を引き結び、今にもこぼれそうな悲鳴を我慢する。体の全てが、この男の前から全速力で逃げろと叫んでいるような気がした。
「我が娘よ」
息を詰めて脇をすり抜けようとした時、彼がアリエーフを見下ろした。
「……どうだ? その手が血塗られて見えぬか。自分の母親を殺した己が身、恐ろしくはないか」
アリエーフはむきになって睨んだ。
「私じゃない! お前が……」
「面白いことを言う! 我が殺したと? お主が不要だと言うから殺しただけ」
「いらないなんて、私は言ってないよ!」
アリエーフは両の拳を握って叫んだ。
「私のせいじゃないもんっ……どうして、そんなに突っかかってくるの!?」
見定めるようにな眼差しでアリエーフを見たディーヴァが、唇を舐めた。冷徹そうな青の瞳が、暗い色を宿してほのかに光る。
「我が憎いか、アリエーフ……!」
「憎い……!? まるで……、まるで、憎んで欲しいみたいな口ぶりだね」
アリエーフは自分の腕を押さえて、苦虫を噛み潰したような顔をした。
「憎いよ。私の……不幸は、全てあなたのせいなんだよね?」
「その通りだ!」
「それに、いつも私の前に立って、邪魔ばっかり。今だって私の前に……」
「ああ、そうだ!」
「そもそも、こんな逃避行に出なきゃいけなくならなかったのも、あなたが私の正体を、王宮でバラしたりするからだし」
アリエーフはいったん言葉を切った後、真剣な眼差しで彼を見た。
「いったい、何が目的なの? 教えてよ……私の、たった一人の血縁だって言うなら」
ディーヴァは額にかかった前髪をかきあげ、喉の奥でクッと笑う。
「我の目的――? 無論、再びこの世に生を取り戻し、世界を無に帰すことよ」
ディーヴァは歪んだ笑みを、石膏のような顔に貼り付ける。
アリエーフは溢れだす憎悪の気に、身をすくめた。
(精霊たちが、この男を恐れている……)
「アリエーフよ、そろそろ幕が近いぞ。お主が、我を憎もうというのであればな……! ああ、そうだとも、そこまで迫っている。さぁ行くがよい、我が娘よ……行って、隠者に会ってくるといい」
不安だけを残して、彼は姿を消した。
アリエーフは少しの間、ディーヴァが去った後を見詰める。
(何を……考えてるんだろ。あの男……)
考えていても仕方がない。アリエーフは考えを振り払って、中に進んだ。
アリエーフはブツブツと呪文を唱えて、意識を集中させた。じょじょに体が熱くなる。
指を立てると、その先に小さな炎が浮かんだ。
闇の中に浮かび上がったものは、どこまでも続くような深い洞窟。じめじめと湿っていて、ねっとりとした空気が、肌にまとわりつくような気がする。
アリエーフは慎重な足取りで、奥を目指していた。
(魔法も、役に立つんだね。……しゃくだけど、シャリに教えてもらってよかった)
アリエーフはそう思って、ふと微笑んだ。
――とその時、足を何か盛り上がったものに引っ掛け、
「いたっ!」
大きな音を立てて、なすすべもなく倒れ込む。したたかに体を打って、アリエーフは唇を噛み締めた。
「ディーヴァめ……!」
アリエーフはかなり自分勝手に復讐を誓うと、文句を言いながら立ち上がる。首を振って何につまずいたのかと見てみれば、何か人影が倒れて、……
「シャリ?」
アリエーフは思わず呆然と一言口にして、しゃがみ込んだ。
確かにシャリだった。女の子かと見まがうほどきれいな顔も、一見すると道化師のように見える服も変わらない。が、目をつむって、ピクリとも動かない姿は、アリエーフに嫌な想像をさせた。
「シャリ、ちょっと……起きてよ、ねぇっ!!」
とその時、背後から聞き覚えのある声がかかった。
「あれ? アリエーフじゃない。こんなとこまで来て、いけない子だな」
振り返ると――、たった今目の前で倒れていたはずのシャリが、立ってこちらを見下ろしている。
アリエーフは目を見開き、何度も目をこすった。
「シャリが二人――」
「何言ってるの? 僕が二人もいるわけないじゃん。大丈夫?」
「だって、今倒れて、」
アリエーフは慌てて、さっきまで倒れていた彼を指差そうと振り向く。……だが、そこには何もなかった。ただ地面が広がっているだけで、シャリの姿なんてどこにもない。忽然と消えてしまっている。
「そんな……」
アリエーフは小さく唇を噛んで、首を横に振った。
シャリが不思議そうに視線をよこす。
「僕の幻でも、見た?」
「そんなんじゃないけど」
「じゃ、いいよね」
アリエーフは釈然としないまま、土を払って立ち上がった。気を取り直して、シャリを睨みつける。
「……夜までに帰るって言ったよね? ねぇ、ちょーっと教えて欲しいんだけど、今は昼? 夜? それとも深夜?」
シャリが小さく笑い声を上げた。
「ゴメンね。それで心配して探しに来てくれたんだ? そんなに僕のこと、好き?」
アリエーフは堂々と頷いた。
「うん、もちろん。あなたの持ってるお金がね」
「そりゃありがとう。とっても嬉しいよ」
冷たい視線を交わし合い、アリエーフはそっぽを向いて――胸をなでおろした。こうやって、いつまでもシャリとふざけてられたらいい。そう思う。
「ねぇ、アリエーフ……」
ひそめるように小さな声を聞いて、何かと身構えた。
シャリがこういう声を出す時には、ロクなことがない。
「先に帰っててくれないかな。危ないし」
アリエーフは思わず聞き返した。
すると、シャリが顔の前で両手を合わせるようなポーズを取る。
(どういう意味……)
「ほんっとゴメン。でもさ、アリエーフだって、夜更かしはお肌に悪いよー?」
「追い返そうっての?」
「ま、言葉を悪く選ぶと、そうなるかな?」
「あっ……そう」
アリエーフはニヤリと笑って、歩いてきた方に向かって歩き出した。
「帰り道、気をつけ――」
その瞬間、轟音が響き渡った。アリエーフは思わず腕で顔をかばい、もうもうと立ち込める噴煙にせき込んで後じさりする。
土煙が収まるやいなや、岩盤が崩れて完全にふさがった道が目に飛び込んでくる。それを指差して、アリエーフは笑ってやった。
「私の運の悪さをみくびったらいかんぜよ!」
「……あっちゃー、こういうことになるとはね」
気の抜けた声に振り返ってみると、シャリは珍しくびっくりしたような顔で額に手をやっていた。
「苦節十五年、初めてこの運の悪さが役に経ったね」
アリエーフがしみじみ言うと、彼はかなり嫌そうな顔でため息をつく。
「仕方ないな……ここにいるのも危険だし、ついて来て」
アリエーフはシャリが歩き出すと、ニコニコしてその後に続いた。
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