その剣に花束を


6-2 人形




 洞窟は一本道だった。気にせず進むと、奥の方からわずかな光が漏れて、道を照らしている。
 アリエーフは指の先に灯った炎で少し先を照らしたが、何があるのかまでは分からなかった。
 シャリがやおら笑い声を上げる。どうでもいいが、不気味だ。
「おや、隠者様のご登場だね」
「……この洞窟に住みついた老人のこと?」
 隣を歩くシャリはアリエーフが質問すると、考えるような仕草をした。
「そうだよ。……まぁもっとも、そんな大層なものでもないけどね」
 言いながらさらに進む二人――と、
「誰じゃ」
 突然の声が虚ろに反響した。
 アリエーフは思わず誰何の声を上げようと――して、いきなり腕を掴まれた。彼女は無言のシャリを見詰めて、仕方なく口をつぐむ。
 そうして二人待っていると、やがて奥からのっそりと、一人の老人が歩いてきた。白いローブの老人。髪はすでに白いものが大半を占めているが、動きはかくしゃくとしていて隙がなかった。眼光は鋭く、疑うようにこちらを見ている。
 アリエーフが何を言っていいのか分からずにいると、シャリが一歩進み出て気軽に言った。
「ねぇ、あのさ。ちょっと、渡して欲しいものがあるんだけど」
 それを受けた老人が、眉間に深い皺を刻んだ。
「いきなり現れて、それか。貴様は――
「持ってるんでしょ? 束縛の腕輪を」
 アリエーフは聞き覚えのある固有名詞に息を呑んだ。
「貴様、何者じゃ!?」
 唾を飛ばして老人が叫ぶ。
「なぜ、ダナエのことを知っておる!」
「ダナエ?」
 シャリは聞き返して、思い至ったように笑い声を上げた。
 どこか剣呑で、責めるような笑い声。
 アリエーフは思わず耳を塞ぎたい衝動に駆られた。辺りの精霊がざわめいている。
「ああ、そうか……もう使っちゃったんだ?」
 シャリはそう言うなり、全く何のためらいもなく、奥に進もうとする。
 老人はそんなシャリを止めようと、立ちはだかった。
「行かせぬ! ダナエは、永遠にここで……」
「ダメだよ。ちょっと必要なんだ――
 シャリがアリエーフを振り返った。
「さ、アリエーフ。一緒に来て」
「行かせぬと言って――
「うるさいな。ちょっと、黙っててよ」
 シャリは老人に向かって、腕を一振りする。すると老人が呻いて、ぴたりと動きを止めた。
 ――何か、底の知れない魔力を感じる。
「か、体が……動かない……」
 アリエーフはその彼を横目に、シャリに駆け寄った。シャリはもう老人など一顧だにせず、奥に進んで行く。アリエーフは慌てて後に続いた。
(束縛の腕輪って、確か……物語に出てくる、闇の神器だったような……)
 光のもれる先は、大きくひらけた空間になっていた。ベッドもある。毛皮でできた絨毯などがしかれていて、壁には蝋燭がかけてあった。ただ、火がついている蝋燭は、そのうち一本だけだが。
 アリエーフはまぶしさに目を細めて見回していた。
 と、唯一火のついた蝋燭の側に、ほっそりした若い女性が立っているのに気づく。
 透けるような白い肌で、鼻筋はとても整っていたが、瞳だけはひどく虚ろだった。髪の色は金に近いが、光源によっては茶にも見える。服は、……真っ白な布のようなものをかぶっているだけで、他には何も身につけていない。腕にはめた腕輪だけが、異質な光を放っている。
 シャリが彼女に近づいて、無造作にその手を取った。彼女は全く動かず、されるがままになっている。
 彼は静かに彼女の腕輪を調べ、口元に笑みを刻んだ。
「これで、最後だね」
「シャリ、どうして、束縛の――
 アリエーフが全てを言い切る前に、誰かが駆け寄って――
「触るでない! 我が妻に……触るでない……」
 シャリが老人を振り向いて、笑った。
「もう術が解けちゃった? あーあ、やっぱその前に、騎士様たちの相手したのがマズかったかな……」
「妻から離れてくれ!」
 シャリは首を傾けた。笑顔は完璧だが、アリエーフには分かる。……怒ってる。
「でもさ、お爺さん。この女の人は、もう死んでいるんだよ? その腕輪で、無理に整えてるだけでしょ」
「やめてくれ……」
「この腕輪はね……」
 シャリがゆっくりと、腕輪に指を這わせた。
「もう何年も前から、幾つもの思いを束縛してきた。愛しい人を、物をもう一度作り出すために。でも、本当に囚われているのは腕輪で作られたものじゃなくて、使った本人なんだよ」
 シャリは笑みを深くした。
「そろそろ、安らぎをあげたら? 自分にも、この人にも」
「黙れ……わしには、妻しかおらぬ。他の全ては捨ててしまった……」
「でもそのために、何を犠牲にしたの? 友情も、愛も、人生も、この穴倉に捨ててしまったんでしょ」
 淡々と、事実のみを並べるようなシャリの言葉。
 アリエーフは胸のざわつきを覚えて、シャリをちらちらと見た。
 老人が何度も首を振って、後退する。
「わしは……」
「後悔してないの? 本当に」
 老人は頭を抱えて膝をつくと、うなだれる。
「ああ……わしは、ただ最後まで妻と一緒にいたかっただけなのだ」
 シャリは軽い調子で頷き、静かに言葉を続けた。
「うん。気持ちは分かるよ。……でも奥さんはこんなこと、望むかなぁ」
 老人は口ごもってしまう。
 アリエーフは何と声をかけてよいのか分からずに、口元を押さえていた。
(そんなこと……)
 シャリは満足したように頷いた。
「じゃ、これはもらっちゃうね」
 アリエーフが止める間もなく、シャリはダナエ――とかいう、その女性から腕輪を抜き取る。
 そのとたんに、彼女の体は崩れ出した。目が、鼻が溶けて崩れ落ち、腕が、足が崩れて倒れる。やがて、彼女であったことを示す痕跡は消えてしまった。……全てが。
「ダナエ――おお、ダナエ!」
 老人はシャリを押しのけて女性だったものに近づくと、頭を垂れた。
「ダナエ……ダナエ!」
 アリエーフは不意に顔を逸らす。
「……人の形をしてるのに、あの女の人は人間じゃなかったんだ」
「浅ましいと思う?」
 顔を上げると、シャリがいつの間にか隣に立っていた。
「彼女は、ただの人形。あの老人に愛でられるだけしか能がない」
「ひどいよ、そんなの」
 アリエーフはきつく目を閉じた。どんよりと吐き気がこみ上げる。
「人間じゃないなんて……」
「だが……それでも、妻を失ったわしにとっては支えだった」
 アリエーフが慌てて目をやると、老人が顔を上げて、苛烈にこちらを睨んでいる。
「……それを、貴様等が奪っていきおった」
 アリエーフが何かを言いかけようとすると、シャリに再び押し留められた。
 老人は、目玉が零れ落ちんばかりに目を見開くと、叫んだ。
「わしは例え闇に落ちたとしても、妻を失いたくなかったのだ!」
 老人の手には、いつの間にかナイフが握られている。
「貴様等さえいなければ……」
「そんなの、違うよ……変だよ」
 アリエーフはつぶやくように言った。
「黙れ黙れ! 正しいと思ってやったことではないわ! それでも、こんな風に大事なものを奪われて、納得できるものか!」
「シャリっ」
 老人がシャリの方に走って行くのを見て、アリエーフは叫んだ。
 シャリはなぜか、立ち止まったまま避けようともしない。ただ薄っすらと微笑んで立っているだけで。
 と、老人が不意に向きを変え、辺りに視線を飛ばし――なんとこちらに迫ってくる。
 狂気に濡れる瞳を見て、アリエーフは動けなくなった。自分の体だとは信じられないほど、ぴくりとも。
 老人の刃がアリエーフの目前に迫り、アリエーフは息もできないままようやく顔をかばい――
 しかし、一向に痛みは襲ってこなかった。痛みも、衝撃も、悲鳴も何一つ。
 アリエーフは恐る恐る目を見開き、シャリが自分をかばうように立っているのを見た。
 背中に汗が噴き出す。妙に静かで、アリエーフは何かの夢ではないかとすら思った。
 老人の持っていたナイフが、シャリの腕の辺りに刺さっていた。アリエーフは細く息を呑む。
 老人は刃を手放して、後じさりした。
「貴様は……なぜ、」
「お爺さんは、別に知らなくってもいいよ」
 老人は信じられない、とでも言いたそうに身を引いた。
「なぜ、命を賭けて他人をかばうような者が、わしから全てを取り上げたりできる……?」
 老人の問いにも、シャリは答えない。アリエーフに背を向けているので、表情は見えない。
(どうして……私、こんなに……)
「なぜ……」
「ひどいな。こんなことするなんて」
 シャリが腕に刺さったナイフを抜いて、投げ捨てた。
 ナイフが落ちて、とんがった音をたてる……
「アリエーフがもう少しで死んじゃうところだった」
 気がつくと、シャリの手に剣が握られていた。
 アリエーフはあまりの事に言葉もなく、何か言おうとするものの、唇が震えるばかりで言葉にならない。
「ちょっと、お仕置きしちゃおうかな?」
 シャリが笑うと、剣からとてつもない魔力が溢れ出した。アリエーフは思わず顔をかばい、距離を取る。
 すさまじい勢いで精霊が消滅して行った。それに、これは、この冷たくて暗い、触れれば何もかもが消えてしまうような感じは何だろう。
 お仕置きなんて量の魔力じゃない。アリエーフの頬を汗が伝った――シャリがその剣を振り上げたその時、ようやくアリエーフは声を取り戻した。
「やめて! 殺さないで!」
 ――シャリがぴたりと動きを止め、肩越しにアリエーフを見た。
「どうして?」
「だって……だって……違うよ、そんなの!」
「君でも、他を哀れむんだね」
 シャリが嘲るように笑う。
 剣に集まっていた何かの力が、霧消した。すさまじいプレッシャーを受けたのか、老人が尻もちをつく。
 アリエーフは何がしかの罪悪感にかられて、目をしかめた。自分も座りこみたい衝動に駆られるが、まだ膝をつくには早すぎる。
「……最後まで私のこと、見ててくれるんだよね? ……だったら、見ててよ。それだけでいい」
 言い切ってしまうと、ほっと胸に安堵が込み上げた。
 だがシャリはそれを聞いてなぜか、少し虚ろな顔をした。剣を握ったまま、彼はゆるゆると首を振る。
「じゃあ、行こうか。そろそろ……夜が明ける」
 アリエーフはそのシャリを見て、ちょっと迷ってから、聞いた。
「あの……大丈夫?」
 彼はほうっと息をついた。
「いいよ。別に。……どうせ、痛みはない」



 ――すでに空は白み出していた。
 アリエーフは外に出るなり、膝をつく。
 今しがた、目の前で起こったことが信じられない。シャリがアリエーフをかばって、……かばって。
「どうしたの?」
 シャリが振り返った。
「仮眠だけでも取らないと、持たないよ?」
「どうして、……かばってくれたの?」
「同じこと聞くんだね」
 シャリは何か、とびきり楽しいことでも見つけたように笑う。
「愛してるから! とかじゃダメ?」
「ふざけないでよ……真剣なんだから」
 シャリは、いつくしむような、それでいて悲しそうな頬笑みを浮かべた。
「今、死なれるのは困るよ。……まだ魔法教室の受講料ももらってないことだし」
 アリエーフはちょっと迷うように視線をさ迷わせ、おずおずと口を開いた。
「ねぇ、シャリ……あの人は、どうしてあんなことしたんだろう……」
 シャリは自分の胸に手をあてて、目を閉じた。
「ねぇ、アリエーフ。闇は、どこにでも存在しているよ。側に、遠くに、同じところにも。だけどね、誰にも分からないんだよ。……それが、闇なのか、影なのかなんて」
 アリエーフはその顔を見て、首を振った。
「シャリ、私は――




 その瞬間、アリエーフとシャリの前に、鎧を着た一人の男が立ちはだかった。
「アリエーフ・イーリアとは貴様のことだな」
「神聖……騎士団!?」
 アリエーフはその胸に輝く紋章――神聖王国の――を見て、信じられない思いで叫ぶ。
 その後ろから、次々と鎧の騎士達が現れ、剣を引き抜いた。
「我らは神聖騎士団。王命において、アリエーフ・イーリア。貴様を国家反逆罪で処刑する!」
 アリエーフは何の言葉も返せずにただ、その男の顔を見上げていた。

 



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 えー、次はちょっとひと波乱。その後、転に入ります。
 当初の予定よりずいぶんと長くなってしまって、何か意外です。いや、長編用にプロットを練ったのですが……こんなに長くなるとは。

 ※こちらの背景画像は、
NANOMEMOの珠越さまよりいただきました。謝々!