トカゲと伯爵と虚無の子と  セカンド・いぐにっしょん。


「さて、お嬢さん。本題に入らせてもらおうか」
 男の声は、トカゲと一緒に自信も取り戻したかのようで、なぜか力に溢れていた。
 シャロンは肩越しに振り返り、その男を白い目で睨みつけてやる。
 すると男は、さっきの記憶が蘇ったのか一瞬身を引いたが、自分を抑えるように胸を張った。
「そういえばだね、まだ名前も名乗っていなかったと記憶しているのだが。これから伴侶となる者に失礼であったな……私は、ヴァイゼ伯爵。ダン・シュランゲ・ヴァイゼ伯爵だ。ダンと呼んでくれても私は一向に構わないがね、フム」
 シャロンはほとんど聞いていなかったが、ヴァイゼ伯爵とか言う男を胡散臭そうに見た。
 例え名を名乗ったとしても、怪しさに変わりはない。第一、よしんば本当に伯爵だったとしても、この男の言動からしてまともな人間に見えようはずもない。
「そ、そんな目で見ていると、後悔することになるぞ」
 シャロンがじろじろと見ているので焦ったのか、伯爵は出し抜けに言った。
「どういう意味?」
 シャロンはその口調に危ういものを感じ、少し身構えた。
 伯爵は心なしかふんぞり返り、もったいつけるように間を置いた後、話し始める。
「つまりだ、君は、私の許可がなければここから出て行くことはできない……そうだろう?」
「……あなたをどうにかしてその宝とやらを奪ったらいいでしょ?」
 慎重にシャロンが言うと、伯爵の顔に、今までとは違う、もっと異質な微笑みがよぎった。それは、強いて言えば――ジュサプブロスやゾフォルや……、そしてシャリのそれに似ていた。
 どこか危うい、狂気の一歩手前にある者の笑顔である。シャロンは体を電撃のように走り抜ける緊張に身を硬くした。
「どうにか……? 私を? フフ、フ。それは無理というものだよ、レディ。何せ、そう私は誰にも殺せないときている」
「試していい?」
 シャロンは挑戦的に言って、腕まくりしてみせる。  すると彼は、先ほどの反応とは打って変わってさらりと頷いた。
「いいとも。だが無駄だと愚考するがね。私は死なないのだけが取り得なんだ。……フム。なんだ、試さないのかね」
 伯爵は、不気味に底光りする目でシャロンにまなざしを送ってくる。
 シャロンは後ずさりしたいのを必死にこらえ、傲然と顔を上げていた。
 伯爵は、腕の中のトカゲをゆっくりと撫でて、続けた。
「まぁそんなことは私には関係ない。さて、話を続けるとするか! 楽しい話をね、フフ。どこまで話したんだったかな?」
 伯爵は考え込むように頭上を仰いだ。こちらの様子などお構いなしだ。
「……おお、そうだ。君は私の許可なくここを出ることができない、というところまでだったな。
君はいわば、私にその運命を握られているに等しいのだ。
そうそう、最初から断っておくが、この屋敷から出る方法など、全く存在しないからそのつもりでね。私の『永久の宝』を除けばだが……」
「その宝は、どこにあるの?」
「君のすぐ目の前に……ほら、すぐそこにあるぞ。この部屋の中だ。探してみるといい!」
 シャロンは動かなかった。そんなことを言って、シャロンに背を向けさせようとしているのかもと、思い至ったからだ。
 伯爵は何を勘違いしたのか、感極まったようにばっと右手を天に向け、満面の笑顔になった。
「おお、ミルフィーユ! とうとう私の物になる気に……」
「なってない! というかミルフィーユって誰!?」
 シャロンは、ベッドの脇に置いてあった室内履きを伯爵の頭に投げつけた。狙いたがわず見事命中。
 伯爵は室内履きが命中して赤くなった額をさすりながら、少し恨みがましそうにシャロンを見る。
「君が名前を教えないから、私なりに解釈して……」
「解釈?」
「『私はあなたのものよ伯爵様! 好きに呼んで』ゲフっ!!」
 シャロンは気がつくと、今度は化粧台に置いてあった手鏡を投げつけていた。これも伯爵の腹に見事命中し、変態はうめいてうずくまる。
 シャロンはフンとそっぽを向いた。
「馬鹿馬鹿しい。私、もう帰るわ。……じゃあ、もう会うこともないでしょうけど」
 シャロンは言い捨て、振り返らずに扉を出ようとした。
 したのだ、が。
「開かない……!」
 シャロンは必死にノブを回そうとするが、どんなに力を込めても回らない。試しに体当たりしてみるが、逆にシャロンの肩が痛くなった。
「フ、フフ……」
 地の底から響くような笑い声に素早く振り返ると、伯爵が復活して口元をぬぐっていた。
 ……本当に不死身かもしれない。殺す気で内臓狙ったのに……
「どうやって帰るつもりだったのかね? レディ。だから言っただろう、この家は、私の夢……私の意のままになる……、この家に入った時点で、君に私から逃れることなどできないのだよ!」
「そんな……」
 シャロンは思わずたじろいだ。
「じゃ、じゃあどうすれば……」
「私の物になればいい! 久々に元気なレディで安心した……! この間のレディは、ひ弱で三日と耐えられずに昇天してしまったからね!」
「あ、あなた……」
 伯爵がじりじりと近づいてくる。
 シャロンは思わず後ろに下がった。
 すると伯爵がまた一歩、距離を詰めてくる。
「フフフ……逃げ場はないぞレディ!」
 なんか、こんなシーン、ロセンでカルラと見たような……
 シャロンは思いつつ、額ににじむ汗を感じながらもまた一歩下がった。
 ええと、こういう場合どうすれば……!?
 伯爵はそうする間にもフフフと笑い、今にも飛び掛からんばかりに身を低く落としている。 
 ……! そうだ!
「さぁ、おとなしく私のものに……!?」
 シャロンは突然身も世もなく「よよよ」と泣き崩れた。女の子座りは忘れない。毛足の長い絨毯に手をうずめて、顔を覆う。
「ど、どうしたんだね、いきなり……」
「ああ、ごめんなさい……私だって、さっきから好きで反抗的な態度を取っている訳ではないのです」
「な、何だって?」
「私の話を、聞いていただけますか……?」
 シャロンが手の間から上目遣いにチラリと伯爵を見ると、彼は慌てたように胸を張って口髭を撫でた。
「ふ、フム。言ってみたまえ?」
 乗ってきた。 
 シャロンは笑みがこぼれそうになるのを隠すため、一層大きな声を上げて泣いた。
「ありがとうございます。実は……、あなたさまに拾われる前、私はいたいけな少女より依頼を受けていたのです」
「依頼……?」
「はい。ご存知かとは思いますが、私は冒険者。人々の願いを叶えることを職業としております。そして、私も少しは名の知れた冒険者です。突然、依頼を受けることもあります……」
「だ、だが、見つけた時君はべろんべろんに酔っ払って――
 シャロンはその声を打ち消すために、すぅっと息を吸い込んで「それが!」と叫んだ。
「私とて女です。辛いことだってあります……酒場に行ったその帰り道、少女に頼まれごとをされたのです。彼女は私の帰る道で待っていたらしく――
「え? だ、だが、君の他に麗しい少女の気配は――
「おお、それは関心! 私は、彼女から薬草取りに行ったまま返らない兄を助けてくれるよう頼まれた後、夜道は危ないから早く帰るようにと促したのです。彼女は丁寧に頭を下げて、何度もお礼を言いながら去って行きました……」
 シャロンは自分で言っていて、かなり無理があるような気がした。だがそれには目をつぶってハラハラと涙をこぼしながら訴える。
 伯爵は考え込むように「う〜ん……」とうつむいてしまった。
 シャロンは何とか窮地を脱出できたと内心喜んだが、注意深くそれを表に出すことは避ける。
「……ですから、早く行かなければあの少女の兄が命の危険にさらされてしまいます。だから私はつい焦り、あのような暴挙に……」
「暴挙とは、私に花瓶を投げつけ、スリッパを額に当て、鏡をみぞおちに見事な腕前で命中させたことかね?」
 シャロンはぎくっとしてきょろきょろとあたりを見回した。
「ああ、錯乱していたのです! どうぞお許しになって!」
 シャロンはとっさに大きく両手を広げ、許しを請うように伯爵を見上げた。
 そういうシュチュエーションに弱いのかなんなのか、ともかく伯爵は頬を染めて咳払いした。
「そういう事情なら仕方がないな……」
「本当ですか」
 これは演技ではなく、シャロンは顔を輝かせて伯爵を見た。
「フム。まぁ私としては、その話は余りにも馬鹿馬鹿しく信じるにたる証拠もないと判断するが、君がどういう意図なのかは知らないが必死だし、もし本当だったらいたいけな少女を困らせてしまう」
 シャロンは、緊張して聞きつつも、「私だったら困らせていいの?」と内心突っ込みを入れた。
「まぁ仕方がないから外に出してやろう……、だが三日間だけだ」
「ええ、もちろん帰ってきますわ」
 シャロンは何度も頷いた。
 が、なぜか胡散臭そうに見られる。シャロンは憤慨してそっぽを向きたいのを必死にこらえた。
「……だが君がちゃんと帰ってくるという保障はあるまい?」
 と言って、伯爵はやおらシャロンに近づいてくると、トカゲをなんとシャロンの頭の上に掲げた。
 生理的な嫌悪感が、シャロンの体の芯をふるわせる。
 それに何とか耐えていると、伯爵が目をつぶって、何か低く――呪文のようなものをつぶやきだした。
 すると――、瞬く間にトカゲが金色のネックレスに変じ、涼やかな音をたてて彼女の首にかかった。
「えっ……」
 シャロンの頭が一瞬真っ白になる。
 これ、何……?
「それが私の言った、生きた至宝……『永久の宝』だ。隣の大陸から昔に父が購入したものでね」
「これが……?」
 シャロンの胸にようやく解放されるという歓喜がこみ上げ、思わず顔をほころばせる。
「そうだとも。よし、私は君に、外に出る許可を出そう。ただし!」
 伯爵は釘を刺すように一本指を立てて見せた。
「今、永久の宝に命令を加えておいた……、そのネックレスが三日以内にここに戻らなかったり、君がそれをここ以外の場所で外したりしたら、それはたちまち……恐ろしい呪いと化して君を襲うだろう」
「え――
 恐ろしい、呪い?
 シャロンの心臓が一気に跳ねた。思わず聞き返そうとすると、彼は意地悪そうに笑った。
「フム、何……、悪いが、私もそれを失う訳に行かなくてね。君が逃げるだけならまだしも、持ち逃げでもされたら目もあてられないだろう? だが幸いなことに、それには一人で帰ってくるための機能があるのだよ。
ただ、ちょっとそのためには燃料が足りなくてねぇ。一人で戻ってこなければならなくなった時、一番近くにいる誰かさんを燃料にするためには、動かなくなっていた方がやりやすいだろう?」
 シャロンはぐっと息を呑んだ。しかしすぐに表情を取り繕うと、感銘を受けたような顔を意識して作った。
「ああ、ありがとうございます。……なんてお優しい方なんでしょう。本当に、この依頼さえなければ喜んで伯爵さまのものになりますのに」


「とか何とか調子いいことは言ったものの……」
 外に出てみると、まだ昼だった。最初は分からなかったが、しばらく歩いてみるとどうやらテラネの裏にある山だ。シャロンはとぼとぼと山道を降りながら、自然と肩を落としてしまう。
 その場逃れで演技してはみたものの、かと言ってコレといった解決策があるわけでもなく。しかも返してって言ったのに、お気に入りのツイン・ソードと冒険を始めた頃から愛用しているブレストプレートは返してもらえないし。
 シャロンは盛大にため息を吐いた。
 ……どうしよう。本当にどうしよう。
 首にかかったネックレスを忌々しげに眺め、シャロンはいっそ外してしまおうかと手をかけた。だが、それをする勇気もなく――結局手を離す。
 ああ……あれが夢だったら良かったのに。……!
 シャロンは顔を上げた。
 いや、本当に夢だったかも知れない。何せ昨日は酔っていたし……、寝ぼけて切り株に迫られていると思い込んだのかも!
 シャロンは顔を明るくして、辺りを見渡した。すると、ちょうど手ごろな村人風の男が通りかかった。
「あの、すみません、ちょっといいですか?」
 さっそく駆け寄って、尋ねてみると、男は足を止める。訝しげに見られたので、シャロンは敵意のないことを示すために両手を上げて示した。
 男は、シャロンが女なのを見て取って少し安心したのか、気さくな調子で「おう、何だい?」と声を返してくれる。
 シャロンは自分が女であることを初めて神に感謝し、武器を取り上げてくれた切りか、もとい伯爵に感謝した。
「この先に、屋敷がないですか? 馬鹿みたいに大きな屋敷なんですけど」
 男は顎に手をやって、首をかしげた。
「は? 屋敷? ……いや、俺はこの界隈でずっと木こりをしてるが、見たことねぇなぁ。そんなのは村の連中にも聞いたことねぇし、山を間違えてるんじゃないかい?」
 それだけ言うと、男は「じゃ」と去って行った。
 シャロンはそれを愛想良く見送り、……男が完全に木の向こうに消えると、堪えきれずに笑みをもらした。
「もしかして、本当に夢だったんじゃ」
 シャロンは大急ぎで、さっきまで屋敷のあった場所へ引き返そうと走り出した。
 

 果たして向かってみると、確かに屋敷があったと思われる場所には、ただ何もない野原だけが広がっていた。
 シャロンは、とにかく安心して胸を押さえた。
「良かった……」
『何が良かったのかね?』
 シャロンは思わず飛び上がった。
「は、伯爵!?」
 きょろきょろと辺りを見渡してみるが、やはり野原が広がっているだけである。
『何をそんなに驚いているのかね? フム……大方、下の連中に、何か言われたのだろう。彼等が知らないのは当然だよ。私は、選んだ者にしかこの屋敷を見せたりはしないのでね』
 どこぞの賢者じゃあるまいし……、まさか、あの人も実はこんな性格だったりして。
『分かったら、さっさと少女の兄とやらを助けに行くのだね。……それとも弟だったか? まぁ、どちらでもいい。どうした? もう、いいのかね?』
「いえ……、ちょっと、忘れ物したかなと思っただけですから」
『なら行きたまえ』
 シャロンは、まだ何か言ってくるのではと、何度も胸を押さえながら待ったが、それっきり声はなかった。
 夢じゃなかった……
 シャロンは表面だけは取り繕って無表情のまま、静かにきびすを返した。





 シャロンは本当にどうしようもなくなって、頭をかきむしった。酒を飲んで倒れる前に取っておいた宿屋の一室である。
「うー……、あー……」
 意味もないことを半ば無意識につぶやきながら、それどころではないと自分の言葉を否定し、そしてまたブツブツとつぶやき始めてしまう。
 山道を降りている時から、シャロンの心臓はうるさく鳴りっぱなしだった。
 だって、本当にあの変な男に……、そんなの絶対に許せないし、我慢だってできないのに、だけど行かないと死ぬって言うし……
 シャロンは無意味に何度も忌々しいネックレスに手をかけ、こんなものくだらないから外してしまおうと試みるのだが、そのたびに意気がくじけてしまう。
「まだ、殺される訳には行かないのよ……」
 シャロンは大きく深呼吸をして、そろそろとネックレスから手を離した。短気を起こしてはいけない……、まだ、シャリとの約束も果たしていないのだから。それまでは、なんとしてでも根性で生き残ってやると決めた。
「でも……」
 シャロンはベッドに勢いよく倒れ込むと、シーツに顔を押し付けた。
「あの男の所に行くか、死ぬか……どちらも、嫌なのに」
 そこまで力なくつぶやいて、シャロンはハッと顔を上げた。
「誰かに相談すれば……」
 シャロンはまず、まだテラネに滞在しているはずのレムオンの顔を思い浮かべた。そしてすぐに却下した。
「レムオンは……、いつか、友達として気軽に話せる時がくるかも知れないけど。それは多分、今じゃない」
 次いで思い浮かべたのはエステルの顔だった。ずっとパーティーを組んでいた少女だが、今ごろは多分、ラドラスに戻って、巫女としての務めを果たしているだろう。
 レルラ=ロントン。リルビーの詩人で、シャロンの大好きな友達だ。でも、テラネに来る前に、エンシャントで別れてしまった。もとより最後の依頼になるはずだったし……、悲しい神を倒した後すぐに、パーティーの解散式は終えていたのだ。
 ……そう言えば、レムオンは解散式の時もどこか憂鬱そうだった。もしかしたら、シャロンに断られるのを予想していたのかも知れない。
 シャロンはふっとため息をついた。
 結局、この辺りで頼れる人物はレムオンしかおらず、そして彼に助力を求めることは、絶対にできない。
「どうしろって言うのよ……」
 最後に頭に浮かんだのは、虚無の子の顔だった。こういう訳の分からない事件にはひたすら強そうだが……
 本当に呼び出そうとしてもいいものだろうか。というか、シャリに頼ろうとする私はどうなの? シャリを……、私は一度殺しているのに。
 シャロンは眉根を寄せたが、かと言って他に案もない。
 仕方なくシャロンは起き上がった。 
 シャロンは、口を開こうとし――、だが複雑な顔であの因縁の虚無の子を思い浮かべ、力なく首を振った。
「やっぱりだめ。自分の力でどうにかしないと……」
 シャロンはしばらく別な案を考えようと努力したが、一瞬シャリのことを思い出してしまうと、どうしてもそちらの方に意識が行ってしまってまともな思考にならない。
「シャリ……」
 ひどく心細かった。
 今隣の部屋に眠っている誰かさんの三日後と、自分の三日後の運命には大きな違いがあるだろう。どうにかしたらシャロンは……あの変態に……
 本当にどうなってしまうのだろうか。
 シャロンは眉をしかめ、そしてベッドに座ると、ぼんやりと虚空を見つめた。
 あの伯爵に変なことされるくらいなら……、このネックレスにかかった呪いが偽者だっていう方に賭けてみた方がいいかも知れない。よしんば死んだとしても……、死体をトカゲに食われることになったとしても、それでシャロンの尊厳は守られる。
 シャロンの鼓動がドクンと鳴った。そして、シャロンは噴出す汗をぬぐう気にもなれずに、そっとネックレスに手をかけた。

←前へ目次へ次へ→