トカゲと伯爵と虚無の子と  トライ・ふぉーす。


 シャリは二つ返事で承諾した。余りにも軽すぎるノリに大丈夫かなとシャロンは思ったが、次の日の朝、もうここまで――、屋敷があった野原まで来てしまったら後戻りはできない。
「ホントに何もないね」
 なぜか隣でうきうきしているシャリは、きょろきょろと大げさな仕草で辺りを見回した後、肩をすくめて言った。
 シャロンも辺りを見回してみるものの、見事に何もない。
「……なんで? 昨日は、ここに来たらすぐに声が聞こえて――」
『フム、どうやら無事に戻って来たようだね。おや? その少年は――』
 突然、静かな草原に伯爵の声が響き渡った。
「あ、しゃ、シャーリちゃんって言って、例の依頼をしてきた女の子なんです。いや、どうしても伯爵さまに会いたいと言って聞かなくて……迷惑でしたか?」
 シャロンはとっさにそう言い繕った。
 シャリは隣で無表情に沈黙を守っている。
『いや、フム……"女の子"ねぇ。私には、その者は人間にすら見えないのだが、……まぁいいだろう。戻って来たのだ、多少のことには目をつぶるとするか』
 やがて、その辺り一体に紫色の細かい粒子が集まった。それらはまるで生き物のように次第に結びつき、離れ、結合を繰り返し――そしていつの間にか、目の前にもとの巨大な屋敷が現れていた。
「あっ!?」
 シャロンが少し圧倒されてその様を見ていると、不意に首の辺りが少しうずいた。目をやってみると、既にそれは首飾りの形を成しておらず、――
 シャロンは慌てて、トカゲに戻ったそれを振り払った。巨大なトカゲは、地面に落とされると恨みがましい目でシャロンを見て、意外に素早い動きで屋敷の中へ消えて行く。
 シャロンはふと思いついてシャリの服を引っ張った。
「あれを今、どうにかしちゃえば……」
 彼は小さく横に首を振って、微笑んだ。
「無理だよ。もう君は取り込まれてる」
 そう言うなり、シャロンが止める間もなくシャリは中に入って行った。シャロンもそれを追い、中に入る――と、背後で幽霊屋敷よろしくバタンと扉が閉まった。
「……」
「わー。いい趣味してるね。ここの主は」
 シャリは茶化すようにそう言って、さっさと奥へ進む。なんでこんなに恐怖心とかないんだろうといぶかしみつつ、シャロンもそれに続いた。広い玄関ホールを抜けると、食堂と書かれた大きな扉がある。その前に、例の伯爵がふんぞり返っていた。既にトカゲは彼の腕の中に戻っており、ゆったりとくつろいでいる。人の気も知らないで。
 シャロンは、シャリの耳に口を近づけた。
「ねぇ、あの生意気なトカゲ、今殺したらいいんじゃないの?」
「うーん……、見た感じ、あれは本体の全てじゃないみたいだからね。何か、半分ずつに魂を分けてる。今あのトカゲに入っているのは片方だけみたい」
「……じゃあ、あの伯爵にもう半分があるんじゃない?」
「そんな単純だったら誰も苦労しないよ。あの伯爵は……、ああ、魂が入ってないね。誰かが遠くから操ってるだけの人形さ」
「……え? トカゲに操られてるんじゃなくて」
「違うよ。伯爵を操っているのは、たぶん人間だね。誰が操ってるのかは知らないけど『永久の宝』の、今の持ち主じゃない? 
……思うに、あのトカゲのもう半分の魂は、持ち主を側で守ってるんじゃないかな」
「持ち主を? その持ち主はどこにいるの?」
「ここは夢でできた世界だって分かってる? もちろん一番安全な場所にいるに決まってるよ。でもおかしいな。近くに気配がするんだけど」
 シャロンが聞き返そうとすると、イライラしたように伯爵の声が割り込んだ。
「君たちは、何を二人でブツブツ話しているんだね。実に不愉快だよ」
「す、すいません」
 そうこうしているうちに、しびれを切らしたのか、伯爵はつかつかとこちらに近づいてきた。
「さぁ、君。……ああ、名前を聞いていなかったね。何と言うんだね」
 シャロンは、名前を言わないことが最後の防波堤のような気がして、困ってシャリに視線を投げた。シャリは小さく笑みを含めた視線を寄越して頷いた。
「……シャロンです」
「シャロン……アグレッシブですてきな名前だと私は思うよ。フム、それではめくるめく夢の世界に、二人で!」
 伯爵は、シャリのことなどお構いなしの様子でシャロンの手を握る。そして終いにシャロンは、二階の方に引っ張られた。思わず腰を落として、引きずられまいとする。
「いや、あの――! 私、そういう趣味はちょっとないのでっ……!」
「何を言っているのだね! 帰ってきたということは、私の求愛を受けたも同然――」
「――になる訳ないでしょう! 離してくださいっ……、私断りに来たんです! あなたの物にはなれません!」
 シャロンがきっぱりと言うと、伯爵は引っ張ろうとするのをやめて、じろじろとシャロンを眺めた。
「……何だって? フム。……何だか勘違いしているようだがね、シャロン君。君に拒否権なんてないのだよ」
「何を勝手な……!」
 シャロンが目を細めてうめくと、彼はフン、と鼻息を荒くした。
「さぁ、ここまでお遊びに付き合ってあげたのだから、これからは私の言う通りにしてもらうよ」
「嫌ですってば……」
 シャロンは本気で手を振り払おうと力を入れた。……が、なぜか前のようにうまく行かない。
「だから、言ったでしょ? 君はもう取り込まれてるって」
 今まで黙って見ていたシャリがぽつりと言うのを耳にして、シャロンはそっちを振り向いた。
「どうにかならないの……?」
「こればっかりはね。どうしようもないよ。遠慮してないで、二人で楽しんできたら?」
「……何、それ」
 シャロンがむっとして突っかかろうとすると、伯爵が唐突にシャロンの腕を離した。
「レディ! いいかね、この屋敷は私の世界そのものなのだよ。すなわち、そこの少年を除けば、私に自由にできぬものなどない! それは、君とて同じことだよシャロン君!」
 シャロンは余りの豹変ぶりに目を丸くした。
 伯爵がパンと手を叩く。
 すると、どこからかロープが見る見る飛んできて、――それはシャロンの腕にグルグルと巻きついた。
「な、何よこれ……?」
 シャロンが解こうとしても、びくともしない。まごついている間に、シャロンはすっかりぐるぐる巻きにされていた。
 これって、最悪のパターン……
 シャロンはうなだれた。
「そう、その格好でしばらく頭を冷やすといい! ……そこな少年よ、邪魔立てはしないであろうな?」
 確認するというよりは、断定するように伯爵がシャリを睨んだ。シャロンは最後の希望に顔を上げてシャリを見るが、彼は薄く笑みを貼り付けて伯爵を見ている。
「もちろん。お好きなように? でも、シャロンがどうなるのか気になるから、しばらくここにいさせてよ。構わないよね。伯爵様」
 伯爵はなぜかまごついたように「う、ウム」と頷き、シャロンの頭上に手をのばした。髪を掴まれ、無理やり目線の高さが同じになるまで引っ張られる。シャロンは頭皮がもがれるような痛みに唇を噛んだが、声はもらさなかった。
「さて、君にはどこで反省していてもらおうかね。……そうだ、フム! 調理室にしよう! 君は料理されるのを待つだけの子兎という訳だ……フム、最高ではないか!」
 シャロンは色々な意味で、体の芯から力が抜け出て行くのを感じた。
 まぁ、シャリにはあんまり期待してなかったけど。でももうちょっとあるんじゃない……? 何、この氷のように冷たい対応。
 連れられて行く途中、シャリがほんのわずかだけシャロンと目を合わせて、小さく手を振った。



 窓の外から月明かりが差し込んでいる。後はランプが一つ置いてあるだけで、厨房はとても暗かった。
 というか、……先ほどからそこら中でカサカサと音がするのはなぜだろう。
 シャロンは考えたくなかったので、自分の腕に食い込む荒縄の痛みに神経を集中した。
「……お母さん、お父さん、シャロンは明日か明後日手篭めにされます……それもあんな親父に。どうせなら相手はレムオンが良かった……って何言ってるんだろう私」
 シャロンはこんな状況なのに、自分で言っていて顔が熱くなるのを感じた。
 ……、そう言えば、レムオンどうしているだろう。今頃シャロンが消えたのを知って探してくれているだろうか……
 シャロンはそうしているうちに、だんだんとウトウトしてきた。意識が、たもてな、く……


 ふわりと空中に漂う感触。ああ、また夢なんだ……そう言えば昨日からあんまり寝てないな。こういう時は、あんまり夢も見ないんだけど。
 取りとめもなく考えていると、目の前がポウっと光った。
「え……?」
「あ、あの……」
 シャロンが戸惑っていると、幼い声がした。
 ……以前見た夢にも出てきた少年の声だ。夢の続きを見るなんて珍しいなぁ、と思いつつ、シャロンは「また、あなた?」と返事を返す。
「はい……、あの、この間、助けてって僕言ったんですけど、あなたが起きてしまったから最後まで言えなくて……、それで、僕……、あの迷惑かなって、思ったんですけど、どうしても助けて欲しくて」
 実際、助けて欲しいのはシャロンの方だったが、無理やり笑顔を浮かべて、シャロンは頷いた。
「あ、ありがとうございます。僕……、僕、今囚われの身なんです」
 あ、同じだとシャロンは思ったが、声には出さずにただ「そうだったの」と相槌を打った。
「ここは暗くて……安全だけど、希望がないんです。僕はあなたを見て、久しぶりに希望を思い出した気がするんです。それくらい、ここは真っ暗で……何も見えない」
「どういうこと? どうしてそんな風になってしまったの?」
「僕、誕生日プレゼントをもらって、それを開けたんです。そうしたら、大きなトカゲが……」
 ……トカゲ?
 シャロンはハッとなった。夢だとばかり思っていたが、少年が語ろうとしているのは、シャロンにも関係があることらしい。
「それって、赤ちゃんくらいのサイズの?」
「はい……」
 答えと共に、目の前に灯った光が人の形を成し、そして――、十歳前後の少年の姿になった。彼はゆったりしたローブのようなものを着ていて、浅黄色のきれいな髪をしている。
「僕、ダンって言います。僕はトカゲとか蛇とかが好きなので、二年前の誕生日に父が買ってきてくれたんです。箱を開けたらあのトカゲと目が合って、……気がついたら夢のような屋敷にいました」
 ダン? あの伯爵も確かダンとか何とか……
「……つまり、あなたが、『永久の宝』の持ち主なのね」
 シャロンが言うと、少年はわずかに戸惑ったような表情をした。
 ……というか、この少年が伯爵を操っていたのだろうか?
「はい、永久の宝……、それがあのトカゲの名前なんですね」
 シャロンは、初めて聞いたかのような少年の口ぶりに少し眉をひそめた。
「あなたが、伯爵を操っているんじゃないの?」
「違います!」
 少年は即座に否定して顔を真っ赤にした。
「あの、最初の頃はそうだったんですけど……最近では、僕も伯爵に興味がなくなちゃって、そうしたら次第に、うまく操れなくなってきて」
 シャロンは顎に手をあてた。
「でも、だったら……、あなたはどこにいるの? あなたを助け出せば全てが解決する」
「分からないんです……、夢の世界に興味がなくなった後は、ずっとこのよく分からない場所で、動けなくなってしまったんです」
「じゃあ、どうして今私と話せているの?」
 ダンは少し赤くなった。
「それは……多分、伯爵があなたを気に入って……あなたの意識と波長があったんだと」
 それはどういうこと? ……
 シャロンは、思考を一度止めて、少しかがんで、少年――ダンと目を会わせると、微笑んだ。
「でも……、気づけてよかったわ。大丈夫、ちゃんと助けてあげる」
 ダンは顔を林檎のように赤くして頷いた。
「それで……、聞きたいんだけど、何か永久の宝について、知っていることはない?」
 シャロンが声を意識的に明るくして問い掛けると、少年は考えるように視線をさ迷わせ、やがて口を開いた。
「……気をつけてください。夜になると、伯爵は消えてしまうんです。代わりに伯爵とトカゲの姿は別の、――」


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