黄泉の乙女とピンクのリボン テン。ああ、まっ逆さまに落ちていく!

 仏頂面でシャリを睨み付けるラシェル。無視されてもめげずに話しかけるシャリ――
 異様な空気が蔓延していた。

 オイフェとの決闘事件から早二日が経とうとしている。
 いつもの稽古場の一角。他の面々が稽古に励む中、そこだけが異様な空気をかもし出していた。……そう、シャリとラシェルの二人だけが。
 まさしく苦虫を百匹ぐらい噛み潰したような顔のラシェルは、延々と話すシャリを遮った。
「いいわよ別に。欲しい物なんてないし。シャリと出かけたりしたくないもん」
 シャリは傷ついたように胸に手をあてた。それを見たラシェルの機嫌がますます悪くなるのだが、気づいているのかいないのか。
「ひどいなぁ、この間のことまだ怒ってるの?」
「別に。あなたのせいで、危うく死にかけた事なんて、ぜーんぜん気にしてないわよ」
 ラシェルは言い捨てるや否や、踵を返して稽古に戻ろうとした。
 しかしシャリは、その背を油断なく見つめて声をかける。決定的な一言を。
「……、僕、いいぬいぐるみ職人を知ってるんだけどな」
「!」
 ラシェルの肩がビクッと震える。立ち止まった彼女はギギギ、と機械仕掛けの人形めいたぎこちない動きで振り向いた。目が隠しようもない興奮に輝いている。
 彼女は戸惑うように何度も瞬きした。
「にゃ、にゃんですって、じゃない、なんですって……?」
 ラシェルがはらはらと聞き返す。
 シャリはいかにもからかうような笑みで、それに答えた。
「ぬ・い・ぐ・る・み。あー、いいよね。栗色の、ふさふさした毛並みのグリズリーとか、手のひらサイズのピクシーとか」
「ぐぐぐ、ぐりずりー……? 手のひら……?」
 ますますどぎまぎし始めたラシェルは、珍妙極まるコレクションの列挙名を聞いて、ものほしそうに唾を飲んだ。
 シャリは妖しく目を細め、誘惑するように手を差し出した。
「そう。この間のお詫びに、買ってあげるよ?」
 隠れぬいぐるみフェチのラシェルが陥落するのに三秒とかからなかった。





 ラシェルは小さくほぞを噛んだ。
 まさか、こんな見え透いた誘いに乗ってしまうなんて、と彼女は思っていたのだった。
 ……もっともしっかりと大きなグリズリー(のぬいぐるみ)を抱きしめているのだが。
 活気に溢れるロセンの町並みを、ラシェルとシャリは歩いていた。ラシェルは顰め面で、しかし頬を赤く染めて。シャリは飄々として、いつもと変わらないように傍からは見えた。しかし彼はラシェルに一つ貸しができたので、それをどう利用しようかと考えている真っ最中だった。
「嘘よ。嘘だわ。こんなの」
「嘘にしてあげてもいいよ。だけど、そのぬいぐるみは返してね」
 涼しげな顔でそう言い放たれたラシェルは、思わずぬいぐるみをぎゅっと抱きしめてしまってから、我に返って赤面した。
 今やすっかりシャリに主導権を握られてしまっている。ラシェルは必死は焦って言葉を探した。
「……許さないからね、こんなことで」
 ぶっきらぼうに言った台詞。シャリはわざとらしく、不思議そうな顔を作った。
「え? 何の話?」
「……なんでもないわよ! バカ!」
 失言だったとラシェルは思った。目の端に涙まで浮かべて、あらぬ方向を見る。
 シャリが微笑んだ。
 そうこうしているうちに、人気のない道に出る。
 ラシェルが色々な意味でため息をつこうとしたその瞬間、隣を歩いていたシャリが突然立ち止まった。ラシェルもつられて立ち止まりながら、何事かと首を傾げる。
「……来るよ。誰か」
 ラシェルは妙な顔をした。誰かと言ったって、誰なのか。
 妙な顔のまま、ラシェルは腕を引っ張られて、道の脇にある茂みに隠れた。 
 すると薄汚れた石畳の上を、誰かが歩いてくる。一定の歩調は落ち着いていて乱れがなく、ほとんど足音も聞こえないほどひそやかだった。
 ……黒いローブ姿。ヴィアリアリだ。
 彼女は道の真ん中で突然止まると、辺りをきょろきょろと見回した。 
 ラシェルは驚きと共にそれを見ながら、不審そうにその動向を見守った。
 不意に、もう一つの足音が響く。今度のそれは、軽くて快活な調子だった。やがて道の向こう、黒いローブが歩いてきた真向かいからやって来るのは、露出度の高い、青い鎧の――カルラだった。
 ラシェルは息を呑んだ。まさか、こんな現場に居合わせるなんて。
 カルラとヴィアリアリはお互いを見ないまま、すれ違うような格好で立ち止まると、何か低い声で話し始めた。 
 ラシェルはシャリを促して、ドキドキしながら距離を詰める。気づかれやしないかと冷や冷やしたが、幸いな事に二人共話に夢中だった。
「じゃあ、ネメアの首に――いいんですね?」
 慎重そうな面持ちで、ヴィアリアリが言う。
「そうよ。きつく――
 カルラはゆっくりとそれに答えた。
「それも、劇に夢中に――ネメアの隙をついて――
「そのために劇なんて――なモンを思いついた――ら、遠慮――いらないわ」
 何という会話だろうか。ラシェルはいよいよ、暗殺疑惑確定かと青くなった。
 潮時――
 シャリはラシェルを小突いて、静かにその場を離れた。





「証拠が必要なんじゃないかなぁ。いずれにしても」
 シャリは稽古場中をグルグルと歩きまわりながら、妙にふざけた真剣な顔で(シャリが真剣な顔をしてもふざけているようにしか見えないのだった)、自説を披露し始めた。
「多分、二人がやり取りしたって言う証拠があるはずだよ。そしたら、ネメアの依頼も完了だよ」
「それはいいけど、」
 ラシェルは言葉の内容と裏腹な、全くもって嫌そうな声で言った。
「どうやって探すの? どこにあるかも分からないのに?」
「カルラの部屋だよ」
 シャリは当然のことを口にするような口調で、続けた。
「あそこになら、絶対証拠があるんじゃないかな?」
 ラシェルは馬鹿にするように鼻を鳴らした。
「だから、どうやって。警戒は厳しいし、稽古中にいなくなったらカルラが怪しむわ。稽古が終わった後だと、カルラがいつ戻ってくるか分からないし……、危険すぎる」
「インビジブル、かければいいじゃん。誰にも気づかれずに入れるよ」
 当たり前のような口調に、ラシェルはちょっとたじろぐ。
「そりゃ、そうかも知れないけど……」
 インビジブルは、かなり難しい魔法である。ラシェルは一応使えたが、効果時間が短い上、あまり何回も使うことはできなかった。
 第一、とラシェルは顔を顰める。
「カルラはどうするのよ」
「じゃあ、こうしない? 二人で、示し合わせてさ――
 ラシェルはその計画を耳打ちされたとたん、この世の終わりのような顔をした。





 青い空が広がっていた。その日は少し汗ばむほど暑かった。
 この日はいよいよ、リハーサルだった。全員の演技の完成度も高まり、大道具も完成している。衣装こそまだそろっていなかったが、ともかくもリハーサルにこぎつけたのは進歩だった。
 というわけで、本番の舞台――公園のステージに集まった面々は、人払いをした後にセットを組んで、さっそく演技に取りかかった。
 演技が順調に進んだ後、カルラ扮するティラと、システィーナ――つまりシャリの絡みのシーンがやってくる。
 シャリは一歩前に進み出ながら、ラシェルに目配せした。
 ラシェルはそれを受けて、少しずつ後退し始める。
 レルラが竪琴で、悲壮感に溢れる曲を奏でた。
 いよいよ、始まりである。
 髪をほどいたカルラが大きく息を吸い込んで、震えるような、深い響きの声を出した。
「あなたに永遠の命を与えましょう。我が弟の魂と引き換えに、あなたは永遠の命を得るのです」
 シャリは手を組み合わせた。
「それがあなたの願いなっ、あ、ゴメン間違えた」
 のん気に笑い声を上げるシャリ。その場に張り詰めていた緊張が、一気に霧散した。
「もー、しっかりしてください」
「ゴメンゴメン」
「じゃ、今のシーンからもう一度ね」
 レルラが明るく言って、カルラが再び口を開いた。
「あなたに永遠の命を――
「へっくしゅんっ!」
 シャリが妙にわざとらしいくしゃみをした。
「あ、ゴッメーン。もう一回いい?」
「もー……」
 ラシェルは早くしろと言わんばかりの視線がシャリから飛んだのを受けて、さっとその場を抜け出した。




 インビジブルを自分にかけたラシェルは、きょろきょろしながら城内を歩き回ると、カルラの部屋までやって来た。やはり以前のように、なぜか『カルラの部屋』と書かれている。いったいどう言うつもりなのだろうか。
 ラシェルは不意に沸きあがった疑問を振り払うと、誰も見ていないのを確認した。
 中に入る。
 後ろ手に扉を閉めたラシェルは、少し息を呑んだ。
 カルラ……青竜将軍の部屋とは思えないほど、質素で物もほとんどなかったのである。
 せいぜいある物と言えば、古びたクロゼット、文机、ベッド程度。どことなく薄汚れて、うちすてられた感じがあった。
「カルラ……」
 とつぶやいて、ようやくラシェルは我に返った。
「いけない、こんなことしてる場合じゃなかったんだっけ」
 首を振って、自分の頬をパンと叩いた後、ラシェルはまず、文机に向かった。
 古びた引き出しを開ける。
 ラシェルは書類らしきものがたくさん重なっている中を、引っ掻き回した。何か、何かないか。
 シャリの時間稼ぎだって、そう長く続くとは思えない。なるべく急がなければならなかった。
「……? これは……」
 何となく、一通だけ目を引かれる手紙があった。ある確信を持って、中を見る。
『カルラ様へ 礼の件、承諾いたします。劇の際は、なるべく手短に頼まれた仕事をしたいと思います。楽しみにしていますね。それにしても、カルラ様のお知恵には感服するばかりです。まさかあんな計画を思いつかれるなんて。ネメアの首に、――
 食い入るように手紙を見ていたラシェルは、顔を上げた。足音が迫ってくるのである。
 コツ、コツ、コツ……
 ラシェルは手紙を慌てて机の中に戻すと、逃げ場を探して視線を四方八方に飛ばした。
 足音が迫る。ラシェルは、唇を噛んだ。ここまでか――

PREV /  INDEX /  NEXT


 短い……(吐血)