黄泉の乙女とピンクのリボン トゥエルブ。ずだーん

 空に散らばった星たちが、明るい光を投げていた。月がそれを見守るように、優しく輝く。
 ラシェルはそんな夜空に見下ろされて、公園の一段高くなったステージに立っていた。眠そうに目をこすりながら、左右に目をやっている。
 彼女は人を待ちながら、一日後に迫った本番の舞台――『黄泉の乙女』について考えた。きたる明日、ネメアがこのロセンまで視察に来る。
 ラシェルはいよいよ本番が近づくにつれて、自分がそんな舞台に立つということが信じられなくなってきていた。何と言うか、つまり、怖気づいてきたのだった。
 とはいえ、やらない訳にも行かない。冒険するのとはまた別の緊張だが、放り出したり、失敗することはなるべく避けたい。
 そんな風に考えていると、背後から声が掛かった。
「やぁ」
 手短な挨拶と共に、シャリがラシェルの横まで来る。
「待った?」
「別にいいわよ。今、八月よ? 冬でもあるまいし」
 ラシェルは首を傾げて、尋ねた。
「今日は何の用? わざわざ、呼び出したりして」
「……例の計画、覚えてるよね?」
 シャリが秘め事めいて言うと、ラシェルはあからさまにビクついて辺りを見回した。深夜の公園には人気がない。
「誰が聞いてるか分からないわよ」
 それでも彼女は、怒ったように忠告する。
 するとシャリが笑い声を上げた。まさしく悪役の笑いである。
「ま、人払いくらいはしてあるよ」
「用意がいいわね」
 シャリはフフフ、と含み笑いをした後、突然真顔になった。
「今日は、明日のことを話そうと思って」
「……アドリブでネメアを助けるって奴ね……本気だったの」
 ラシェルは眉をしかめた。
「だって、しょうがないじゃないか。証拠がないんじゃ、カルラを摘発できない」
 そう言って、シャリはしゃがむと、落ちている石を拾った。
「まず、襲撃が行われるのは劇の後半部だと思う。ネメアは、ここの」
 シャリは地面を石で引っかいて、どうやらステージらしきものを書いた。ラシェルもその横にしゃがんで、様子を見る。
「最前列の席に座る」
 石で地面を引っかく音が響く。
 ラシェルはとりあえず、頷いた。
「前半部は昼間にやるから、暗殺はしにくい。顔もバレるし、屈強な冒険者が何人もいる――いや、ラシェルはか弱い女の子だけどねアハハ……ここまでは、いい?」
「……えー、いいですとも」
「反対に後半部なら、夜間で目につきにくいし、忍び寄るのも比較的簡単だからね。狙うなら夜」
「そう、かもね」
「ま、よしんばそうでなかったとしても、昼間なら気をつけてれば暗殺を防ぐのは簡単」
 同意しながら、ラシェルは先をうながした。
「それで?」
「だから、夜間部の時にはわざと前に出る。ネメアの側に張り付く」
「え、……でも、演技は?」
「演技もするよ。演技しながら、目を光らせる。そしたらそのうち、ネメアも狙われてることに気づく。ラシェルなら簡単でしょ?」
 ラシェルは顔を引きつらせた。
「……シャリ、他人事ね」
 それにしても、シャリは演技にこだわるな……とラシェルは思った。最初はそうでもなかったのに。
「だって後半部は、僕の出番あんまりないもん」
「そりゃ、そーだけど……だったら後半部は、シャリがずっと警護してればいいじゃない」
「あの衣装のまま? 僕が暗殺者に間違われるよ」
 ラシェルはその言葉を聞いて、ちょっと疑うような顔をした。なんだか、うまくごまかされてるような気がひしひしと。
「……まさか、実はシャリが暗殺者なんてことは」
「ひっどいなぁ。いくら何でも、せっかくの劇をぶち壊すようなことしないよ、僕だって」
「……信じてるわ」
 ラシェルは半ば本気でそう口にした。
 シャリもまた、笑みを引っ込めて真顔になる。
「……いいよ。今だけは、信じてくれてもね。で、続きだけどいい?」
 ラシェルが頷くと、シャリはまた微笑んだ。
「最前列の席に座ってるんだから、側に張り付くのは簡単だよ。そこで。いい? ラシェル、よく考えてね」
「分かった」
「暗殺者を阻止するには、どうしたらいい?」
「どうしたらいい、って、……近寄らせないようにするんでしょ?」
「どうやって。相手は、武器持ってるんだよ? 丸腰でかなう?」
「……ええっと、魔法とかで攻撃すれば」
「セリフの中に組み込めば盛り上がるかもね。でも、相手は百戦錬磨の暗殺者。魔法の詠唱してる間に、グサッ……じゃないかな」
「……ウルグは、剣を持ってるわ」
「飾り剣だね。本物の剣を使わせてくれって言って、理由もなくカルラが了承するかな」
 ラシェルはお手上げ、とでも言うように肩をすくめた。
「……どうしろっての。仕込み杖でも用意しろって?」
「近いね」
 シャリはゆっくり言って、自慢げに指を一本立てた。きらりと目が光る。
「剣舞って、よくない?」
「……け、ん、ぶ?」
 ラシェルは信じられない、と言いたげに目を見開き、二、三歩よろめいた。
「そ、剣舞。それなら、別に剣を持っていても不自然じゃない。本物でもね。なおかつ、劇がメチャクチャにならない」
 反対にシャリは、そんなラシェルを見ながらわくわくと身を乗り出した。
「まさか、……私と、シャリで?」
「そうだね。最後は、僕とラシェルで」
「剣舞って、すっごい呼吸が合ってないと無理なんだよ?」
「そうだねぇ。呼吸が合ってないとねぇ」
 言いながら、シャリは口元に手をあてた。フフフと笑う。
 ラシェルは拒絶するように顔を背けた。
「無理よ! そもそも、一ヶ月でセリフ覚えたからうろ覚えな所もあるのに――
「セリフなんて覚える必要ないよ」
「は?」
「剣舞の所は、アドリブ」
「ますます、無理よ!」
 ラシェルは喚いた。涙が目に光っている。
「あのね!」
 ラシェルはさっと腕を広げた。
「本番は、明日よ? 無理でしょう。ぶっつけ本番でやれっての?」
 シャリは、何を訳の分からないことを言い出すのか、としかめ面をした。
「あのねー、今から徹夜で特訓に決まってるでしょ?」
「は、ハァ? わ、私一人のシーンはどうするのよ」
「一人で踊りなよ。別に無理じゃないでしょ?」
「そ、れ……は、そうだけど」
「じゃ、文句ないね? 練習開始!」
 ……ラシェルが目の幅の涙を流したことは、言うまでもない。





 黄色い光がのぼる。鳥達がさえずり始め、散歩に来る人々の姿がちらほらする。
 ラシェルは四つんばいになって、ぜーぜーと息を切らしていた。
「こ、こんな、こんなことまで、させておいて……」
 手には剣が握られている。
 その前に立つシャリは、飄々とした顔で、少しも疲れを見せずにラシェルを見下ろしている。
「もしっ、本番……シャリのせいでトチったら……」
「とちったら?」
「怒るからね……」
「いいよん。なんだったら、君の言うこと何でも聞いてあげる」
 ラシェルは疑わしそうな眼差しのまま、むしろよれよれと立ち上がった。
「……ホントでしょうね」
 シャリはクスリと笑って、
「言ったでしょ? 信じていいよ。今だけはね、僕は君の敵じゃない。君も僕の敵じゃない。僕達は仲間だ、敵同士じゃない」
 うっとりと言った。
 彼のそんな顔は珍しいので、ラシェルはちょっと警戒しつつ腰を引く。
「……それって、どういう意味よ」
 シャリはふっと冷めた目に戻ると、ラシェルを見据えた。
 最高の彫刻家が彫った、まさしく最高傑作のような顔。見つめられたラシェルは、はっとなる。
「ねぇ、知ってた? ラシェル。僕がいつもどんなこと考えてるか?」
 ラシェルはそのとたん、目を逸らした。悲嘆が棘のようにラシェルをさいなんだ。
「……分からないわよ。知りたいけど、私には分からない。あなたの考えてることが、分からない」
「僕はね、ラシェル」
 シャリはひっそりと囁くように言って、自分の胸に手をあてた。一体そこに何があるというのか。彼のそこに。
「君の味方だったら良かったのにと思っていたんだ。一度だけじゃない」
 シャリは首を振った。いつものからかうような、それでいて虚ろな笑みを唇に乗せる。
「大好きだよラシェル。明日はがんばろう。僕達で作り上げた劇だから。でも忘れないでね、」
 ラシェルはこの時、悟った。あれほどシャリが劇にこだわっていた訳を。
 彼は身を翻した。黒髪が闇に広がり、溶けるように闇夜へと混じる。
「明日が終われば、僕達は敵に戻る」
 ラシェルが引きとめようとしたその時には、すでに彼の姿など消えていた。
 彼女には、それが不吉な暗示のように思えた。
 成功させなければならない。あの劇を。彼女と彼の劇を。
 ラシェルは強く、そう思った。

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 〜まさしく悪役の笑いである〜はT子様の素敵な日記に影響されて書いてみました。
ありがとう……! そして無断で便乗ごめんなさい……(しゅん

しかしこんな分かり易い伏線はない。伏線張るの好きなのに、張り忘れてしまった……