「もう、何の真似よ!」
ラシェルは控え室で地団太を踏んだ。
「シャリ、あんたよアンタ! 心臓、止まるかと思ったわよ!」
ラシェルはシャリと共に退場するや否や手を振り払って、鎧をガチャつかせる。
「いやー、良かったんじゃない? インパクトあったわよ」
しかしカルラが口を挟んだ。
シャリも、先ほどまでつけていた、完璧過ぎるほど清純な乙女の仮面を盛大にぶっ壊して、ない胸を張る。
「ほら、良かったって」
「……次、ああ言うことしたら……」
ラシェルは今にも爆発しそうな視線でシャリを睨んだ。
「斬るわ」
「おー、こわ」
シャリはおどけたように肩をすくめた。せっかくの素敵なドレスが台無しで、もはやどこからどう見ても、生意気なガキ以外の何者でもない。
「それより、いいんですか?」
脇役――大臣アルハザードの役で出ていたユーリスが、暑いと言って上着を脱ぎながら言った。
「何が」
「この後、キスシーンですよ」
「そう! 前半部の山場よね」
カルラがわくわくと言った。
ラシェルはとたんに、怖気づいたように後ずさりした。
「えぇえ。ねぇ、ホントにやんなきゃだめ? ほっぺとかじゃだめ?」
『だーめ』
ユーリスとカルラが同時に言った。
何でこんなに仲がいいのだろう。二人は。
ラシェルはちょっとずり落ちた鎧を脱ぎながら、妙な顔をした。
「……本番になったら……できないかも……とゆーかそもそも、私、シャリとキスしたことバラされたくないから依頼引き受けたんじゃなかったっけ……」
「何言ってんの?」
シャリが同じくドレスを脱ぎながら(その下は、当然いつもの黒い服)、笑った。
「そんなこと、どうでもいいじゃん。せっかくなんだから、熱烈なのしようよ」
「はい? ナニイッテルンデスカアナタハ」
「三分くらい」
「……普通、ああいうシーンでは、そんなに長くキスしないんじゃない?」
レルラがバイオリンを肩にかついで入ってきた。
ラシェルとシャリは手伝ってもらいながら次の衣装を着る。
「いいえ!」
カルラの目がキラリと光った。
「観客は、常に恋を求めているもの! さぁ! 二人の! 熱烈っぷりを! アピールなさい!」
「人違う人格違う」
ラシェルは青い顔で手をパタパタと振った。
彼女の頭の中では、熱烈だのなんだのといった単語がぐるぐる渦巻いている。次第に頭の中が真っ白になりつつあった。
「……でも、……行くしか、ないよねぇ」
自信なさそうに聞くラシェル。
その場にいる全員が一斉に頷いた。
時間は、夕暮れ。
「あれが……人の身でありながら、神に嫁ぐ女の顔よ」
「まぁ……素敵」
「はしたないわ! おこがましいわよ。ウルグ様は、皆のものだったのに……」
祝福と同じくらい、無意味なざわめきが溢れている。
神殿の中にある教会で、二人は結婚式を挙げるのだった。
重臣たちが椅子に座って、興味津々と言った風にバージンロードを眺めている。
そんな時、二人がゆっくりと、現れた。
バージンロードを歩くのは、これから夫婦になる二人だ。
新郎は、王冠と真っ黒いマントとを身にまとっていた。表情は飽くまで真摯なもの。
一方新婦はと言えば、ほとんど別人かと思われるほどに変貌していた。
黒く艶やかな髪はそのままに、純白のドレス。ヴェールの下から、熟れたような赤い唇が透けて見えた。細い背中、手に持った小さなブーケ、これほどに人を魅了する人物は、他にいないのではと思われた。
周囲の視線が、彼女に釘付けになっている。それほどまでに、すさまじい容姿だった。
と、音楽が止まる。同時に二人も動きを止める。代わりに席から立ち上がったのは、あの大臣、アルハザードだった。
「なんと嘆かわしい。愚王、愚王と思っていたが、これほどまでに愚かなのか。こうなってはあの男が神というのも、疑わしいもの。人間を娶る神など、聞いたこともない。あれは偽だ、偽の神なのだ。偽者は処罰されなければならない……そして私が新たなる王にこそふさわしい!」
アルハザードが再び席につくと、音楽が再開された。
彼女たちの結婚式に、神父はいない。二人は前に出て、おもむろに向き合った。
ウルグは、感動のあまりか震える手でシスティーナのヴェールを持ち上げた。システィーナがふわりと微笑む。
ラシェルは震えながら、シャリの肩に手を置いた。
震えは感動なんぞのせいではない。ただの緊張である。
熱烈、熱烈、熱烈……
その二文字が頭の中で踊っていた。もはやセリフなど頭にない。真冬の海に飛び込むつもりで、ラシェルはゆっくりと顔を近づけた。
と、シャリの真っ赤に塗られた唇が開く。
「どうしたの……」
彼はいつになくうっとりと、目を細めて言った。
「ねぇ……、僕から、して欲しい?」
「セリフにないこと言うなって、言ったでしょ……!」
小声で文句を言うラシェルだが、顔が真っ赤になるのを根性で抑えていた。どう考えてもおかしい。ここで顔を赤くするのはウルグではなくてシスティーナの役割だ。
キスがなかなかできないので、観客が騒ぎ出していた。どうしたの? だの、早くしちまえよ、だのと言った声が飛ぶ。無責任だとラシェルは思ったが、舞台はすでに戦場なのだ。文句は言えない。
その瞬間、業を煮やしたシャリがラシェルのマントを引っ張った。
「わ」
唇が重なる。というかほとんどぶつかる。ね、ねつれつが、来た、ねつれつが、――!
……が。
ほんの数秒で、シャリは握ったマントの裾を手放した。
「……へ?」
ぽかんとするラシェル。シャリは嫌な笑みを浮かべた。
「今度本番でね」
「……」
ウルグが唇を離すと、システィーナは嬉しそうに、それでいて恥らうように微笑んだ。
だが、まさしくその、幸せの絶頂を狙って、悲劇は起こったのだった。
「死ね! ウルグ!」
アルハザードが、突然席を立った。憎しみに燃える目、手には大振りなナイフが握られている。
「危ない!」
システィーナがいち早くそれに気づき、ウルグをかばうように飛び出した。
「システィーナ!」
刃が肉を裂く、嫌な音が響き渡った。純白のドレスに、毒々しいナイフが突き立っている。やがて、真っ赤な染みが広がった。
崩れ落ちる、純白の花嫁。顔が真っ青だった。
ウルグが顔色をなくしていたのはほんの数秒で、すぐに我に返った彼は、殺意を込めた荒々しい一太刀のもとに大臣を切り捨てた。
そして彼は、花嫁の前で膝をついた。助からない。彼の苦渋と悲しみに満ちた表情が、それを物語っていた。
「うるぐ……ひとを、にくまない、……で……」
「システィーナ――!」
ウルグはぐったりとして動かないシスティーナを抱きかかえると、叫んだ。
「これが王か!」
彼は王冠をかなぐり捨てた。
「こんなものが、結果が、王だというのか! これが、人間という生き物の真実か!」
喉が枯れるほどの勢いで、彼は叫ぶ。
「愛しい者を失ってまで、いったい現世に何の心残りがあろう。父よ、残酷なる父よ! 我を許したまえ。あなたを裏切り、闇に落ちる我を……」
ウルグが、膝をつく。それと同時に、ちょうど日が沈んだ。