黄泉の乙女とピンクのリボン フォー。宙返り!

 古びた広間のような場所に、ラシェルたちとカルラは集まっていた。今のロセン城が建つはるか昔に、王城として作られた建物の一室だったが、地味だという事で取り壊しが決まって久しい。
 ――劇に出る約束をした翌朝である。まだ太陽も昇りきっていない時間帯のため、集まった面々もあくびを噛み殺す有様で、何とも言えない倦怠感が漂っていた。
 ただ一人元気なカルラが手を上げ、
「おはよー! 今日は早速だけど、時間がおしてるんで配役の発表するわ」
 とたんに浮ついた声が上がる。
 ラシェルは寝ぼけ眼のまま、やる気なさそうに手を上げた。
「あのー、団員これだけ? 衣装とかは誰が作るの?」
 そう――広間には、彼女たちパーティーとシャリと、なぜかそわそわとカルラの横に立っているアイリーンの他には誰もいなかった。おかげでガランとして、ただでさえ寒々しい室内がさらに冷たくなっている。
 カルラは「いい事に気づいたじゃない」と言って腰に手をあて、メンバーの顔を一人一人見回した。
――実は、役者が倒れたって言ったけど……実は劇に関わった全員が謎の奇病で、」
「呪われてんじゃん!」
 ラシェルは青ざめてそう叫び、自分の体を抱き締めた。
「冗談じゃないわ。そんなふざけた事に付き合ってる暇――
 ラシェルは思わず、文句を言おうとした口をとめた。
 ……カルラが異様なくらいニコーっとして彼女を見ているのである。配役が書いてあるらしい羊皮紙を握り締めたまま、肝の冷えるようなオーラをかもし出している。
 ナッジが「ひっ」と悲鳴を上げた。
「言ったでしょ? じ・か・ん・が・な・い・の!」
 噛んで含めるようにカルラが言い、ラシェルは余りの迫力に尻餅をついた。
 とそこに、場違いな明るい声が響き渡った。何事かと、視線がシャリに集まる。
「面白いね。いいんじゃない? 呪われて死ぬなんて経験、なかなかできないよ」
「経験したとたん人生終わるわ!」
 ラシェルはシャリに反射で突っ込みを入れ、軽く服をはたきながら立ち上がった。
「自分がやらなくていいからって、そうやって無責任な事――
「誰がそんな事言ったの?」
 ラシェルの声を遮って、カルラが首をかしげた。
「ちゃーんとそこのガキにも役を用意してあるわよん」
「え?」
 シャリの目が点になる。
 ラシェルは内心いい気味だと笑った。
 ユーリスが手を上げる。
「で、肝心の劇の内容はなんなんですか?」
 さすがユーリス。呪いの芝居と知っても顔色一つ変えない。
「あれ、言ってなかったっけ」
 カルラはとぼけたようにそう言って、オホンと咳払いをした。
「……今回上演するのは、題して『黄泉の乙女』」
『黄泉の乙女?』
 一行は顔を見合わせた。聞き覚えのないタイトルである。
 カルラはにやにや笑いながらそんな即席一座を見回した。
「『システィーナとウルグ』の芝居なら、皆見た事あるでしょ?」
 それなら……という声が上がる。
「確か神話をもとにした劇だったよね」
 ラシェルが思い出しながら言うと、レルラが意気揚々と頷いた。
「今日では破壊神とされるウルグが、闇に落ちていく様を物語ったジェイクスビーアの有名演劇だよね。叙情的で壮大な物語は僕、好きだよ」
「そう。今回はあの手垢にまみれきった題材を、カルラ様独自の解釈で切り取ってみました」
 カルラはえっへんと胸を張り、どこからともなくスクロールを取り出した。
「ちなみに台本書いたのあたしだかんね。適当にやったら承知しないわよ」
 『台本』らしいスクロールを、ラシェルが胡散臭そうな目で眺める。
「もう質問はないわね? じゃ、発表しちゃおっかな」
 もう声が上がらないのを見て、カルラは羊皮紙を読み上げた。
「えーっと、まず主役からね」
 ラシェルはその声を聞き流しながら、大道具か何かになって適当に済ましてしまおうなどと考えていた。
 カルラの健康的な唇がニヤリと歪む。
「一番セリフの多いシスティーナ役は、ラシェル・ルーに」
「ええ!?」
 ラシェルは驚きのあまり飛び上がり、それから猛烈に抗議した。
「私にはちょっと無理だと思う! だ、だって私、演技なんて――
「大丈夫よ。システィーナは楚々とした美人だし、ラシェルにはぴったり」
「そんな事言ったって――
「それに、ラシェルなら大丈夫だと思ってね」
 ラシェルはさらりとそう告げるカルラに、訝しげな視線を向けた。
「大丈夫って、何が?」
「いや、その――
 今度はカルラの視線が泳ぎ、じんわりと額に汗がにじむ。
 ラシェルは疑いの目つきでそれを見て、促すように顎をしゃくった。
「役者がことごとく謎の死を遂げるといういわくつきの役で……」
「そっちが本音か! 自分でやれ自分で!」
 ラシェルは怒りのあまりくらくらしながら、額を押さえて呻いた。
「冗談でしょ、ただでさえ呪われてる劇の、しかも呪われた主役なんて絶対に嫌!」
 カルラはそれを聞くなりジトっとした陰気な目になり、無言でユーリスを手招きした。
「? なんですか?」
「いいから、ほらこっち」
 さらに呼ばれたユーリスはいそいそとカルラに駆け寄る。カルラは彼女にスクロールの一部を見せ、「これ、ちょっと読んでもらえる?」と頼んだ。
「いいですよっ」
 ユーリスは何を勘違いしたのか嬉々としてスクロールを受け取ると、いかにも張り切った様子ですぅっと息を吸い込んだ。
「ああ、ウルグ様、ウルグ様! なぜウルグ様でいらっしゃいますの? あなたの身分をお捨てになって! きゃっ、このセリフ、わたしにぴったりかも! うんうん、まるであつらえたようなセリフ!」
 カルラは「ね?」と言いたそうな視線をラシェルに向けた。それを受けたラシェルは引きつった顔で、
「で、でも、アイリーンだってぴったりじゃない!」
「ええ、わ、私!?」
 アイリーンは頬を夕日のように赤く染め、心底驚いた様子で自分を指差した。
「……アイリーン、ちょっとこれ、読んでみなさい」
 続いてカルラにスクロールを手渡されたアイリーンは必死の形相で字面を追い、ごくりと唾を飲んだ。
「え、えええと、ああウルグ様ウルグ様、なぜウルグ様でいらっ……あ、ごめんなさい、いらっしゃいますの? あなたの……えっと身分をお捨てになっ」
「もういいわ。ありがと」
 カルラはアイリーンから台本をひったくって、シッシッと犬でも追い払うような仕草をする。
 アイリーンはがっくりと肩を落として、とぼとぼと離れた。
「これで分かったでしょ?」
 ラシェルは言葉に詰まり、追い詰められた気分で後ずさりしながら必死で周囲に視線を飛ばした。このままでは呪いの役を押し付けられてしまう。――そして楽しそうにその様子を観察している、一人の人物と視線があった。
 ラシェルは咄嗟に、その人物を指差して叫んだ。
「でも、しゃ、シャリがこの中では一番美人じゃない!」
 ――冷ややかな沈黙が落ちた。女性陣から絶対零度どころか氷点下の視線がラシェルに降り注ぎ、濁った空気が流れ出す。
 ラシェルは冷や汗をかいて内心失言だったと悔やみながら、さらに付け加えた。
「い、いや、でもホラ、実際、シャリの方が私よりうまいと思うの。ね……っ、ね、そうでしょシャリ?」
 ラシェルは苦し紛れにそう尋ね、尋ねてから失敗だったかと冷や冷やした。しかし、そもそもこういう事態に陥ったのはシャリが原因である。その程度の援助はあってもいいのではないか。
「……僕にカツラつけて、女の役をやれと?」
 シャリは無表情にそう言って首を傾けた。
 ラシェルは何度も深く頷き、
「絶対似合うわよ。うん、私保障するから」
「っていうか、ただ自分がやりたくないだけでしょ」
 ラシェルは息が詰まったように呻いて仰け反った。
「そ、そそそ、そんな事は……」
「でも」
 と、それまで黙考していたレルラが不意に口を開いた。
「確かに、舞台ならシャリの方が映えると思うな。どうせならいい舞台にしたいし、僕は賛成」
「う、うん……僕もいいと思うよ。ほら、面白そうだし」
 ナッジがおずおずと、それに同意する。
 カルラがふっと、自分を抑えるように息を吐いた。
「……どう思う? アイリーン」
 振られたアイリーンはしばらく視線を宙にさ迷わせ、
「で、でも……その、シャリさんはどちらかと言えば、システィーナよりはウルグだと」
「あー、雰囲気がね」
 カルラは納得したように頷いて、言葉をついだ。
「実際、最初はシャリにウルグ役やってもらうつもりだったのよ。この中でまともな演技ができる男役って、シャリとレルラくらいのものでしょ?」
「わたしは、いいと思います」
 ユーリスが唇に人差し指をあて、いたずらっぽく微笑んだ。
「なんか、面白いじゃないですか」
「う〜ん」
 カルラはしきりに顎をさすりながら難しい顔をした。
「別にそれでも構わないけど、ウルグ役が――
「ねえカルラ」
 シャリはカルラの言葉を遮って前に進み出ると、にっこりした。ラシェルの背を、ぞっと悪寒が走る。
「僕、やってもいいよ。ただし――
 シャリはそう告げて、驚く他の面々をよそにラシェルを指差した。
「ラシェルがウルグ役ならね」
――えぇぇぇえええっ!?」
 ラシェルは盛大に叫び、衝撃のあまりよろめいて、隣にいたナッジの腕を無意味に掴んだ。
「イタッ! いたた、痛いよ!」
「嫌よ私は。無理だからねウルグ役なんて」
 ラシェルはナッジを盾にして後ろに隠れた。
 シャリはやれやれとため息をこぼし、わざとらしくうんざりした顔を作った。
「往生際が悪いよ? ラシェル。男らしくないなぁ」
「誰が男よ!」
 ラシェルは思わず反論してから、ハッと我に返った。
「とにかく、私には無理よ。誰か他の、」
「またまたぁ。照れちゃって」
 カルラはニヤニヤとラシェルの言葉を遮った。
「ホントは嬉しいくせに」
「何の事?」
「キスシーンまであるのよ? 知ってて相手役に彼を選んだんでしょ?」
 カルラはそう言って小さく笑ったが、ラシェルはそれどころではなかった。
「な、な、な――
「いやー、大胆だわ。うんうん。あのキスはシスティーナからするんでなくって、ウルグからするもんね。そんなにしたかったんだ、キス」
「やだっ! ラシェル様ってば、だいたーん!」
「ずいぶん積極的なのね……私も見習った方がいいかも知れないわ」
 さっきの失言のお返しとばかりに、一斉にラシェルをからかう女性陣。ラシェルは心底自分の発言を後悔した。
「やめてよ」
 ラシェルはそう声を上げ、いやいやをするように首を振る。
「嫌だって言ってるでしょう? あのね、劇に参加するのだって私、本当は気が向かないんだから」
「逃げるの?」
 黙って成り行きをうかがっていたシャリは、目に不思議な光を宿してそう尋ねた。確かに尋ねはしたのだが、その口調は尋ねるというよりもむしろ、追い詰めるような響きを孕んでラシェルの胸を打った。
「逃げるって訳じゃ……」
 ラシェルが言い掛けると、シャリはいかにも意味あり気な視線をラシェルに寄越した。それで彼女は、ハッと思いだした。
 そもそも劇に参加しようとしているのは、ネメアの依頼を受けたからであって、その他の理由からではない。だと言うのに、ラシェルはそれらの目的を忘れ、ただ目先の混乱から逃げようとしていたのだった。
 ラシェルはそう考えるや否や、さっと苦々しい顔を作って、いかにも不満気な声を出した。
「……分かったわ。そこまで言うなら、ウルグ役、私がやる。何と言っても、主役よりはましだし」
「分かってくれて嬉しいよ」
 シャリはまるで、最初からラシェルがそう答える事は分かっていたかのようにさらりと頷いた。
 ……ラシェルは何か世の中全体に対して釈然としないものを感じた。
「はいはい、じゃあ決まったところで、他の配役もちゃっちゃと発表しちゃうわよ」
 こうして発表された配役は、

 音楽・兼監督 レルラ=ロントン
 舞台衣装・ナッジ
 大道具・照明 アイリーン
 脇役全般 ユーリス
 ティラ カルラ

 というものだった。
 たくさんのブーイングが――特に脇役の発表がされた辺りで――沸きあがったが、カルラはにっこりして、
「やっぱり、衣装って言うのは劇でも重要なところだと思うワケ。だからそれだけに適当な人選はできないでしょ? その点、ナッジならセンスもいいし、ぴったりよ」
「そ、そうかな……」
「大道具とか照明って言うのも、意外と繊細な神経を必要とする仕事なのよ? その辺りは、いつも細かいサポートしてくれてるアイリーンに、感謝の気持ちを込めて送ったのよん。うるうる」
「そ、そうだったんですか……い、いえ文句なんてありません」
「それにねユーリス。脇役って言うのは、言ってみれば主役以上に重要な役どころなの」
「そんな地味な役、わたし……」
「確かに地味かも知れない。でもね、輝きで言えばどの役よりも猛烈なのよ。私が全ての責任を持つから、思いっきりかっとばしちゃって」
「……なーんか、うまくごまかされた気もしましけど、分かりました」
 この間、実に三分足らず。
 ラシェルは傍でカルラがころころと表情を変えるのを見ながら、あらゆる意味でカルラの恐ろしさを実感していた。
 ……そもそも最初の問答も、実は最初から分かっていてやっていたのではないか……
 そのカルラは、もう意見や質問がないかと見回した後で決意に満ちた、挑戦的な表情になると、一歩前に出た。まとっているオーラが、何か英雄めいたソレになる。
「あたしらは、確かに昨日今日に誕生したにわか劇団よ……でも、結束力とやる気だけで言えば、誰にも負けない!」
 ユーリスが胸の前で手を組んで、尊敬するような眼差しをカルラに向けた。
「明日から、稽古に衣装の準備、その他もろもろ大変な事もあるだろうけど、皆がんばりましょ!」
『おー!』
 やる気があるんだかないんだかよく分からない声が響き渡り、その日はそれでお開きになった。
 ラシェルはそれをぼけっと見ながら、果たしてどう楽にこの局面を乗りきれるのかと、そんな思考が無意味であるとも知らぬままに考え続けていた。

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 最初は、ナッジがウルグ役になってて、あまりに演技が下手だったのでカルラがシャリに目をつける……
 というストーリーだったのですが……なんでこんなことに……シャリの女装なんて見たい人いるんでしょうか……