黄泉の乙女とピンクのリボン シックス。ドキッ! 逆回転もあるよ!

「ラシェル! セリフはもっと情感込めて!」
「はー……い……」
「立ち位置逆だよ! ラシェル!」
「へー……い……」
「そうじゃなくって、追いすがるようにだってば!」
「ほー……い……」
「もう!」
 監督を任されたレルラがいつになく興奮した顔で、地団太を踏み始めた。
「そうじゃないってば!」
「だって……」

 日の差し込む明るい広間だった。中央にラシェル達が集まって、いつもの格好のまま稽古をしている。衣装はまだできていないのだった。
 いかにも監督と言った体で役者に指示を飛ばすレルラ。ユーリスとカルラとそしてなぜかシャリはノリノリで演技に励んでいるが、ラシェルはと言えば朝からどうにもやる気が感じられない。
 ラシェルはなおも文句を言おうとするレルラを遮った。
「ゴメン、ちょっと休んでいい?」
 そう尋ねるなり、ハンカチで額に滲む汗を拭きながら、広間の脇に移動する。銀色に輝く水差しを傾け、喉を潤すと、彼女はいかにもやる気なさそうに、まだ稽古を続ける他の面々を眺めた。

 シャリが突然笑い声を上げた。
「アハハ、ウルグ様、どうしてこんなとこまで来たんだい? 君の身分を考えれば、決して来てはいけないこの場所へ?」
「ちょっとちょっと、もっと情感たっぷりに言ってくれないと、喜劇になっちゃうよ」
「ごめんごめん! 次はがんばるからさ」
 カルラが一歩前に進み出て、口走った。
「ウルグよ、愛しい弟よ! 我が力を今こそ貸し与え――
 ラシェルはちょっと探るようにカルラを観察した。とても暗殺なんぞ考えているようには見えないが。
「そう、その忠誠と引き換えに」
 カルラが言い切ると、レルラが「そこはもうちょっと、万感の思いが叶うって感じでね……」と注文を付ける。カルラは「てへっ」と笑ってごまかした。

「お疲れ」
 声に物思いを中断して、ラシェルは顔を上げた。シャリがニコニコして立っている。ここ数日生活を共にしたおかげか、今では彼の笑顔を見分けることができるようになっていた。――この笑顔は、心底機嫌がいい時の笑顔だ。
「シャリ……ねぇ、カルラの事なんだけど」
 シャリは面白がるような笑みを浮かべ、首をちょこんと傾げた。
「今は劇を楽しんだら? それじゃ、君――嫌々やってるみたいに見えるよ」
「嫌々なの」
 ラシェルはため息を落とした。彼女は壁に背を預け、額にかかった髪を払いのけながら憂鬱そうな顔をする。
「カルラの調査のためにここにいるんだから。劇なんて二の次よ」
「うっわ、クールだねラシェルって」
 シャリはおどけたようにそう言うが、言葉の内容とは裏腹に表情は割りと真面目だった。
「怪しまれちゃうと思うけどな。演技もちゃんとしないと」
「……それはそうだけど」
 ラシェルはため息と共にこぼし――不意に顔を引きつらせた。
「って、何であなたはそんなにノリノリなの」
「えー、そんな事ないけどー」
「んな棒読みで言われても説得力ないっつの」
 ラシェルは半眼になってシャリを睨み、――
「ラシェル! ちょっと来て!」
 レルラの声がラシェルを呼んだ。人遣いの荒いリルビーである。
 ラシェルは、いかにもやれやれと言った風に、中心に立って何か紐のようなものを握っているレルラに近づいて行った。
 レルラはラシェルが近づくと、せかせかと近づいて、紐を広げた。
「衣装の準備とかしたいから、採寸させてくれる? ラシェルのは鎧だから手間かかるよ」
 彼はそう言いながらも、顔がてかてかと光り、目にキラキラした光が灯って楽しそうだった。 
「それはいいけど――って、鎧!?」
 ラシェルは思わず引きつった顔で首を振りながら、後じさりした。
「鎧なんて無理よ。私、ブレストプレートで精一杯なんだか――
「はいはい、わがまま言わないようにね〜」
「ちょっ、だから鎧は――
「なせばなる、なさねばならぬ何事も」
「何語だよ!」
 ラシェルはほとんど涙目になって突っ込みながら身を引こうとしたが、いつの間にかカルラとユーリスが背後に回って押さえつけている。
「ちょっ、やめ――

 しばらく お待ちください

 ラシェルはぜぇぜぇと肩で息をしながら、座り込んで俯いていた。
「……ひっ、ひどいっ……お嫁に行けない……」
「あ、シャリもこっち来て」
 呼ばれてテケテケと歩いて行ったシャリも、同じように採寸される。やれ、
「腰細っ!」
 だの、
「顔ちっちゃ!」
 だのと言った嬌声が聞こえるが、ラシェルはすでに魂が半ば抜けかかった状態でいたため、あまり聞いてはいなかった。

 やがて日が暮れ、その日の稽古はお開きとなった。
 ラシェルは肩を揉みながら大きく伸びをし、体をほぐした。もはやほとんどやっつけ仕事である。
「あ、ラシェルとナッジとシャリはちょっと残って」
 レルラに呼ばれたラシェルとナッジとシャリは、何事かと集まる。呼ばれなかったカルラやユーリスは薄情にもさっさと帰ってしまった。
 レルラは何やらメモ書きらしい羊皮紙を見ながら、「まずラシェルだけど、」と切り出した。
「え、なに?」
「やる気なさすぎだよ。というわけで、今日は徹夜でナッジの衣装作りを手伝うように」
「……え〜!?」
「文句はなし。で、ナッジ」
 呼ばれたナッジは、自分も怒られるのかと緊張の色を浮かべた。
「採寸はもうしておいたから、後はデザインして、縫っちゃってくれる? とりあえずラシェルのは真っ黒な鎧とマント、シャリは薄い色のドレスということで。特にシャリのは、清純派を意識して作ってね」
「う、うん」
 ナッジはほっとして胸をなでおろした。
「それで、シャリだけど、ラシェルと一緒にナッジの衣装作り手伝ってくれる?」
「別にいいけど、」
 シャリは不思議そうな顔をした。
「何で僕なの?」
「ああ、簡単だよ」
 レルラは羊皮紙から顔を上げ、にっこりした。
「パートナーなんだから、今から息が合うように練習しておかなきゃ」





 というわけで、深夜。
 人気もなく、蝋燭の明かり一本だけで三人は黙々と作業を進めていた。
 というか、ナッジはラシェル――ウルグの鎧を作り出してから人が変わったように鬼気迫る形相で作業に取りかかってしまったので、ラシェルとシャリは二人でドレスの方に取り掛かっていた。
 型紙から切り取った紙に合わせて、薄い緑色の布を黙々と裁断しながら、ラシェルは欠伸を噛み殺した。
「ああ、美容に悪いわ……むにゃむにゃ」
「そう? 僕は、滅多にできない体験に心が踊ってるんだけど」
「勝手に踊り狂ってれば? 私はもう眠くて眠くて……」
 ラシェルはそう言いながらも、てきぱきと切り終わった布を重ね、針と糸を引き寄せるとチクチク縫い始めた。シャリが見よう見真似、と言った風に針に糸を通そうとする。……あ、失敗した。
「……」
 シャリは意外と凝り性なのか真面目な顔で、三回ほど続けて失敗した後に真面目な顔のまま針と糸を投げ捨てた。
「……」
「って、何放り投げた上これ見よがしに沈黙してんのよ。いいからこれ使って」
 ラシェルは布を回して、自分の使っていた針を渡してやると、自分はシャリが投げ出した針を拾って、再び縫い始めた。
「ラシェル、上手いね、裁縫。いいお嫁さんになれるんじゃない?」
「なりたくないわよ別に。お母さんが教えてくれたの」
「へぇ。じゃあ、最後の贈り物かな」
「死んでないわよ。お母さんは……」
 ラシェルはちらりと顔を上げてシャリを見ると、不意に目を逸らした。
「劇、楽しみだね」
 シャリが、沈黙などなかったかのようにあっけらかんとした声を上げる。
「そうかしら」
「ラシェルが相手役なんでしょ? 楽しみだよ」
「……そう、かしら」
「君が、相手じゃないと嫌だなぁ、僕」
 ラシェルは、不意にシャリの声音が変わったのを感じて、手を止めた。シャリが何を考えているのか、掴ませない瞳でラシェルを真っ直ぐ見る。
 ラシェルはそれを受け止めて、――
「やめてよ」 
 とだけつぶやいた。
 返事は返って来なかった。





 翌朝――
 ラシェルは床に這い蹲り、ピクリとも身動きしなくなっていた。ナッジは狂ったように鎧をハンマーで打っている。すでにその頬には歪んだ笑みが張り付き、目は血走って焦点が定まっていない。
 地獄の光景である。 
 シャリは一人元気そうに立ちながら、一晩掛けてようやく形になったドレスの原形を見下ろした。フリルやレースこそついていないものの、一晩で仕上げたにしては立派である。
 ラシェルは呻きながらズルズルと身を引きずり、何とか立ち上がると、ドレスのできに満足して頷いた。目の下に濃いくまができている。
 ラシェルは徹夜明け特有の、あのネジの外れた笑いを浮かべると、無言でナッジの服の裾を握り、ズルズルと引っ張り出した。
「よーやく、完成したんだから……帰るわよ……」
 ナッジが未だに鎧をハンマーで打つのをやめようとしないので、ラシェルは掠れた声で仕方なく呼びかける。するとナッジは突然ハンマーを放り出し、白目を剥いてぐったりした。
 放り出された鎧が冷たい音をたてて床に転がる。それはナッジの手を離れるや否や黒光りして、何やら禍々しい気を放ち出した。
 ラシェルはそれを目にしたとたん、顔を強張らせ、なるべくそちらの方を見ないようにしながらナッジの死体を引っ張って去って行く。シャリはいつの間にか姿を消していた。


 オイフェは、三人の姿が消えたのを見て取るや否や、抜き足差し足忍び足で広間に入って行った。朝の黄色い光に照らされて、キラキラと緑色のドレスが輝き――その隣で黒光りする『何か』が異様な雰囲気を辺りに発散している。
 オイフェはその黒光りする何かを見た瞬間、エルフの勘で近づかない方が良いと判断し、それ以上近づこうとはしなかった。恐る恐る、隣に転がっているドレスを引き寄せ、しげしげと何度も見る。
「……カルラめ……絶対に劇なんか成功させてやらないんだから!」
 そして――


「あ"ーーーーーー!!!??」
 ラシェルはそれを見るなりへなへなとへたりこんで、滂沱と涙を流し始めた。少し仮眠を取って、戻って来た矢先の事である。
 カルラが続けて、眠そうに入ってくるや否や、泣いているラシェルを妙に思い、――同じように叫び出した。
「あ"ーーー!!?」
 緑色の襤褸切れが転がっていた。
 ……ドレスがずたずたに引き裂かれているのである。
 ラシェルが昨夜、あんなに苦労して作ったドレスが、まるで惨殺事件にあった夫人の遺体が着ていたらこんな風になるのではないか、と思われるほど滅茶苦茶に破れ、引き裂かれ、原形をとどめていない。
「ありゃま、どうしたのよこれ……」
 カルラがラシェルに尋ねるが、ラシェルは涙もかれはてたのか虚ろな目で俯いて、答えようとしない。
「おはよう。どうした――あーーー!!!?」
 ナッジが入ってくるや否やへたりこみ、目をうるうるさせた。そしてハッと我に返り、自分の制作した鎧に駆け寄ると、ほお擦りし始める。
「ああっ、こっちは無事だったんだ! 良かったぁ……」
 カルラはあまりの異様さに半ば引きながら、ラシェルの肩に手をポンと置いた。
「こ、これは、大変……大丈夫?」
「ふふ、うふふふふ……」
 ラシェルは肩を揺らして笑う。カルラが思わず後じさりした。
「あんなに苦労したのに……うふふふふ……」
 ラシェルが壊れている間に、シャリもやって来た。
 彼はドレスを見るや否や「あーあ」と言ったきり口をつぐむ。
 ラシェルはそんなシャリを一瞥し、涙をぬぐって立ち上がった。怒りのオーラが彼女を包み、何やら熱気までかもしだしている。ラシェルは叫んだ。
「誰だーーー!?」
「うーん……まぁ、前からこういう嫌がらせってあったのよね」
 カルラが眉をひそめた。
「一体誰がやってんだか」
「復讐しようよ……」
 ナッジがぎらぎらした目でそう言った。
「その方がいい……」
「誰がやったかもわからないのに?」
 シャリがそう突っ込むと、ナッジは黙った。
「こうなったら……」
 ラシェルはゆらりと一歩前に出た。目が燃えている。
「意地でもこの演劇、成功させて見せるわよ……!」
「……ま、それっきゃ方法もないんだけどね」
 カルラが肩をすくめた。が、ラシェルはそんな反応など一顧だにせず、天に向かってビシっと指を突き付ける。
「皆! 今日から私たちは生まれ変わったの! 絶対に劇を成功させて、こんな事した奴を見返してやる……!!」
「ちょっとちょっと」
 シャリはそんなラシェルの腕を引っ張って隅に連れて行くと、ひそひそと耳打ちした。
「ネメアの依頼はどうすんのさ」
「どっちもやるわよ……!」
 ラシェルは即答するが、シャリは揶揄するような笑みをラシェルに向ける。
「そんなに上手く行くかな」
「行かせるの。大丈夫よ、ネメアの依頼だって忘れてないわ。カルラにかかった嫌疑の、調査……でも、劇だって大事でしょ?」
「この間と言ってること違うよ」
「だから、」
 ラシェルは呆れたように瞠目するシャリをしっかり見つめながら言った。
「どっちもできるようにがんばればいいだけの話でしょ? だいたい、こんな事した奴をそのまま放っておくなんてできないわ。そうでしょ?」
「……それは、そうだけど」
「飽くまで、調査の方を主題に置く。でも、劇からも手を抜かない――そう難しいことでもないわ」
「……フフッ」
 シャリが不意に口元に手をあてて微笑んだので、ラシェルは訝しげな眼差しを投げた。
 彼はそんなラシェルを見ながら、言った。
「いつもは、君がいさめる役なのに、逆だね。役に引きずられたかな」

 こうして、ラシェルの新たな戦いが始まったのだった。

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